浦安鉄筋家族(コメディー漫画)をご存知ですか。
ストーリーの1つを紹介します。
主人公の小鉄がドライバーを手にして目に入る全て(例えば教室中の机等)を分解するというシーンがあります。
彼にとってはあらゆるものがネジに見えてしまったのでしょう。だって彼はドライバーを持っているんだから。金槌を持つ人にはすべてのものが釘に見えるという表現がありますが、あれも同じこと言ってますね。ツールの数が少ないといろんな状況に対応できないことを指摘しているのです。どちらかというとネガティブに使われることが多いようです。
僕なんかはこの表現がぐさりと刺さるタイプでありまして(少ないスキルと能力でやりくりしながら生きているので)いつも聞くために耳が痛くなります。例えば一眼レフのカメラを買えば、目の前に映るすべての世界がカメラでとるとどうなるだろうという視点で見てしまいます。夕陽を心底から綺麗と思えるようになったのもカメラを持ってからでした。
自分自身のライフスタイルを肯定するために日本国内にとどまり日本の企業に就職し日本語だけを話す同級生をドメスティック人間と言って馬鹿にすることがありますが、何を隠そうこの僕自身が地元の金沢にはまってしまっています。ドメスティック人間とは僕のことなのです。浅野川を眺めながら世界で二番目に美味しいメロンパンを頬張り(知人に聞い勧められてはじめて知りました)、冬にはブリ大根を美味しい美味しいと言いながら食べる。
カメラを持ったおかげで今まで気づかなかった金沢の景観がドンドンと目に飛び込んできます。20年近くも住んでいるのに1度も通ったことのない道を味わうようにゆっくりと歩き、高校時代に毎日使っていた通学路から様々な歴史的建築物を発見しながら「最近立ったのかなぁ」とかテキトーなこと言うわけです。
カメラはビジュアル限定なので音声を記録することができませんが、それでもカメラを持ったおかげでこれまで聞いたことのない音(例えば自宅の後を流れる犀川のせせらぎや、繁華街・片町の酔っ払いオーケストラ、草むらにいる虫たちの鳴き声など)を発見します。視覚だけではなく、聴覚でも、新しい金沢を発見するわけです。
カメラというツールが人生に追加されて初めて、夕日の美しさを理解したわけです。
何か新しいことを始めるのは、それ自体が楽しいのではなく、そこから見える新しい景色が楽しいんだと僕は解釈しています。
最近よくネタに出てくるうちの息子。まだ6ヶ月。生後6ヶ月の赤ちゃんです。一応人間の形はしていますがまだハイハイをして前に進むこともできないし歩行器を使ってもバックすることしかできません。もちろん一人で座ることもできないし、一人食べることもできません。文字を読めないから当然本も読めないし、Apple TVを通してみる60インチの映画にも興味を示さないし、PS4でバイオハザード6をしていても「あっそ」みたいなリアクションです。君はつまらない人生を送っているね、本当に、と親心に思うわけです。
親バカなので「今パパって言った」と連呼すると、狼少年のそれと同じく誰からも相手をされなくなりました。最近僕がディクテーションした息子の単語は
「うめー、うめー」
「アンプ」
「アップル」
の3つです。もちろん誰も信じてくれません。でも僕の耳には確実に彼がそう言ったように聞こえるのです。
うちの息子はツールではありませんが、息子を持つことによって新しい視点を獲得したのは事実です。
例えば息子は車を怖がります。怖がると言うよりはどちらかと言うとストレスを感じているようなイメージです。この世に生まれてきたばかりの人間は、自分たちの横を猛スピードで通り過ぎる鉄の塊に対して恐怖を感じるわけです。少し考えてみれば分かることですが、車の発明なんてのは人類の長い歴史に比べたらごくごく最近のイベントなので、まだ僕たちの体は車のない世界に慣れきったままなんですね。
それを無理やり(意識的に)慣れさしてきたのが現代人なのです。もちろん完全に慣れることは不可能なので、日々車が横を通り過ぎるたびに無意識ではかなりのストレスを感じています。都会に住む人が、たまに自然のある場所に行きたいと思うのは、これら人工物がもたらすストレスから解放されたいという思いがあるからでしょう。
他にもこんな例があります。赤ちゃんが一つのものを観察する手順で世界をまじまじと見ると、ディテールが急に浮かび上がってくる。今年も桜は綺麗でした。うちの息子も人生で初めての桜を見ていました。僕は横に整列した桜の木々を見て「ああ、綺麗だな」と感じたのですが、息子の場合はもっぱら桜吹雪に心を奪われている。僕は静止画としての桜を楽しみ、息子は動画としての桜を楽しんでいるわけです。なるほどそういう視点もあるのかと一人感心していました。
金槌を持つ人には全てが釘に見えるように、カメラを持つ人には全てがカメラ視点で見えるようになり、子供を持つには全てが子供視点で見えるようになる。
大げさにいうと、目の前の世界がガラリと変わったわけです。特別努力をするでもなし、ただ新しいことを始めただけ。それだけで世界は変わる。
僕たちが年始に「今年、新しく始めたいこと」を決めるのは、「今年、新しくみたい景色」があるからではないでしょうか。新しいことを始めれば世界が変わる。ツールを変えれば世界が変わる。
今年はどんな新しい世界を見たいか?を基準にして、新しく始めることを探してみるのも面白いかもしれませんね。