小春日和の暖かさは、別れを決意した相手がふとした瞬間に見せるやさしさにも似て、惜別の思いをかえって募らせることがあります。「これが最後だろうか」と思いながら味わう日だまりの中のひとときは、それが穏やかであればあるほど、私にはせつなく感じられてしまうのです。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 49
コピーもこのくらい鮮明に記述できるようになれば・・・ただこれは他人の死を扱う内容なので、倫理的に題材としてはいけまs年が。
四十年を超える結婚生活にはいろいろなことがありましたが、いくつもの苦難を乗り越えたあとに迎えた人生の晩秋を、私たち夫婦はとても大切に過ごしてきました。 やがて訪れる冬を思い煩うことはやめにしよう。 一日一日を丹念に生きていこう。 二人でそう決めてからは、どちらからともなく、 「今日も一日よろしくお願いします」 「今日も一日ありがとうございました」 という言葉で朝晩の挨拶を交わすようになっていました。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 60
毎日「よろしくお願いします」ではじめて「ありがとうございました」で終わることができたら1日はどれだけ尊く扱われるでしょうか。ビジネスも基本的にはルーチンの積み重ねですけど、ルーチンの前後に儀式なものをかますだけで、いや儀式じゃダメで、もっと自然と湧いてくる気持ちで取り組むことができたら、どれだけ濃い作品や商品を作れるでしょうか。
大正生まれの私は、仕事一筋を「男の美学」としてきたようなところがあって、家事や家計、税の確定申告までの一切を妻にまかせきりにしていました。そのツケは大きくて、極端に言えばガス栓の開け方から風呂の火のつけ方もわからず、預金の出し入れもできない人間になっていました。以前、妻に先立たれた先輩から、貯金通帳やはんこのある場所もわからなくてとても困ったという話も聞いていたので、この機会に妻から家事の特訓を受けることにして、家事無能力者からの脱皮を目指したわけです。
これ、驚きですよね。現代的夫婦は、妻も夫も子供みんなマネタイズできて、みんなストリート知識を持っている・・・のが理想ですね。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 215
ん。大先輩の奥さんは最期に「私はだまされた」という言葉を残していったという話をどこからか聞いたことがありました。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 333
これ本文に出てくるXXさんじゃないかな。大先輩として一人しか名前を挙げてなかったからね。いずれにせよ伴侶の最期に「騙された」なんて言われる人生設計が認められている日本がショボいよね。それに気づかない日本人もショボいけど。
「胆管細胞ガンです」 一瞬、言葉を失いかけましたが、気をとりなおしてすぐに聞き返しました。 「それじゃ、長期戦になりますか?」 「いえ、これは短期です」 愕然としている私に、先生はこう続けました。 「残された時間は、週、または日の単位で考えてください」 照っても降っても、心は嵐 言葉で言い表せないほどのショックを受けていました。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 399
長期戦でも大変なのに、それを超える言葉を言われたインパクトはハンパないはず。つまり大方の人が予想しているスカラー値よりも大きな値を出せるようになると、それがインパクトとして人の心に残る・・・という原理ですね。
逆に、これまで何気なく見過ごしていたものに目が留まるようになっていました。これといった特徴のない道も、「ああ、ここは妻と一緒に歩いたことがあったな」と振り返って、「あの頃にくらべて、今の私のザマは何だ……」と自己憐憫にふけってみたり、仕事先から病院へとかけつける電車や飛行機の中では、それぞれの乗客が、みなそれぞれの事情を抱えて目的地に向かっているように見えてきたり──。この中には、きっと私と同じように悲しみのどん底にいる人もいるんだろうな、と思ったりもしていました。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 409
養老孟司さんが知識は目の前の景色をガラリと変える・・・と言ったけど、まさに「妻がいない」という新しい知識が倉嶋厚さんの景色をガラリと変えてしまったわけですね。
別れの日が刻一刻と迫っているというのに、私は断りきれなかった仕事を抱えて、相変わらずばたばたしていました。 余命いくばくもない妻をおいて仕事に出かけていく私は、いったい彼女の目にどう映っていたのでしょう。病床にあっても、寂しいと口にしたり、そんなそぶりを見せたり、弱音をぶつけてくるような妻ではありませんでした。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 519
実はこういった言葉が僕の中で積み重なって「あぁ、今日が最期のつもりで24時間一緒にいよう」と思うようになったわけですね。毎日最期を迎える妻と僕と、子供ですが、今の所みんな生きています。
時々無性に申し訳ない気持ちになります。若い頃はそれこそ、「青春時代のまんなかは、胸にとげ刺すことばかり」で、人を傷つけても、そのことにも気づかないほど自分のことでせいいっぱいでした。そういう傷つけ合いをいくつも経験するのが青春で、しかし、そこで受けた傷も与えた傷も、時間が経てば治ってくるのがまた青春というものなのでしょう。少なくとも、あの女性にとって、そうであってくれたらと願っています。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 681
僕らみたいなまだモラトリアムな人間たちには、彼らのような気付きの量が圧倒的に少ないわけですね。
「冷たい言い方に聞こえるかもしれないが、君はいま人生で、〝遅れ〟をとったのだ。たぶん、それはいつまでも君の人生につきまとうだろう。人それぞれに、いろいろな不利の条件がある。君には、その条件が、いま新しくできたから、不幸と感じるかもしれないが、不利は不利として、敢然と背負いこむ以外に道はない。禍転じて福となるなんて思わないほうがよい。辛抱とは、そういうものだ──」
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 751
これ、リアルですね。大器晩成とか、人間万事塞翁が馬とかいろんな言葉があるけど、ものすごくフラットな気持ちで考えてみると、確かに「遅れ」は「遅れ」ですよね。「遅れのおかげで・・・XXなった」という文章があまりにも定型的すぎて、そろそろ「遅れは遅れです」と誰が言い出した方がいいのでは?と思うほど。僕は言いますけどね。大学受験に失敗したおかげで、とかあの時振られたせいでで、とかタダのマイナスファクトの羅列ですからね。
留守宅のドアの鍵をかけようとした妻が、めまいで倒れてしまったのです。同行の姪が出発中止かどうか迷ったあげく、ようやく羽田まで来て旅客機に乗り込み、スチュワーデスの親切で横になるスペースを確保してもらい、やっと元気が出てきたのだそうです。 事の顚末をあとから聞かされて、私はゾッとしました。そんなことで、もしも死なせてしまったら、男の美学をどれほど悔やむことか──。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 903
少なくとも現代では男の美学なんて全く評価されてないですね。スティーブジョブズくらいの業績を出したなら評価されてもいいですけど、タダのベンチャーで「成長しています」とか「天職見つけました」と言っている企業の駒がこんなこと言っても無意味ですからね。
結婚すると恋愛時代には知らなかった意外な側面が見えてくるといいますが、妻は出会った頃の印象のまま変わりませんでした。だから、決定的な言葉が互いの口からこぼれたことはついにありませんでした。 正直言って、仲のいい夫婦だったと思います。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 958
決定的な言葉ってつまり、「別れよう」とかですね。
二人で生きた何十年間か、本当にいい人生でした。 もういっぺんやれと言われたら、もう一度同じ道を妻と一緒に歩いてみたい。 特に青春時代というのは、余計なことを考えずにただひとすじ、ひたすらに生きたし、努力もした。今、何がやってみたいかといって、ああいうことこそやってみたいと思います。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 993
余計なことを考えずに、ただひとすじひたすらに生きて、努力もする。これがもう一度やりたいことらしいです。そう考えると、苦しんでいる現状ってのは、将来の自分がもう一度やりたいことなのかもしれませんね。
職場の同僚でやはり突然自殺した知人が二人います。両方とも死ぬほどの問題を抱えていたようには見えませんでした。しいていえば、ひとりは役所の中で窓際に近い位置に追いやられていた時期でしたから、能力の限界につきあたって絶望したのかもしれないし、もうひとりは定年退職直後のことですから、生きがいを失って苦しんでいたのかもしれません。しかし、いずれも思い詰めていた様子はなく、周囲には唐突な印象を強く残した最期でした。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 1407
能力の限界にぶち当たって死ぬか、生きがいを失って死ぬか。この両者が仕事をベースに生じていると、日本人の誰が、若者のどのくらいが気付いているでしょうか。
また、たとえ時が偉大なる医者だとしても、三年も五年もこの状態が続いたら、とてももたない、とも思いました。
倉嶋 厚, やまない雨はない妻の死、うつ病、それから… (文春文庫), loc. 1616
神様が来ない限りダメな状況ってあるんですよね。神様は人間に超えられない壁を与えないとか言うけど、普通に超えられない壁だらけ、ですよね。ベンチャーで粛々と頑張っている子たちに「じゃあ、明日、その会社を上場させてみてよ」とか上場会社の社畜に「じゃあ、明日Appleの時価総額超えて見てよ」って言ってみても、無理ですからね。明らかに超えられない壁だらけ。「時間があれば、できるかもしれないよ・・・」ってのは意味のない反論。そのアイディアを信じて志半ばどれだけの人が、人生を無駄にしてきたことか。