数千年前の人のミイラを博物館のショーケースに展示しながら、今日亡くなった身内の身体をそのまま砂漠に埋めて祈る。人間と地球のなんと深い契りでしょう。エジプトのミイラや共産主義国で保存されている遺体は権力者や王族のものです。死後まで死体が残るのは「ものすごくエライ人」だけなんです。エジプトでミイラが安置されるピラミッドを、生涯かけて作り上げた多くの奴隷たちの体は後世には残りません。
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ドラッカーは「情報と知識を区別せよ」と言う。本を読んで得た情報、セミナーに参加して得た情報はただの情報。情報を使って現実世界でなんらかの成果を得られるものが知識。大学生の僕はこの概念に出逢い、自分を斬ろうと思った。毎日本を6冊読む!と目標をかかげて図書館の本棚にある本を片っ端から読破していた日課がストップしたのはこの日。「オレの頭の中にあるのは情報だけじゃん!」ってひどく後悔したのは大学2年生の春セメスターが今にも終わりそうな7月だった。くそ、オレの18ヶ月はなんやってん・・・。
僕が「情報>知識」の人間なら、ちきりんさんは「情報<知識」のような人。旅行とはいえ、旅行記が既にフィールドワークの研究結果みたいになっている。ちきりんさんと同じ国を訪れていたにも関わらず全く違う世界を見ていた大学生の僕。そこに優劣は存在しないんだけど(たぶんね)、情報優位の僕にとって、ちきりんさんの世界の見え方は羨ましいな。そんな見方を得られたら、認識できる世界の様相はがらっと変わるはず。年を重ねるごとに、自分の知識や経験にも年を重ねられたらいいと思う。10を聞いて10を知れる人間になりたい。(1を聞いて10を知る人間がいるって数学先生言っていたけど・・・いるわけないじゃん)
「行った先のメキシコでデノミを経験」なんてそもそも旅行した回数である母数が大きくないと遭遇しない。数を打った人じゃないと。母数を大きくするためには当然お金は必要になってくるんだけど、無競争市場から競争市場に変わったこの航空マーケットはこれからもどんどんと値段が安くなるはずだから、海外にいる時間を絶対的に増やしたい僕みたいな人はまず「働き方」を考え直さなきゃいけない。お金の心配よりも、海外に行くだけの時間的自由があるかって話。文字通り、世界を歩いて考えたい人は、そもそも時間的制約の強い組織には属していられない。訪れた先の国でデノミを経験したい、旧通過から新通貨へ変わる瞬間を体験したい人は組織には属せないや。
こーゆー旅行記や世界遺産系の本を読むと「オレも行きたいな!」って気持ちが先行し「じゃあどうやったら行けるの?」って手法を探す思考が後からついてくる。極論「どう生きたいの?」に辿り着く。そんな意味で定期的に読むべきカテゴリです、個人的に。
石崎力也
追伸:あ、むっちゃいい本でした!フツーに面白い。