ミスチルを聴いている。洋楽でも邦楽でも気持ちよくなれるんだから、人間には音楽を楽しむユニバーサルな機能があるんだと思う。ということはリリックは関係ないのか?
うーんどうなんだろう。僕の奥さんなんかいつも歌詞カードを眺めているからなぁ。わかんないや。
高校生の時にバスケ部のキャプテンとカラオケに行った。僕がミスチルの「つよがり」を歌っていた時に、表示された歌詞をながめて呟いた。
「愛しさのつれづれで かき鳴らす六弦に不器用な指が絡んで、、、なんてよく頭から出てくるな」って。
歌いながら僕も考えた。わからなかったから、マイクを置いて考えた。たぶん「かき鳴らす六弦に」くらいなら僕でも書けそう。だけど「不器用な指が絡んで」なんて文章を綴れるまでにどれだけの小説を読まねばならないのかと、途方に暮れた。
あれから10年近くが経った。頑張ってたくさん本を読んできたし、村上春樹の紡ぐ言葉に心を震わせてきた。だけど未だに、文学的な素養は僕にはないし、きっと今後も備わることのないスキルなんだと思う。
たぶん真摯に音楽に向き合ってないと、あーいう歌詞は書けないんじゃないかな。僕の場合、過去の10年間は売るための文章に命を捧げてきた。
桜井和寿はリリックに、
石崎力也はセールスレターに、
その命を賭してきた。生み出した経済効果なんて比べるのも恥ずかしいくらい。感動させた人の数も桁が三つ四つ違うかもしれない。
お互いの操るツールは文字であれど、それを音楽に乗せた瞬間、インパクトが変わってくる。僕の文字はウェブに乗り、彼の文字は音楽に乗る。
あんまり気付かれてない事実ではあるけど、文字って食えるのね。僕らみたいなコンテンツメーカーは、規模が定点を超えるとカルト化が始まる。
スケールの違いはあれど、それなりに儲けているダイレクトマーケターは、自分がカルトの教祖になりつつあることに、いつか気付く。カルトの信者は教祖を持ち上げ、本当に教祖になってしまう人といる。
ほら、儲けるっていう字は「信者」でしょ。分解してご覧。
で、石崎みたいな良心的な人は(!)、依存者の数が増えることに耐えられなくなってくる。このまま自分を教祖と勘違いして、振り切ってしまった方が楽なのかもしれないけど、それは僕の趣向ではないので。
それなりに文字を綴るのが巧い人は、差はあれど、人を集めることができる。人が集まれば、そこに市場が生まれる。つまり金儲けをやろうと思えばやれるわけだ。お金をもらう対価として、消費者をハッピーにしてあげる。しかしハッピーにも免疫ができてしまう。ちょっとやそっとのハッピーじゃ満足できなくなる。彼らにはもっと大きな強度が必要であると知る。
彼らの強度を目視した時に、その大きさに打ちひしがれる人もいる、「え?そんなに大きなことを、期待しているの?」と。
これ、小さなカルト教祖の発想法です。笑
まさかメルマガを発行した時には20000人も集まると思っていなかったからさ。
いまからダイレクトマーケターになろうとしている人は、今のうちから自らの器を広げておかないと、お客さんの要求に耐えられなくなるぜ。
え?自分は教祖になんてならないって?
ふふふ。まだまだビジネスが小さい証拠でっせ。
石崎力也@デルタ機内で fish or chicken?のツイートが聞こえ始めた