Talking about “ex” is kinda taboo.(元カレ・元カノ話をするのはタブーよ)
タブーな理由は明確で、元カレ・元カノ話をするといずれかの気分が悪くなり、そこから喧嘩にまで発展するからだ。僕はこの5年間、彼女の元カレ話を痛いほど耳に突っ込み、心に深い傷を刻んできた。傷をつければ、人は学習する。机上の空論ではない。ダメージを伴って学習を行うため、一発で長期記憶へしまい込まれる。石崎はそれほど記憶力がいい方ではないが、元カノ話をすれば自分が傷つくことくらいはヨユーで覚えている。あの痛みは、絆創膏をはがすとケロイドまで一緒に取れてしまったときのものとそっくりだ。バイバイした後の夜、僕はいつも枕と天井と嫉妬の世界でしばらく生きる。
それでも僕は彼女の元カレ話を聞き出し、心臓がキリキリするのが分かっていながら、質問を繰り返す。なぜそんな自らを傷つけるようなことをするのか。意図的にやっているのではないから個別具体的な「これだ」という理由があるわけではない。ただ、自分自身に彼女の元カレ話を過剰に聞きすぎてしまう繰り返される傾向を見ていると、どうやら理由があるに違いないと思わざるをえない。
そこで「なぜ石崎は彼女の元カレ話を聞きたがるのか?」と題して、多少の分析をしてみようと思う。僕が暫定的に理解した「石崎が彼女の元カレ話を聞きたがる」3つの理由がある。
- No1の強みである最上志向が全く満たされていないから
- 「嫉妬」の感情には中毒性があるから
- ニーチェを信仰しすぎてメタな視点から離れられないから
【1. No1の強みである最上志向が全く満たされていないから】
「あなたをコントロールするのは本当にハードです」そんな言葉を彼女から言われたことがあるだろうか?僕は全ての彼女から言われた。あなたと付き合っていくには相当な努力が必要ね。まあそんな感じで言葉を変えて何度も何度もそして異なる彼女から言われた。
「そんなのわかっている!」
そんなのは彼女から言われなくとも、僕自身が一番身近に気づいていること。ものすごく違和感のある話だけど、僕は僕自身をコントロールするのにとても苦労している。モチベーションをあげてくださいと命令すれば3秒後にモチベーションがマックスになる。5秒後に集中モードに入って下さいと命令すると周りから音が消え、視野がぐっと狭くなる。だけど、である。そういった些末なレベルのコントロールについて話しているのではない。その程度の能力なら19歳の時から完全に習得していた。
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僕が僕を一番扱いにくいと思うのは、なにを隠そう、40分かけて行った名書ストレングスファインダー様が教えてくれた石崎力也の強みそのものである。強みのトップに君臨するのが・・・”最上志向”。もう、そのまま。一番じゃなきゃダメってやつ。それが僕のNo1の強みに位置している。最上志向を強みとして持つ自分の扱い方に苦労している。
この最上志向は当然人生の大事な一部を占める恋愛にも適用される(恋愛は人生の全てだなんて思うから不幸せになるんですよ)。彼女の彼氏リストの中で自分が一番かどうかが知りたくて知りたくて抑え切れない感情があふれてくる。その話を聞いてカンナで命を削るような思いをしても、やはり聞く。新しい彼女にもやはり聞く。
「そんなの力也が一番に決まっているじゃん。背が高いし、肌が白いし、心が海のように広いし、ドナルドトランプとタメをはるくらいリッチなんだから」
彼女はそう言い返すに決まっている(後半部分は要編集)。ここで「あぁ、そうか。オレが一番なんだね、てへへ」なんて言うほど僕は馬鹿じゃない。ものすごくメタな位置に自分を置き、追随するクエスチョンに対する彼女の回答から総合的に判断する。いわゆる第三者の立場ってやつ。当事者じゃない状態で、彼女の好き度を評価する。
で、石崎ができなくて他の元カレができたような話を聞くと、僕は猛烈に嫉妬をする。呼吸ができなくなるくらい嫉妬をする。もちろん心臓も痛い。「あぁ、そんなに彼女は元カレのことを愛していたんだ・・・」なんて想像すると、なんか自分の中の世界が半分にパカッといっちゃった感じがしてしまう。たとえば、一個前の彼氏は会ったその日にデートをして、会ったその日にチューをして、会ったその日にセックスをしました、なんて情報を聞き出すと、僕はいてもたってもいられなくなる。だって僕はチューをするまでに15日もかかって、セックスをするのに19日もかかったんだから。(とかね。)
君が過去に好きだった人よりも僕は劣っている(英語でinferior) と解釈してしまう。もちろん、その時の状況、はじまりが友人からの紹介か否か、相手がプレイボーイかどうかでもセックスするまでの日数は変わってくる。だけど、僕があまりにも優れた人なら(英語でsuperior)どんな状況であろうと1日でセックスできたはずだ、なんて絶対に真実に辿り着けない仮定を一人で頭の中で反芻し、自分の心に爪を立てて傷を付ける。それが僕だ。
じゃあなんでその「最上志向」を捨てないのかって?
捨てるわけないじゃん。その最上志向のおかげで今は六本木に住んでいるんだから。最上志向のおかげでアメリカに留学していたんだから。最上志向のおかげでこんなに面白い赤裸々なブログを書けるんだから。僕に対して「なぜ最上志向を捨てないのか」という質問を投げて、それが愚問か否かを理解するためには「包丁で指を切る可能性があるから、包丁を捨てなさい」という質問を繰り返し音読するだけでいい。馬鹿げた質問だと理解するのに2回以上の音読を要しない。
“強み”ってのは、取り扱い方さえ知っていれば、とても有用なもの。指を切るリスクをヘッジするためだけに、”強み”そのものを捨てた場合、機会損失は計り知れない。その”強み”が偉大なものであればあるほど。
ちなみに、僕は自分の強みの取り扱い方を全く理解していない。(助けて下さい)
もしかしたら僕は自分が世界で一番の人間であると心底から信じれるだけの自信がないのかもしれない。「まあ、ゆーて日本一くらいでしょ」程度にしか思っていないのかもしれない。それだと、僕は悲しい。なんだ自分がトップだという自信がないのか、オレは。世界一になるまで僕は元カレの話を聞き続けるのかもしれない。そして心を刻むのかもしれない。
【2. 「嫉妬」の感情には中毒性があるから】
なぜ石崎は元カレの話を聞くと傷つくと分かっているのにも関わらず、意識的にも無意識的にも元カレの話を聞き出すのか?もしかしたらその答えは全くロジックでは処理できない、ひどく感情に影響を与えている何かではないだろうか?ウチの会社の創業メンバーの一人が最近タバコを辞めた。これまで散々「タバコはクソだから早く辞めるか、今すぐ死んでしまえ」と超ロジカルな説明を繰り返してきたにも関わらず、彼はちっともやめなかった。だけど最近、感情の部分にひどく影響を与える”ある出来事”が起こってしまったため、翌日から”ザラ(灰皿)”がオフィスの玄関から消えていた。(ある出来事は、あまりにもインパクトが大きすぎるので割愛です)
ロジックで諭されてもちっとも微動だにしない領域。それが感情。その感情の部分に絶大な影響を与えるのが「中毒性」。はっきり言って理解ができない、なぜ傷つくことを理解しながらわざわざそこに突っ込むのか。ロジックでは説明がつかない、何かがある。嫉妬という感情は中毒性があるのではないかと疑わざるをえないくらい、僕は何度も何度もジェラシーの海の飛び込み、ぼろぼろになって帰ってきた。嫉妬ジャンキーなのか?(そう言えば、今日の便で僕の隣の席にいた女性はリストカットジャンキーだった。あの肌を生で見ると、痛々しすぎて、ゲロがでそうだった)
僕はきっと嫉妬という魔法にかけられっぱなしなのかもしれない。
【3. ニーチェを信仰しすぎてメタな視点から離れられないから】
大学時代、ニーチェに傾倒した。超訳ニーチェの言葉が発売される遥か前からニーチェ本を読んでいたことを一応伝えておく。ニーチェはニヒルで有名な哲学者だ。すなわち「無がデフォルト」であると、信じる人だ。「何か理由があって私はここにいるんです」とか「生まれてきたことには理由がある」と思っている人たちと正反対の立場を取る哲学者。全ては無であり、人間が勝手に世の中の事象に意味や役割を与えているだけで・・・、という考え。(満開の桜の中にいるのは鬼であり、老婆であり・・・)
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僕もニーチェファンなので、ニヒリズムに強く影響されている(だから太宰も坂口安吾も)。で、どうなったか。全てが幻想に思えてしまい、自分の中から喜怒哀楽の感情が消えてしまった。いろんなことが抽象化されて、メタな視点から全てを見てしまうため、「ハマる」という体験がほぼゼロになってしまった。「英語さえできればオレの人生は絶対に幸せになるはずだ」と自分の取り組んでいる対象物があたかも世界の大部分を占めるのではないか?という錯覚・幻想をえられなくなってしまった。それはそれで寂しい。あの頃が懐かしくなってしまうのも事実だ。一つのことに夢中で、没頭している状況。現在、唯一自分に感情的なゆさぶりを与えてくれるのが嫉妬だけなのである。(やはりジャンキーかもしれない)
文責:石崎力也
追伸1:「この文章を今の彼女が見たらどう思うか?」という疑問はあまり意味をなさない。彼女は日本語を読めないから。
追伸2:そもそも僕がそーゆー人間だと分かった上で付き合って頂いているので、日本語を理解できたとしても無傷なのです。