アーカイブ 8月 2013
社会に生きるけど、世界の中で死んでいきたい
さて、Christina Perriの素晴らしいYouTubeプレイリストがリピートされない前に全ての記事を書き上げようか。今日、コンドミニアムの中にあるバイクをこぎながら養老孟司さんの本を読んでいたら、股間がいたくなってきた。バイクをこぐといつも起こるあの現象なんなん?小学生の時から何回か経験したことある、あれ。ま、そんな話どうでもいっか。朝起きて、チャリこいで、シャワー浴びて、仕事する前にいくらか持ち込んだ本を読んで、気分良いからこのままブログ書く。書いて、その後に仕事を一気呵成に終わらせる。
・・・と思ったけど、ブログ書くくらいならマーケティングすればってもう1人の自分が言ってる。あれ、そういえばなんでブログを書こうとしとるんやろ・・・。これって意味あるん?うーん。ちょっと良い話をしようと思ったけど、ここまで書いて急に仕事がしたくなったので、仕事をするために、コンドミニアムに戻ります。
たぶん、ブログを真剣に書けるのは、新しくはじめた事業が軌道に乗り出してからかなぁ・・・。なんや、結局ブログもキャッシュの一部やったんか。そっか。
ちなみに、今日書こうとおもった「社会」と「世界」に関しては以下の書籍を参考にして下さい。オススメの本です。
[amazonjs asin=”4418082182″ locale=”JP” title=”14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に”]
石崎力也の今日の六本木(かどこか)
人生で一度たりとて時給1600円以下のバイトをしたことはない
極端を知らない人の「フツー」が最悪なのは、結局世の中の平均値に自分を合わせてしまうから。極端を知らない人の「普通が一番だよ」の普通は、「何も考えていない普通」だし、「ただ大衆に迎合したような普通」そのものだと思う。
普通ってのは、ある事柄において程度が真ん中らへんを指すのであれば、まずは両端を決めないことには真ん中が決まらない。両端からの距離が同じ真ん中を普通とするならば、普通が一番だと思う人はまず両端を知らなきゃならない。日本を出たことのない人が「日本は一番」と言っているもので、それは5歳児の僕が「カレーはこの世で一番美味しい」と言っているそれと全く変わらない。
高校生の時はそこまでやるかって具合にメタルギアソリッドと麻雀とバイトをしていた(ぶっちゃけボクシングは遊びだった、後悔している)。メタルギアソリッドを狂ったようにハマった後は、今度は三国競艇場に入り浸ってしまった。金沢駅から週末の朝8時から無料シャトルバスが出ている。喫煙可能なのでバスの中は真っ白だった。今思うとよくそんな最悪な空間に2時間も座っていられたと思う。バスに揺られて三国に行く高校生はおそらく僕だけだった。
友人はみんなスロットにハマっていたけど、僕の親父がパチ屋で大金をすっているのを幼いながらに知っていたし、何より相手がコンピューターだと思うと、なんか最初から勝率が決まっているみたいでやる気が起こらなかった。でも競艇にはドラマがある。「水上の格闘技・競艇」というキャッチフレーズの如く、汚い水の上を時速80km以上で走るボートレースはまさに魅力に満ちたギャンブルで・・・なんて言われることがあるけど、個人的にはお金を燃やすようなその感覚が刺激的だった。
16歳からバイトをはじめて、人生で一度たりとて時給1600円以下のバイトをしたことはないのだけど、時給1600円もらえれば、学校が終わってボクシング終わった後にバイトを10時までやれば、月々10万円は軽く超えた。1時間でたったの1600円しかもらないのに、たった2分で1万円から2万円がポンと消えたり、それが10万円、20万円になる世界に僕はしびれた。結局、競艇で勝ったときはそのまま高尾台のT君の家で麻雀をやり全部すってしまったし、麻雀で勝った時はそれを競艇ですってしまう。ので、おそらく高校3年間で収支トントンが、負けても100万円はいってないと思う。(ちなみに、競艇や競馬のおかげで数Bの確率と集合は勉強しなくても満点を取れた)
「いつやるか、今でしょ」で有名な林修さんの著書に、東大時代、麻雀&競馬でやしなった駆け引きについて書かれてあった。じゃあ、いまこの若さで曲がりなりにも会社を経営している僕に、かつてのギャンブル時代に養った駆け引きや勝負勘みたいなのが役立っているか?
うーん、正直言うと、それほど・・・って感じなんだよね。でも確実に言えるのは、高校生時代のあのギャンブル経験から僕が得たのは「ハマった経験」だった。なんで競艇場に行くの?と祖母から問われても「そこに競艇場があるから」としか答えようがなかった。ただただ金曜日になると胸がどきどきしてきて、近くのコンビニで土曜日の出走票を取り、そのまま北陸銀行でキャッシュをおろすのが習慣になっていたし、いわゆる中毒みたいな現象なので、やめられない・とまらない。だけど、当時僕は彼女もいなかったし、もちろん養うべき家族もいなかったので、全額を自分のために使うことができた。(学費を払ってくれた両親にはごめんとしか言いようがない)
中毒とは言えど、僕は心の底から楽しんでいたし、負けたあとのオケラ街道も、見窄らしさ半分と来週のリベンジに燃える復讐心半分で、ギャンブル自体はポジティブなものとして僕のなかに存在していた。今振り返ってみると、最高の経験だったと思う。あれだけ没頭した経験、ハマった経験を人生の早いうちにしておいて本当によかった。いわゆる極端の片側に立っていた3年間だった。じゃあこれを極左の3年間と呼ぼう。
でも、大学生になった後、それなりに勉強をし始めると、最初は勝間本とかに影響されて「自己投資の為の勉強」をするけども、「そんなのツマンネー」ことぐらい、20歳の感受性豊かな若者にはすぐにわかる。そう、ハマってなかった。たとえば、会計士の先生に「力也君、日商の1級くらいまでは勉強しておいた方がいいよ」って言われて、クレアール予備校の特待生にたまたま合格し、教材が家にどさっと届いて、まあやるわやるんだけど・・・「お、面白くない」。取り敢えず工業簿記も商業簿記も両方1級まで勉強して、その知識はあるけど、まあつまらなかった。たとえば、大前研一さんの本を読んで「これからの時代、ビジネスマンに必要なのは、1・英語、2・金融、3・IT」なんて言うから、鵜呑みにしてTOEICを6ヶ月間くらいやると簡単にTOEIC900はいったんだけど、あの6ヶ月間は最悪だった。(その後、アメリカで英語を話す彼女が出来て、たった3ヶ月で英語は抜群に伸びたのは言うまでもない・・・)
そういった生活を4年続けた。まじでハマらなかった4年間だった。この大学生活の4年間を極右の4年と呼ぼう。確かにあの極右の4年間はハマらなくてつまらなかった。勉強ばっかりしていたし、本ばっかり読んでいたし、人との会話もなくセックスレスになっていた。このままじゃ駄目だと思い、思い当たる奨学金をくれそうな留学機関に片っ端からアプローチして、面接を受けて、そのうちの1つからフルスカラシップをいただいた。
さあ、極右と極左をしっている僕は何を選んだか。僕はしっかりと落としどころを付けていた。ハマった極左の3年間は素晴らしかったけど、ハマる分野を間違えると次ぎに繋がらない。かと言って分野を社会に併せ過ぎると自分の強みが活かせないし、どーせつまらない、そうハマらないから途中で苦しくなる。
この極右と極左の真ん中をとって、「普通」の大学生になった。とは言っても世間の普通とは違う。僕の中で極右と極左の真ん中にあったのは「自分の強みを活かしつつ、ハマれる分野。かつ次に繋がるもの」。これが僕にとっての普通だった。TOEFLで十分な点数をとっていたので、そのまま正規の学生として1セメスターに21Unitをとった。分野としては「代数学」「離散数理」「人工知能」といった、プログラミングっぽいけど、よりアルゴリズムに近い部分のものを春と秋で取れるだけとった。
今このテンションでこの後どうなったかを書き続けると、自慢っぽいものばかりが吹き出してきそうで(ってもう出てるか・・・)怖いので、それらフツーの日常がどんな成果を与えてくれたかはここでは書きません。けど、一つ言えるのは、アメリカでの1年は頭が弾けそうなくらい楽しかった。人生の早い段階で、フツーってこんなに最高なんだって分かったことは、非常に大きな収穫だったといえる。
今手元に、安宅さんの「イシューからはじめよ」があるんだけど、そこのカバー帯にはこうある。(ちなみにオーディオブックもロサンゼルスで10回以上は聞いた)
人生は何かを成し遂げるにためにはあまりにも短い。「やるべきこと」は100分の1になる。
没頭して水を呑むのを忘れて一気呵成にここまで書いて来た(オレって書くの早いぜ)。ここまで一気に書き上げられるのは、おそらく相当の期間、自分の中で考え続けてきたことだからだ。
ボクシングの減量をしている時、「なんでこんな飽食の時代に、毎日ヨーグルトだけねんていやー!!!!」と自分の選択を一瞬悔やみ、普通が羨ましくなった。だけど、僕は知っていた。世間の普通はもっとつまらないって。世間の普通は、イコール、大衆と一緒ということで、僕の周りの大人たちが大衆にまぎれて不幸せになっていくのを小さい時から肌身で感じていたから、世間の普通だけは絶対に選ばないって決めた。ボクシングの減量は僕にとっての極端な経験だった。だけど、それでいいと思っている。今も感謝している。
カミギンという半径50Mもない白浜の離島で彼女と二人で1日中本を読みながら、携帯で食べ物を注文して、お腹がいっぱいになれば泳いで、夜はそのまま夜景を楽しむ2週間があった。夕日を見ながら未來を語っていると、僕たちの体から時間という概念が消えていった。満潮になって危うく死にかけた。僕はセレブでもロハスでもないけど、ああいった贅沢な経験は多少の罪悪感が伴いながらも非常にいい経験だと思っている。おかげで、来年の5月からは海の上で生活することが決まったしさ。あれもまた極端な経験だった。だけど、それでいいと思っている。もちろん今でも感謝している。
やるなら、極右か極左のことをやる。そうじゃないと落としどころを決められない。僕はいつもそう思っている。だから、行動する時は極端だし、どれも突発的だし、衝動的だし、端から見ると危なっかしくて仕方がないらしい・・・。でも僕からすると、両端を知らずに「フツー」を選ぶことの方が何千倍も危なっかしくて、見ていられない。もし50歳の時にこれまで信じ込んで来た「フツー」が、不幸せの源だったと気付いたら、僕だったらこの世から蒸発したい気分になるな。そんなリスクを今こうやってヘッジしている。
頑張るなら頑張る。周りの人が心配して「大丈夫?」って声をかけてくるくらい。極右だ。
抜くなら抜く。オトンとオカンから「そんなに遊んでばっかで!」って叱責されるくらい。極左だ。
そして、右と左の間の中のどこらへんかに落としどころを決める。
それがバランスの取れた生き方だし、それが「個々人の」普通。普通なんてのは普遍的なものじゃない。ひどく個別的なものだ。僕のとなりに座っているデザイナーが秋葉原で「あの子フツーにカワイイ」って言った時、僕にとってはその人はゴリラにしか見えなかった。そして、AVショップに入って「この女優、マジでフツーに可愛くない?」と同意を求めたとき、「それ、ただのゴリラでしょ」とそのデザイナーに言われた。他人のフツーはゴリラだって分かった瞬間だった。
文責:石崎力也