どうも石崎です。セプパシフィックでチケットを4枚取りました。息子はまだ赤ちゃんなので「Lap Child」という扱い。つまり膝上チャイルド。まだ一人で座れないしね。膝上でしか活躍できない我が子も、将来は飛行機にバンバン乗り世界を股に活躍していただきたいと願う次第であります。
フィリピンに3ヶ月行くのですが、目的地は少々マニアックです。カタンドアネス島。飛行機はMWFのみ。月、水、金。とにかくジャングル。僕が初めてこの地を踏みしめ最初に発した言葉は、わーおプリミティブ。料理は外の焚き火を使う。木登りしてココナッツを取る。消灯は日没と同時に。夜は真っ暗。電気の供給量が足りていないんです。(東南アジア・フリークは意図的に電気のない場所へ行きますよね)
道路には「鶏に気を付けろ」の標識。
自動車学校のシュミレーターでいろんな人が左右前方から飛び出して来たのを思い出しました。まさか鶏やチック(ひよこ)が左右から飛び出してくるとは想像していませんでしたが。ちなみに車のドライバーは御構い無しにチックを轢き殺します。可哀想です。
本当にリラックスしたけりゃ観光スポットに行くな!が信条の僕たち。夕日が空一面を真っ赤に染めて、遠くの町から順番に闇へと落ちてゆきます。自然の中で生活していると、闇にも濃度があると気付きます。
闇の中でも明るいのは、人。見えなくてもそこに奥さんの気配がある。次に空。月明かりの大半は森の木々に吸収されます。月光の届かない部屋の中が最も暗い。
いや、一番暗いのは人です。簡単にこじ開けられる扉が、真夜中に音を立てる。トントントントン。大抵は近所の人が「ソイソース貸してくれ」とか「日本人と話したいんだ」みたいな何故今?的なオファーがほとんです。残りが海風。なんたって島ですからね。
ヒュー、パタンパタンパタンって、海風のノックがある。これがもし窃盗団とかだったら怖いなっていつも思うです。海外旅行保険たっぷりかけてあるから、切りたかったら切れよとも思うんですけどね。死ぬこと以外、全部かすり傷ですから。(出典は中島薫大先生です)
結局、極端が好きなんだなと思うわけです。日本である限り電車で行けるとこなんて、どこも近代化が進んでいて、青春18切符を使っても本当の田舎にはとうとうたどり着けません。東京都港区のど真ん中で仕事をしていた僕たちは、闇を求めて渡航します。秘境中の秘境みたいな場所に。井戸から水を汲み、一から火を起こし、日没とともに就寝する。
僕が日本で培ってきた極微なキャリアは、いよいよフイリピンの片田舎では効力を失います。人間関係が一時的にリセットされ、機械的に暗記してきた情報は闇へと消えていくわけです。ネットに残したテキストや動画などのログは、まず100%この島の人たちは知らない。
そこで自由が生まれるんです。
過去の自分を継続しなくてもいい。それがすごい楽で。みんなが知っている石崎力也じゃなくてもいいという事実が心を軽くするんです。
自分を変えたいと思ったことは一度もありませんが、自分の役割を置いていきたいと思ったことは多々あります。特にそれが、誰の役にも立っていなくて、ちっとも世界にいい影響を与えていないのであればなおさら。そうやって旅先で自分の棚卸をし、一つ一つ重荷を外していくのが年単位での家族イベントとなっています。このイベントはハロウィンやクリスマスよりもよっぽど大事です。
あ、奥さんはカトリックなのでクリスマスも同じくらいに重要ですね。たぶん。今度聞いてみます。ねえねえ君にとって、クリスマスってどれだけスゲェの?って。
毎年自分の誕生日に世界中が歓喜するなんて、なんてジーザスは幸せなんでしょうね。ブラジルではアイルトンセナの命日が交通安全の日になっていると人づてに聞きました。僕の命日は何の日になってくれるのでしょうか。メルマガの日とか、ブログの日とか。だせぇー。
取り敢えず、出国の日まで役割を演じ切ります。
石崎力也拝