コップに半分も水がある。
コンプに半分しか水がない。
どちらも同じ事実だけど、解釈が違う。
・・・本当かよ。
人生は解釈次第!が自己啓発セミナー講師の十八番です。僕も彼らのように言葉遊びでお金を稼いでいる節があるので、あまり彼らを強く責める気にはなれませんが・・・。
いやー、実は自己啓発セミナーってすんごい儲かるんですよね。岡田斗司夫さんと神田昌典さんが対談している(FreeEXの提唱者と日本一コンサルフィーの高い人っていう面白い組み合わせ)動画がYouTubeにあります。神田昌典さんが冒頭いきなり「8888888ってなんですか?」と岡田さんに聞いています。ああそれはパチパチパチという拍手の音なんですと説明する岡田さん。ニコ生の動画がYouTubeに転載されたのかな?
僕は見逃しませんでした。画面に「自己啓発界の親分」という文字が流れたのを。ビュワーの誰かが神田昌典さんを、そう記述した。神田昌典さんの功績といえば日本にダイレクトマーケティングを持ち込んだことですけど、世の中の大半は「非常識な成功法則」というフォレストのベストセラーに引っ張られて、神田昌典さんを自己啓発の大親分と考えている人もいるんですね。
実際、神田さんはそれを確信犯でやっている。コンサルタントとしても儲けられるけど、自己啓発の親分になったらもっと儲けられると。もちろんアメリカのスピリチュアル市場が1兆円規模であることを神田さんが知らないわけがない。これ、フリーランスでビジネスをやっている人なら、多かれ少なかれ、自己啓発を教えることの旨味に気づくはずです。
この自己啓発市場をどう捉えるか。良く捉えると、自分を啓発しようとするポジティブな人たちが沢山いる。悪く捉えると、元気の出る言葉に反応してしまう頭(と心)の弱い人たちが沢山いる。
冒頭で説明した「あれ」。自己啓発セミナーの講師がよく使うネタの1つ。「コップの中に水が半分もある」というのがあります。
コップに水が半分”しか”ないと思うのか、それとも半分”も”水があると思うのか、ってやつ。
どっちでもいいやん。笑
解釈を変えるだけで人生がバラ色万歳だぜ、みたいな。
これほんとに信じてのでしょうか。慎重派の僕はまず中に入っているものが本当に水かどうかを進めます。中に入っているのが水だと信じ込み、長年時間を投下してきたけど、改めてもう一度調べてみると実は水ではなかった・・・。こんなケースは頻繁にあります。
取り敢えず泉丘高校に行っておけば幸せになれる。取り敢えず公認会計士になっておけば食いっぱぐれない。取り敢えず大学生中に世界一周しておけば就職で有利。取り敢えず長男だから地元に残った方が良さそう。取り敢えず結婚して子供を作らなきゃFacebookでの見栄えが悪い。取り敢えずシェアハウスに住めば人脈ができてしかも家賃を節約できる。取り敢えずイケイケのベンチャーに就職しておけば将来起業する時に役にたつ。
こんな戯言を信じて、人生が崩壊し始める人、多けり。
まず、自分が参加しているゲームから得られる戦利品を見極める。得られるものを知らずにレースに参加する人がいかに多いことか。ビートルズがこう歌っています。Life is very short. There is no time for fussing and fighting, my friend. (fussingってのは心配事、fightingは喧嘩)
中に入っているのが水であると確認できたら、次はその容器の大きさを調べます。
どうせ半分あるならその容量は多い方がいいですね。だって、100万円の半分を相続するよりも1億円の半分を相続したほうがうれしいに決まってます。ビジネスで言うならばより儲かるジャンルを選定するといったところでしょうか。
この「解釈を変えることで人生がより良くなる」という考え方は最近流行のシェアハウスに現れてるような気がします。貧乏な学生や社会人が同志を募り賃貸を折半して住む。これって根本的には何も解決していません。特にライフスタイルの異なる人同士が同じ家に住むと悲惨です。あと神経質な人も無理。そういった居心地レベルの話は、本質的にはどうでもいい。本質的には、誰も貧乏を解消できていない、という点です。
こんなエピソードもあります。人づてに聞いた話ですが、心を半分病んだ人が複数出版している(自称)コピーライターに会いに行ったそうです。「親から”お前なんか産まなきゃよかった”と言われたのが、未だにトラウマになっている」と相談しました。すると彼はこう言ったそうです。じゃあ、ちびまる子ちゃんの声で”お前なんか産まなきゃよかった”と何度も言ってみて、心が軽くなるから、と。
この話を聞いて、僕はそのコピーライターを大いに見下すと同時に、こんな風に心の弱い人をカモにするビジネスが日本中に存在していることを確信しました。ちびまる子ちゃんの声で言ったところで、根本的な事はなにも解決していませんよね。シェアハウスと同じです。僕が相談者だったら、トラウマを余計強めてしまうかもしれません。
他にもエピソードはまだまだある。ジムキャリーが主演のイエスマンという映画があります。自己啓発セミナーにたまたま参加して、イエスの魔法を手に入れた。あらゆるオファーに対してイエスを言うことで、人生が好転してゆくという分かりやすいドグマ。そのイエスマンの日本人ヴァージョンが存在しているそうです。その日本人は、イエスを言う代わりに、とにかく相手を褒める。褒めて、褒めて、褒めまくる。子供が漢字テストで30点を取れば「凄いねー、天才だよ君」と褒めるらしいです。その方が自信を喪失せずに済むんだってさ。まじかよ。
日本で生きている限り、漢字が読める程度のリテラシーがなかったら、並程度の社会生活を送れるとは思えませんけど。やはりこの褒めまくる発想も、どこかがおかしい。漢字テストで30点とった子供を褒めちぎり、自信を喪失させないようにする。うーん、根本的には何も解決していませんよね。
シェアハウスして不自由を取り色んなことに我慢するくらいなら、その我慢するエネルギーを「お金を稼ぐ」ために使ってはいかがでしょうか。多分そっちの方がトータルでは幸せになれそうです。貧乏脱出するためにはシェアハウスではなく、お金を稼ぐスキルをつけるべきだと思いませんか。今手元にある手取り10万円をどのように使うか考える暇があれば、手取り100万円にするために何ができる知恵を絞った方が健全だと思いませんか。
コップの中に入っている水を「半分もあるぜ」と解釈する暇があれば、そのコップを満杯にするために何ができるかブレインストーミングした方が、たぶんハッピーになれる。言葉遊びで一時的な幸せを得るのはどこか不健康な発想だと思います。少なくとも名言や格言などで自分を慰める暇があれば、街に出て儲けのネタを探した方が、より健康的だと僕は感じてしまいます。
なぜこういった言葉遊びのゲームが流行るのでしょうか。なぜ名言メルマガが読者を集め、格言まとめがアクセスを集めるのか。答えは単純で大衆がそれを欲しているからです。問題に向き合うのが怖い大衆は、言葉遊びで努力なしにそれを解決しようとします。努力をすることなしに今僕たちの抱えてる問題を、この瞬間に解決することができる。やることはただ一つ。解釈を変えるだけ。
・・・そんな馬鹿な。
僕たちはそういった自己啓発セミナーで多用される「耳心地の良い言い回し」に翻弄される事なく、問題の本質を突き詰め、正面からその問題に立ち向かって行きたいものです。