大学生活が始まり、取り敢えず「大学生っぽいこと」やっとけ・・・みたいな空気に便乗して、僕は資格の勉強を始めた。最初は1日3時間ずつ勉強していたけど、あまりにも遅すぎる進捗状況にゲロをあげそうになって、1日16時間の勉強に変えた。そっちの方が刺激が強いと思ったから。
確かに眠いのに勉強している自分は、どこか他のサークルに人生を捧げる学生よりも充実した人生を送っている感じがした。だけど自分を騙せるのは1ヶ月のみ。1日3時間勉強しようが、1日16時間勉強しようが、資格の勉強をしている限り、ゲロが出そうになることには変わりなかった。
与えられたものをやり、別にやらなくても何も起こらない世界。はっきり言って生きている気がしない。それが資格の勉強だった。なんでそもそもこのオレが第三者に認定してもらう必要があるんだよ。オレはオレで生きる。史上最強の飽き症だった僕は、もっと感じたかった。
まあ、それから紆余曲折あって、いろいろ自分で挑戦するわけだけど、どーにもこーにも刺激が弱すぎて、自分が生きているのかどうか分からなくなってきた。大学3年生の時に気づいた。「俺は日本にいる限り、このまま不感症の人生を死ぬまで送るだろう」
だからテキトーに英語を勉強してある程度のスコアをとって、面接官をNLPばりの催眠誘導で僕を奨学生へと導かせた。で、アメリカにいった。英語話せない!みんな冷たい!リスが木の実食っている!授業に全然ついていけない!彼女に浮気された!・・・とまあまあ、いろいろ感じる所はあったみたいだけど、それも最初の数ヶ月だけ。サムスンのお偉いさんの息子J君は、「もう無理」とか弱音を吐いていたけど、僕には何が無理なのか分からなかった。(ちなみに彼は今、あのUSCでマスターディグリーを取り終えるところ)
時間が経てばすぐに感覚が薄れてきて、全てが当たり前になり、慣れが僕を襲う。慣れが僕を襲い「今のままでいたら相当楽だね。安定は本当に楽だね・・・」なんて催眠術をかけてくる。そんな誘惑に負けそうになったこと、多々。だけど、安定は何も与えてくれない。感じない自分を作るだけ。
大して痛くない。大して嬉しくない。大して悲しくない。大して幸せじゃない。大して怖くない。遅々として目標達成へ近づかず、なにより1年前と同じ場所、同じメンツ・同じ生活状況。それが安定の最悪にして最高の恩恵だと思う。
そんな不感症人間になるくらいなら、マジで死んだ方がましだわ。死ぬか、清水の舞台からジャンプした方がマシだわ。・・・ってどっちとも死ぬか。(今年の清水寺、桜がやばくて、涙が出そうになった)
この圧倒的な体感覚が、僕から消え去ったら、僕は僕でなくなる。ってか生きている気がしないでしょ。やっぱりこの圧倒的な体感覚。資格の勉強をしている時みたいに「他人の評価を気にするけど、別にやらなくても大して人生は変わらないし、でもまあ勉強しといた方がいいか。ああ眠いなあ」なんてクソつまらない人生には、まず、体感覚が抜けている。全部、頭の中だけの概念遊び。そこに体感覚は無い。感じてる?感じてない?気持ちいい?痛い?そんなのがナイ世界。(だから、TOEICなんか短期間で片付けちゃおう!が僕のコンセプトなんだな)
バイトをしている時もそうだった。なんで1時間で1700円なん?(テレアポのバイト)。1時間あれば、高速麻雀で半荘打てるし、バイクで内灘海浜公園にも行ける。自分で給料決められないなんて最悪だし、そもそも自分よりちょい若い人が上司なんて信じられない。だから僕はいつも誰もいないオフィスでシャドーボクシングをしていた。高速シャドートークでたくさんの北陸三県のお母様方を口説いた。そしたら給料はバンバン上がった。
でも、僕は不感症になっていた。高校1年生で月々10万円くらいもらっていても、そんなの三国競艇場や金沢競馬場にいけばすぐに飛んでいく。10万円をバイトで稼ぐ刺激よりも、10万円をベットしてそれが大化けする可能性の刺激の方が何千倍も大きい。もちろんそこには無一文になってオケラ街道をとぼとぼ歩く恐怖への刺激も含まれている。(高校生の時にギャンブルに浸ったのはいい経験だった。これをハイリスク・ハイリターン・ハイスクールの法則と言う)
僕は不感症じゃない。僕は刺激ジャンキーだ。生きているっていつも感じたい。嬉しいって感じたい。もちろんその過程ではたくさんの痛みもあるのは分かっている。だけど、何も感じない人生を取るくらいなら、痛い人生もまあ我慢できる(し、今、痛い)。
頭の中でいろいろコネクリ回しても何も変わらないことは、24歳になったら知っているはず。人生変わった?変わってないでしょ。TOEICで900点とって何か変わった?英語喋れるようになって何か変わった?ん〜。ちょっと他の日本人よりもxvideo.comの女優の発言が理解できて、気持ちいいくらいでしょ。英語を学びました、海外のポルノが少し楽しくなりました、以上。
英語ができたら嬉しいってのも、英語ができるようになってそれを自慢するのも、全部頭の中だけで完結した、概念遊びだって気づくのに時間はかからない。大事なのは、それを使ってどんな体感覚を得られるか?外人とやって気持ちいい?外人と喋って嬉しい?外人にモノ売って感動する?六本木交差点にいる黒人とタイマンする?そういった圧倒的体感覚は自分で英語を使ってはじめてえられるし、そういう経験こそが人生を作ることをしっかりと覚えておかなきゃ、死ぬまでずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、頭の中の概念遊びで、甘口カレーのような人生を送ることになるぜ。僕はそれが恐怖で仕方ない。(世の中のあらゆるプロジェクトはほぼ頭の中の概念遊びで、ちっとも人生・世界を変える機会になっていない。まじでそんなのに参加する必要は無い)
「夢を持ちましょう!」
(そんなことを言ってくるのは99%夢を叶えていないセミナー講師だけど)、それに感動しちゃって苫米地式手帳を買って、ミッションを決めて、やりもしないTo Doプランを書きまくる。で、年始の左義長で真っ白でしかも遅々として進んでいない目標達成プランが書かれたその手帳を、門松とかと一緒に燃やす。
こんなのは全部、頭の中の概念遊び。ちっとも体感覚が無い。嬉しい、楽しい、悔しい、ツラい、痛い、ヒドい、シンドイ、でも最高に幸福!みたいな感覚は、具体的なアクションプランと、究極の行動力と、偉大なる勇気からしか生まれない。もう24歳は叶わない夢など妄想して遊んではいけない齢だと思う。ビビりながらでも今すぐ行動しないと何も始まらない。
もう、毎日、心臓痛くて仕方ない。何か対策を講じなければ、3ヶ月後にはここにいられなくなるこの恐怖感・痛み・しんどさ。ぶっちゃけ僕が人に会いたくないのは、こんな殺気立った状態で会っても、楽しい会話ができる気がしないから。それでも会ってくれる人には、辛抱しながら会ってもらう。(会ってもらったら絶対に僕のファンになってもらうのが掟だけど)
心臓は確かに痛い。確かに毎日痛いよ。
でも僕は明日、アジアで一番キレイな海を見に行くんだ。
だって不感症を克服したんだから。
石崎力也
追伸1:帰国後会社が潰れていても、それも僕の人生だと思う。まあナンカ感じることがあるでしょう。
追伸2:Sex on the beachを一気に飲み干さなきゃね。痛くてもいい。最高の気分で海が見れるなら。