そうしてぼくは、あらためて「作品」というものの不思議さを思いしらされた。作品は、必ずしも作者の思惑通りに作られるわけではない。往往にしてそれを逸脱し、超越する。むしろ超越するようでないと、すぐれた作品には成りえない。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 50
しかしその中で、やがて自分の限界に突き当たる。端的にいうと、放送作家としての能力がなかったのだ。 そのため、途中、小説家への転身も図ったが、これも失敗した。そうして以降は、再び放送作家に戻って、秋元さんのアシスタントという形で働いてきた。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 111
もしドラ』における時代の「読み」で一番重要だったのは、「これからは学問的な価値を持つエンターテインメントが求められるだろう」というものだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 149
その頃の愛読書は、『東京ウォーカー』や『ぴあ』といったタウン誌だった。それらを購読し、何か新しいスポットが紹介されていれば、行って自分の目で確かめるというのを習慣としていた。 そんなふうに、いろんなものを観察することが、時代の変化を読む最善の方法だと思っていた。だから、可能な限り動き回っていたのだ。 ところが、そういうやり方をしていたら、時代の変化が読めなくなった。やがてクリエイターとしての能力を低下させ、フリーランスとして通用しなくなってしまった。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 207
でも、新しく入ってくるテナントのオーナーは、どうしてそんな呪われた店に入るのだろう?」 その店に入れば、高い確率で潰れてしまうことは分かっているではないか。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 221
以来、ぼくはなるべく規則正しい生活を送るようにしている。毎日、あまり変化のない生活を送るよう心がけている。そうすることによって、動き回っていては気づけない、微細な変化にも気づけるようになるからだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 239
一つは、不況。 二〇〇八年に起きたリーマンショックの影響で、この頃は再び景気が悪くなっていた。それに伴って、人々の財布の紐も固くなり、無駄遣いが極端に嫌われるようになった。 そうした中で、コンテンツの消費においても、やっぱり無駄遣いが嫌われた。つまり、「買って失敗した」という状況を、人々は極力避けようとするようになったのである。だから「つい買ってしまった」という衝動買いが少なくなり、代わりに「面白そうなものを吟味して買う」という計画的な買い方が広まった。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 269
つまり、二〇〇九年の頃には価値観の細分化が進みすぎたあまりに、ファン同士で一つのコンテンツを共有する楽しみが失われてしまっていた。そのため、揺り戻しが起こって、逆に価値観の再統一化が図られようとしていたのである。みんなで同じコンテンツを共有し、互いに感想を言い合うことに楽しみを見出そうとしてい
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 299
もしドラ』にははっきりとしたモデルがある。それは『ダ・ヴィンチ・コード』だ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 310
モーツァルトは、先行するメロディのコラージュを何より得意にしていたという。彼が湧き出る泉のように作曲できたのは、同時代人の誰よりも多くのアーカイブを記憶の中にストックしていたからだとも言われている。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 345
そうしてぼくは、もし何かコンテンツを作るならば、それはアーカイブ──先行する作品を引用したものにするべきだ──との考えを、この頃までに固めていたのである。そして、それをするときは大胆に、いっそタイトルにまで入れるべきだとも考えていた。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 354
彼の描く絵は、そうしたアカデミックな素養に裏づけされてもいた。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 379
ということだ。 以前、テレビの仕事をしていたときに、雑学を紹介する番組に携わっていたことがあったのだが、面白いうんちくや雑学には、一つの基本的な型があった。 それは、「誰でも知っているものの知られざる側面を紹介する」というものだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 393
を、「殺人事件」という王道のエンターテインメントと組み合わせた、
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 406
どうやら日本人の男性には、若い女の子が好きだという思いがある一方、「あまり若すぎたら好きになってはいけない」というアンビバレンツな気持ちが存在しているのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 449
一七歳なら、自分たちの好きな若さを味わえるのと同時に、ロリコンと揶揄される可能性も少なかったのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 462
ぼくの「アイデアを出す方法」には、いくつか前提としている考え方がある。 そのうちの一つが、「完全に新しいアイデアはこの世にはない」というものだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 472
そんなふうに、いわゆる「天才の中の天才」といわれるモーツァルトですら、生まれ持った才能というよりは、後天的に身につけた「知識」を、発想や創作の拠りどころとしていた。それを知ったことにより、ぼくはますます「知識」を蓄えることを積極的にするようになったのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 538
ところで、ぼくは自分の「面白いものを見分ける嗅覚」を信頼している。自分が面白いだろうと予想したコンテンツがつまらなかった経験が、これまでほとんどないのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 581
小説家の高橋源一郎さんは、かつて「その小説の真価は書き出しを読んだだけで分かる」と言った。さらに橋本治さんは、「タイトルと著者名を見ただけで分かる」と言ったそうだ。 この二人に限らず、「たった一つの文章の中にも、その作品が凝縮して現れる」と考える評論家は多い。 ぼくも、この考えに与する。これまで何冊も本を読んできた中で、文章をほんの少し読んだだけで、その本が自分にとってどれほどの価値か(どれほど面白いか)というのを見抜けた経験を、何度となくしてきたからだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 723
二つめの気づきは、面白いものを考えたり作ったりする能力には、つくづく価値がない──ということだった。それについても、骨の髄まで身に染みて実感させられた。 ことここに至っても、ぼくは、ぼく自身の能力に対しては露ほども疑いを抱いていなかった。このときのことを話すと、よく「自分の能力のなさに気づいたということですか?」と誤解されることがあるけど、そうではなかった。ぼくは、自分の能力は依然高いと思っていたけれども、しかしその能力自体に価値がないと、初めて気づかされたのである。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 955
そのことをつくづくと実感させられたぼくは、プレゼンテーション能力がほぼゼロに等しく、面白いものを考えたり作ったりする能力しかないぼくという人間は、エンターテインメントの世界では全く価値がないということに気づかされた。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 965
あの、ベンチに座って考えたときの気づきというものは、時間が経つと、残念ながら忘れてしまうという性質があった。人間にとってのプライドというのは、浴槽にこびりつく水垢のようなもので、気がつくと、心にびっしりと貼りついているのである。だから、それは単に気づけばいいというものではなくて、常にメンテナンスが必要なのだった。 「自分は虫けらだ。自分には価値がない」 ぼくは、ことあるごとに自分にそう言い聞かせながら、運転手として働き始めたのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 1005
ところで、この頃のぼくというのは、基本的になんでも自分で決めないようにすることをモットーとしていた。ここ一〇年で、唯一自分で決めたのは秋元さんの会社を辞めたことくらいで、後は全て、状況に押し流されるままにやってきた。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 1906
そうして最後には、自分でも思いがけない形でラストシーンができあがり、書き終えてみると、それはまるで自分が書いたもののようには思えなかった。それよりも、もともと存在していた物語を、たまたま見つけてきて書き写したような感覚がした。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 1984
それは、一九七八年に行われた第六〇回大会の、高知商とPL学園の決勝戦だった。この試合、PL学園は九回の裏まで〇対二で負けていた。しかし、そこで一点を返すと、なおも二死二塁のチャンスをつかんだ。ここで迎えるバッターは、PL学園の四番、西田真二だった。 ところがこの西田、初球のとんでもないボール球を空振りするのである。それでぼくは、「ああ、こんなボール球を振るようではもうダメだ」と思った
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 2517
なんと西田は、緊張をほぐすためにわざと空振りしたのだという。ぼくはそれに、強烈なインスパイアを受けた。 甲子園の決勝で、わざわざストライクを一つ献上してまで緊張をほぐそうとする肝の据わった人間が、この世には存在する。いや、逆にいえば、それくらいの肝っ玉がないと、あの場面でヒットを打つことはできないのだ。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 2525
ぼくは、ぼくに対する自信がない。しかしながら、ぼくが好きな作品に対する自信なら、誰よりもある。 子供の頃好きだった『ドリトル先生』が面白い小説であることには、自信がある。少年時代に夢中になった野球が面白いスポーツであることには、自信がある。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 2547
そんなふうに、自分ではなく、他人が作った作品を面白いと思うことには、揺るぎない自信があるのだ。 だから、それらの良いところを組み合わせた『もしドラ』が、面白くないはずはないと思ったのだ。それは、本当の意味での「自信」ではなく、あえていえば「他信」だった。
岩崎 夏海, 『もしドラ』はなぜ売れたのか? (Japanese Edition), loc. 2552