こんばんは。
石崎です。
宇治抹茶をズズズしてます。
そしてコピーライターは死ぬ
今日、久しぶりに動画の撮影をしていました。次に売りたい商品のステップメールを作っているんですけど、今回はプロダクトローンチ形式にしようかなと。これまで(そしても今でも)文字で食ってきた人間の矜持にかけて「今後も文字が重要であるぞ」と言いたいんだけど、もうダメだわ。
正確にいうとね、まだ文字でも食えるんです。例えばコピーライティングを勉強してセールスレターを書いてLPに掲載して商品を販売します。こういった旧式のやり方でもモノは売れます。でも、顔出しで動画をアップロードし続けている人が増えているので、彼らに潜在顧客を奪われますよ。前よりも食い扶持が減っちゃうでしょうね。
「やっぱり顔出しは恥ずかしいですよね?」
アフィリエイトや情報商材を販売する人は「顔出しの有無」を気にしますよね。
一番の理由は、就業規則に反するから、でしょう。副業しちゃダメって会社の就業規則に書いてあるのに、やっちゃってる。だから実名を使いたくない。もちろん顔なんか出したくない。僕が言えるのは、顔を出した方が成功確率は高まるし、成功したらその会社をすぐに辞められるよ、ということだけです。
二番目の理由は、金に汚い人間と思われるのが嫌!とかかな。僕なんかはもう「目がドルマーク($_$こういうやつ)」キャラなんで、いいんです。お金が好きとか、不労所得があるよとか、海外旅行していますとか、平気で言えます。そっちの方がビジネスをしやすいので意図的にやっている側面もあるんですけど、実際にお金に結構助けられているからまあいいや。
三番目の理由は、プライベートの切り売りがシンドイという理由。これはね、事実なんです。僕もそれなりにシンドイ思いをしている。以前、宮古島で月々9万円の賃貸をしようと思ったことがあるんです。メールで問い合わせをしたら「ブログを確認させていただきました。これからも世界旅行を続けるご予定ですか?」とレスポンスがありました。ああ、面倒くせーってなりますよね。
でもね、やっぱり顔出しした方がいいんですよ。というより動画でアプローチした方がいいんですよ。特にライバルのほとんどが文字だけ(ブログやメルマガだけ)で勝負しているような市場であれば、自分一人が気合い入れて動画で勝負すれば、すぐに市場を席巻できます。
僕が西暦2013年の3月にTOEIC市場でビジネスを始めて、同年の11月にセミリタイアできたのは、もう動画を使った!の一言に尽きます。まあこの話は長くなるので、また機会があればどこかで話をしようと思います。
勇気を出せば月収100万円は超えられる
あんまり言いたくはないけど、月収100万円程度のビジネス規模の場合、参入障壁が「勇気」だったりするんですよね。
みんなコピペ動画とかまとめ記事をせっせと作って、本当にチャリンチャリンといったお小遣い規模の(副業とも呼べないような)作業をしているけど、そんなん今すぐ辞めた方がいいです。東南アジアでは、知的作業ではない単純労働作業が原因で賃金の上がらない仕事がたくさんあります。それが結構大きな問題になっています。
単純労働作業は時間が経ってもスキルアップしないからです。コピペ動画とかまとめ記事も同様の、スキルアップしない作業です。だから辞めた方がいい。50代とか60代のオジさんがやっていれば同情の目で見るだけですけど、20代でそんなんしている人をみると、僕は言葉を失います。
他の人より少しプライベートを切り売りする勇気があれば、そんな単純労働作業を凌駕する収入を得ることができます。あるいは他の人と違う時間の使い方をする勇気があれば。あるいは他の人と違うお金の使い方をする勇気があれば。あるいは他の人と違う人脈を作る勇気があれば・・・。
石崎の壁
かくいう僕も勇気の壁にぶち当たっていて、この壁を越えれば次のステージに行けると体感的に理解しているんですけど、ダメですね、大人になると考えすぎてしまうようです。「それを選択した人生」と「それを選択しなかった人生」を比較考量してしまうんです。
会社を作った時は、社会保険やら給料やら高い西麻布の家賃を払わなきゃいけないから、そもそも選択肢なんてないんです。とにかく仕事を受注して、売上を出すことしか考えられませんでした。「それを選択した人生」という選択肢しかなかった。「売上を出す人生」しかなかったわけです。
でも今はある程度の余裕ができて「売上を出さない人生」も選択肢に入ってきた。2013年から2015年まで、文字どおり1分も働かなかったのは「それを選択しなかった人生」という選択肢を選び続けたからでしょう。
なぜTOEIC900点は簡単か?
心境的には資格を取りたがる学生のそれと似ています。資格の勉強ってぶっちゃけ超楽です。社会との関わりを絶って、ただ参考書を読んだりスクールに通って暗記すればいいだけですから。「TOEIC900点って難しかったでしょう」って言われるけど、あれ無茶苦茶、楽勝っす。
仕事をしていれば仲違いがあったりお客さんと揉めたり社会の醜い部分(すなわち自分の醜い部分)が見えたりして、傷つくんです。それが結構痛かったりする。でもTOEICの勉強は傷つかないし、痛くもない。勉強していれば人生は好転するような気がする。まあ英語ができるようになったところで、ちっとも人生は変わらないし、収入にも劇的な影響はないんですけどね、本当は。でも気休めとして勉強していれば、なんとなくレベルアップしていると勘違いができるわけです。
残念ながら、フリーランスでうまくいっていない人が英語を習得しても無意味ですし、簿記の勉強も無意味、ましてやプログラミングの勉強をしても意味はありません。売上をあげたいなら、売上をあげるための勉強をしなきゃダメだし、売上をあげるためにやるべきことをやるしかないんです。
そしてそこには必ず勇気の参入障壁があります。この壁を越えるのが嫌だからといって、スキルアップに逃げるのはダメです。
いや・・・
他人はどうだっていいんです。石崎くん、君のことだよ。自戒を込めて。
石崎力也
追伸:ミネアポリスのナイキで購入したTシャツが那覇の古物商で5円でした。往復のモノレール代の方が高かった(460円)。