僕のメルマガ読者歴が長い人なら知っていると思いますが、僕、小学校・中学校と9年間ずーっとデブやってきたんです。僕の周りには幼少期にデブを経験していない友達がたくさんいるんですけど(っていうかほとんどの人がそうかな)、彼らは大人になった今、かなり打たれ弱い。そのくらい幼少期をデブで過ごすと嫌なことがたくさん起き、強くなれるのです。笑
あれは小学校の書道の時間。うちの学校では、書道の授業は教頭先生が担当していました。手にたくさん指輪をはめたオバさんでしたね。今生きているんでしょうか。もう15年以上前のことですからねー。
・・・とかシニカルなこと言っていますが、実は教頭先生と僕の仲はすごいよくて、というか僕、小学校、中学校と先生に好かれまくる性格だったので(そこそこ学校の成績が良かったからやと思います)、先生との関係性にそれほど悪い思いでとかってないんです。(高校の先生はクソでしたけど)
それなりに仲が良かったから先生も失礼になっちゃって、僕に対して急に「石崎はKinKi Kidsの剛君みたいにはなれないでしょ」とか授業中に言い放つわけです。僕が密かに思いを寄せていた女の子がKinKi Kidsのこと大好きだったので、余計にそーゆーこと言われてショックだったのを覚えています。
どういう文脈でそんな発言が飛び出てきたのかと言いますと、確か才能の話をしていたんです。人間は生まれた瞬間から寿命をどんどんと減らしながら生きていく。生命時間は有限じゃない。だから早い段階で自分の才能を見つけて磨きなさい・・・たしかこんな内容だったはず。
そして「ほらご覧なさい。ウチの級長の石崎の顔みてごらん。石崎がどう頑張ってもKinKi Kidsの剛君みたいにはなれないでしょう」という流れ。
当時の若かりし小学生たちにはさぞかし衝撃的な内容だったはず。少なくとも僕は大きな衝撃を受けました。(二重の意味で)
一つは、よくもそんな失礼なこと言うな、このクソばばあという衝撃。
もう一つは、世の中の大人達は子供の未来は明るくて無限大の可能性があると口を揃えて言うなか、この教頭先生は「才能を早く見つけろ。それ以外は人生の早い段階で諦めろ」と諭してくる。この違いがあまりにも衝撃だったのを覚えています。
でも、今振り返ってみると、あの教頭先生、結構いいこと言ってた。
だって、僕も後輩に全く同じことを今言っているんだから。
僕は後輩に言います。「人生を早い段階で諦めろ」って。
たぶんそんなこと言うと、自己啓発セミナーの目が$マークになっている講師とかは「ふざけたこと言うな!人生を諦めるなんて、自らのセルフイメージを下げるだけだ!ましてや前途有望な若者に対してそんなこと言うとは信じられない」とか血相を変えて言ってくるでしょう。
そういうまやかしに騙されて、てめーみたいな無能な奴らが貧乏セミナー講師とかになってんだろーが・・・って彼らに一言伝えたいのですが、取りあえず喉に引っ込めておいて、と。
世界をグルグル回りながら、日本とそれ以外の国の民族傾向を比べてみると、日本人は諦めるのがヘタクソなように思えます。
たとえばイギリスみたいな階級社会では、下級層に生まれた子たちは「政治家になろう」とかは絶対に言いません。当然、オックスフォードとかケンブリッジとかの超一流大学に行こうなんてのは考えもしません。彼らは知っています。そーゆーエリートの道を進む人たちはそもそも全く違ったルールで生きているってことを。
ベッカムがマンチェスターを辞めてもなおイギリス国内で人気があるのは、あれほどセレブになったにも関わらず、ベッカムは下級層出身の英語を話し続けるからです。だからイギリスの下級出身の子供達に「あなたの夢は?」とか聞くと、口を揃えて「サッカー選手」と言うのです。サッカー選手が唯一、下級層の人たちがお金持ちになるためのルートであることを子供ながらにみんな理解しているのです。
じゃあ日本の子供はどうでしょうか?終わっている子供たちは「公務員」とか言うらしいですが、もっと駄目な子供は自分の出自によらず「総理大臣」とか言うわけです。
(いやいやいや、あなたのお父さんやお母さんがフリーメーソンと関係がない限り、そういったエクスクルーシブな職業にはつけませんよ・・・)
しかも周りの大人は発破をかけるように「夢を諦めるな!」と子供をその気にさせるようなことを言うため、子供はちょっとした気持ちで言ったにも関わらず、その夢を本気で負い続けなきゃいけないのでは、と真剣に考えるようになるのです。
でも考えてみて下さい。
若いうちに人生と諦めるのと、死ぬ間際まで人生を諦めきれないの・・・どっちがいいと思いますか?
僕は間髪をいれずに前者の「若いうちに人生を諦める」を採用します。僕はそのおかげで、かなり人生を楽しく生きています。
教頭先生に「お前はKinKi Kidsの剛君みたいにイケメンにはなれない」と教えられて以降は、一切自分の容姿を気にしなくなりました。僕は外見で世の中の男子達と争うことを人生のかなり早い段階(小学5年生)で諦めました。
おかげで、イケメンの友人達に囲まれて学校生活を送っても、ちっとも嫉妬の感情が湧いてきませんでしたし、おもしろいことに、僕みたいな平凡な顔(orそれ以下)を好きになってくれる人もいるんです。もちろんイケメンじゃなくても、愛のある最高に気持ちの良いセックスをすることだって可能です。
他にもいろいろ諦めました。10年以上続けてきた空手、ボクシングを辞めてプロの格闘家として生きることを諦めましたし、大学に落ちてからは「勉強」というフィールドで僕よりも賢い人たちと争うことを諦めました。
でもそーやっていろいろなレースから降りていくことで、負けレースってのをしなくなりました。負けレースに参加する必要がないから、かなりの時間を節約することができます。で、その節約した時間を、自分の本当に勝負すべきレースに投下してゆきます。
自慢じゃあありませんが、大学生になってからは参加したレースで一つも負けていません。自分の勝つべき分野を見極めて、勝ちレースにだけ参加しているのだから、負けるわけがありません。勝ちレースに参加して手堅く勝ちをおさめる。
どうやら世の中のサラリーマンなる人たちは、死ぬ直前まで参加しているレースから降りるつもりがないようです。運良く(?)自分の参加しているレースが、それほど価値のあるものではなく、第三者から植え付けられた価値観によって形成されているレースであると気付いた人は、そうそうにレースを降りてゆきます。
でも気付いたのが40歳だったら?50歳だったら?60歳だったら?死ぬ直前だったら?
戦慄しませんか?これでなんとなく日本の自殺率は50歳前後がピークになっているファクトに頷けませんか?
もし現時点で勝ちレースの見極めが出来ていないなら、まずは負けレースから降りることから始めましょう。そういった消去法的に決断していくと、不思議と自分の勝ちレースが見えてくるようになります。
最後に僕が尊敬するギタリスト・ジョンフルシアンテの言葉を紹介して筆を置こうと思います。元レッドホットチリペッパーのギタリストだったジョンは、薬物中毒から復帰したあとクロスビート誌のインタビューでこう答えています。
「若い頃、髪型や服装、女の尻に気を使う暇があったらもっと違う創造的なことを注視するべきだった。悉(ことごと)く時間を無駄にしていた。」
諦める作業は勇気を伴う作業なので、けっこう決断するときにビビります。だけど「あ、これはもういいや」と決別したあと、本当に勝つべき分野が目の前に拓けてくると僕は信じております。