あんまり知ったかしない方がいい。僕が大学4年生の頃、周りのみんなは就職活動に明け暮れていた。で、これまで全く勉強しなかった彼らも、就職活動を通してある技術を身につけたらしい。それは「一家言を持つこと」。どうやら面接で「こいつは!」と見せるためには、「私はこう思う」ということをしっかりと見せつけないといけないらしい。
たとえば「TPPについてどう思いますか?」「原発反対ですか?」・・・等々。
僕はこういう質問をいただくと、適菜収に習い「どっちでもいいとどうでもいいの中間です」と答えるようにしている。なぜか?それは・・・分からないからである。24年程度しか生きてきていない人間にそんな高度で専門知識が必要な質問に答えられないから。そもそも僕の好物でもないし。そーゆー分野は。
驚いたことにこれら高度な質問に、商店街でたむろしているオジさんたちが答えられるのだから、「僕ももっと勉強しなきゃ」と思わされる次第である。芸能人もアーティストも原発反対運動を始める次第で、彼らの勉強量と守備範囲に驚くばかり。「そーとー勉強したのですね・・・」
意地の悪い僕は「よくそんなYouTubeで見た情報を自信満々に言い切れるね」と悪態の限りを尽くしたくなる。受け売りじゃなくて、お前が本当に考えていることはなんなのか?自分の声で唄えって思ってしまう。
知らないことは答えない方がいい。中途半端な答えしか持っていない場合は、黙っていた方がいい。僕の好きなB層の研究にこんな例が紹介されている。ある男性がソムリエの前で、女性を口説いている。男性は女性にこう聞く。「どうしてワインボトルの底はこんな風にくぼんでいるのか知っているかい?」彼女は答える。「え!わからないよー」男性は意気揚々に答えをプレゼントする。
「それはね・・・くぼみに指をいれると注ぎやすいからだよ。ほら僕がこうやって君にワインを注ぐように」・・・本当はワインは長く熟成させていると、タンニンや色素の成分がワインに溶けきれなくなり、「澱(オリ)」としてワイン中に沈殿し、それをためる単なる工夫であるにもかかわらず。それをソムリエの前でやったらしい。もちろんソムリエは何も言わない。
適当に喋ることは恥ずかしいことであると自覚すべきである。世の中のブロガーで、自分が世に一石を投じていると感じている人があまりにも多過ぎるから、ちょっとここで僕もそんな人たちに意見を投げてみた。ブログやSNSから広告費も得ないで自分の意見を書きまくるって行為は、将来言質を取られる可能性を無報酬で世の中に与えていることになる。その典型は、彼とのラブラブ記録やプリクラだと思う。別れたあとは、一個一個自分の手で涙しながらdeleteする必要があるのに・・・。
え?お前もブログを書いているじゃないか?って?なになに?自分がブログを書くに相応しい人間だと思っているのか?だって?
僕にとってブログを書くことは「どっちでもいい」と「どうでもいい」の中間なんで。
石崎力也
追伸1:意見を持ったって、何の意味もない。
追伸2:問題意識を持ったって、何の意味もない。
追伸3:自分の声で唄え、まじで
追伸4:B層の研究は面白いけど、読みながら自分がB層であることに気づいてしまう
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