どうも石崎力也です。
またバイクの上からです。
4分漕いだところ。
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親戚の自閉症の子
こんな短時間の運動でぶわぁと汗が出ます。子供の頃からずっとそうでした。なんでだろう。汗っかきって体質なんでしょうか。誤ってバームを飲んでしまったら、それこそ滝のように汗が噴き出します。
*バームは脂肪燃焼を促すスポーツドリンクです。
今日フィットネスジムに来る間オーディオブックを聴いていました。いつも何らかのオーディオブックを聴いていますね。好きなオーディオブックは書籍も購入して、二回聞きます(読みます)。今聴いているのは、バンクーバーにいるときに購入したものです。聴くのはこれで3回目です。東田直樹さんの飛び跳ねる思考という本。
僕の親戚に言葉を話せない自閉症の子供がいます。うちの奥さんはいつもその子を気にしていて、チャンスがあれば一緒に遊ぶようにしています。この前はプレゼントとして、車のロゴがプリントされたリュックサックを購入しました。彼の家のゲートを開けると走って僕らの元へやってきてすぐにプレゼントを奪取。すごい喜んでいました。よかった、よかった。
伝わらなくてもいい、でも理解したい
その子は7歳で全く言葉が出ないので自閉症の子はてっきり言葉を理解できないと思っていましたが、どうやらそんなことはないよう。現実に東田直樹さんが言葉を操っている。僕の綴るセンテンスよりも何倍も何十倍も上手に、言葉を紡いでいます。彼の言葉を聞くと、マニラにあるアヤラモールを思い出します。奥さんと新婚ほやほやだった当時、アヤラモールにある露天スタバで抹茶ラテを飲んでた思い出です。なんでだろう。僕も分かりません。少しだけピュアな気分になれるのです。
本(オーディオブック)の中でこんな一文がありました。
「想いを伝えられないよりも、相手の想いを理解できない方が辛い」
ニューヨークではじめての海外講演を終えた東田さんにインタビュアーが質問する場面です。緊張しましたか。心配でしたか。長距離の飛行機はどうでしたか。一連の質問に答える中で東田さんがポロっとこぼした言葉に僕は強く共感したのです。
例えば海外に行った時そこにあるコンテンツを理解できないと、ひどく落ち込みます。言語が違うから当たり前と言えば当たり前なんだけど、それでも悔しい思いをします。仮に言語が同じでも理解できないと少し悲しい気持ちになります。
一旦、英語圏に留学が決まると、すぐに英会話を始める人が多いですよね。僕は違和感を覚えるんです。苦労するのは喋りではなく、聞き取りでしょうと。そもそも日本にいてそんなに伝える機会なんてなくないですか。いわんや、海外をや。
言葉の消費に時間が費やされる
僕のように言葉で食っている人間ですら日常のほとんどは言葉の消費に費やされています。自分から発信する内容なんてのは、消費した内容の100分の1にも見たいなでしょう。映画を見て、音楽を聴いて、本を読んで、奥さんの愚痴を聞く。海外にいる時も目をキョロキョロと動かしながら眼前に散らばるコンテンツの消費に生命時間を賭すわけです。だから目の前に飛び込んでくる情報が理解できないと悲しい。つまんない。
なんで石崎さんは英語を勉強したんですかと問われれば、リスニングのためですと答えます。リーディングのためでもあります。実際に話したり書いたりするための訓練よりも、聞いたり読んだりする訓練を10倍近く積んできました。感覚値ですけど。
英語技能のうちリスニングやリーディングを「受動的な能力」と呼ぶ人がいますけど、トンデモナイ。こんなにアクティブな活動はあるかよ、というくらい僕は積極的に読んで聞いています。前のめりになって目の前の会話を処理しています。
Airbnbを通じて知り合ったホストとの会話は、基本的に相手(ホスト)が話します。酒を飲んで腹を割ったとしても僕は相手の話を前のめりで聞いている。自分の話なんてどーでもいい。僕の英会話スキルが低いという欠点を割り引いても、やはり聞くことに意識を注いでいる。意識的な活動ではなく、自然とそうなるんです。ちなみにホストは常に英語ペラペラであるとは限りません。マレーシア人、フランス人、英語を母国語としないカナダ人と、英語でベラベラとやるわけです。
英語で聞かれることなんていつも一緒
考えたらわかることですが、どこの国に行ってもこちらが話すことなんていつも一緒です。一定の質問に対して一定の答えを返すだけ。「職業は?」「旅行を終えたら何をするつもり?」「なぜ世界一周しているの?」「子供は何語を話すの?」
モンゴル出身のお相撲さんが来日数週間で日本語を堪能に操るのはインタビュアーの質問がいつも同じだからです。「精一杯頑張ります」「ごっつぁんです」「嬉しいです」「練習して強くなります」・・・
どの本に書いてあったか忘れましたが朝青龍があれだけ叩かれたのは日本語が上手過ぎるからだそうです。テキトーにあしらっておけばよかったものの、あまりにも日本語の能力が高いために彼は意図を理解し反論し大衆を不用意に刺激してしまったと。真相は分かりませんけど。
一を聞いて十を知る、は冷静に考えて不可能です。おそらく話者は十を喋っているんです。しかし僕らの不注意で一しか聞こえていない。だから十を聞いて十を知る人のことを「頭が良い」と形容するのではないでしょうか。
想いを伝えることより、相手の想いを知ることの方が何倍も大切だと僕は考えます。東田さんに強く共感したのはこうした考えがあるからです。伝えることよりも、理解することの方が何倍も大事だと感じるわけです。職業柄・・・ってのものありますが。
最近になってようやくコンテンツを楽しめるようになってきました。かつてできなかったことが、今になってできるようになったのです。
歌詞カードを開いてミスチルを聞いてみます。
耳を澄まして風の種類を聞き分けてみます。
外に目をやり花鳥風月を意識します。
目の前にいる人の話を文脈ごと理解しようとします。
なるほど風の速さに応じて異なる種類の風音があるように、これまで僕が一括りに処理していた情報にも固有の意図があったのではないかと、考えます。まずは十を聞いて十を知る境地を目指して。
石崎力也