webの歴史には忘れちゃいけない3人の人物がいる。1人は分散型コミュニケーションの構想を発表したバラン。バランがランド研究所に入所して最初に与えられた仕事は「核攻撃下でも運用できる通信システム」だった。
彼が発表した論文の要旨は以下の3つにまとめられる。「一カ所がやられたら全てが落ちてしまう仕組みは作らない(中央集権にしない)」「データはパケット(細かく)で送る」「壊れたシステムでも動かせるようにする」。
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バーナーズリーという天才
2人目はバーナーズリー。彼はWorld Wide Webを構想した。ドキュメントにリンクを埋め込めば(ハイパーテキストという)全てのドキュメントがクリック1つでまるで蜘蛛の巣のように繋がるというアイディアだ。
しかし1990年代の始めの頃、蜘蛛の巣のように広がるどころか、各地に小さなもろい巣が点々とするだけで、一向に世界中が繋がる様相は見せなかった。
そう、当時のwwwは一部の人にしか扱えない難しいものだった。実際インターネット全体のトラフィックのうち1%をwwwが占めるに過ぎなかった。
革命児アンドリーセンは21歳
そこに革命児アンドリーセンが現れる。彼が3人目にして、インターネットを世界に広めた男だ。彼は当時なんと21歳。イリノイ大学を卒業して、その使いにくいwwwにいらついていた。
そこでプログラマーを誘って二人で「ブラウザ」を作りはじめた。誘われたプログラマーは企業で働いていたために、その企業から許可を得る必要があった。
ようやく了承を得て、二人は完成させたブラウザ=「モザイク」を発表する。これまで一部の人にしか門戸が開かれていなかったインターネットが世界規模にオープンした瞬間だった。
「無料」でモザイクを
瞬く間にモザイク・ブラウザはダウンロードされた。あれだけ開発に時間をかけたのに、アンドリーセンは「無料」でモザイクを開放したのだ。
中学生の頃から既にインターネットが存在していた昭和60年以降の世代は無料が当たり前だと思っているが(実際にこのブログを無料で見ているし、検索エンジンのGoogleも無料で、Facebookで友人の近況を知るのも無料だ)、当時(1990)時間をかけたものを無料でくばるという発想がなかった。
しかしアンドリーセンは違った。多くの人がその素晴らしいツール(モザイク)を有料で配るべきだと意見したが、アンドリーセンは耳にしない。アンドリーセンは分かっていた。
1セントすらも課金しない
「無料」にはものすごいパワーが秘められていることを。たとえ1セントでも課金した瞬間に広がりのスピードが落ちることを直感的に分かっていた。
話はそれるが、Facebookが株式公開(IPO)される際に、多くのアナリストが彼らの企業価値を小さく見積もった。アナリストは共通の統計データを持ち出して意見を並べる。
「Facebookユーザーは確かに閲覧に夢中になっている。しかしそんな彼らに聞いてみた。『株式を公開した後、Facebookを有料にするかもしれないけど、いくらまでなら払える?』その質問に皆が口を揃えて答えた「0円」と。
アナリストの反論も虚しく、Facebookは70億ドルを一瞬にして調達した。
企業人がいたせいで・・・
さて、アンドリーセンの話に戻そう。アンドリーセンはモザイクを発表後、すぐにブラウザ業界から手を引く。ショックを受けたからだ。アンドリーセンと一緒にブラウザを作ったプログラマーは、企業人だ。
なんとそのプログラマーが所属していた企業が、富士通やゼロックスと言った大手企業に勝手にモザイクをライセンスして大金を手にしていた。
アンドリーセンは腹が立ったが、企業と闘っても勝ち目がないと判断し、ブラウザから手を引く。しかし数ヶ月後、再起の機会が訪れる。シリコンバレーで有名だったある大物起業家が、自分の作った会社を辞めようとしていた。(#004に続く)