どうも石崎です。
アメックスと長電話していました。
はい、オフィスです。
アメックスのゴールドカードオススメです
アメックスのオンラインプログラムから申し込める海外旅行保険「off」について質問をしていました。0120のフリーダイヤルに電話をかけて、15桁の会員番号を入力する。係りの者と直接お話ししたい方はダイヤルの0を押してくれとのことで、0を押す。プルルルル・・・。プルルルル・・・。はい、アメックスプラチナサポートのXXです。あれ、いつの間にかサポートがプラチナになっている。カードはゴールドのままなんだけどな。アメックスはどんな質問にも丁寧に答えてくれるし、海外旅行時にはいろいろとお世話になるから(空港手荷物宅配とか)3万円の年会費はペイしてでも持っておいたほうがいいですよ。
そろそろ自立したらどうだい?
話しが変わります。今日はブレない生き方というお話をしようと思います。大前提として他人の意見に流されるような人間はダサい。世間にはそんな考え方があるから、一人暮らしする私立大学の薬学部の男の子が、毎夜ヘルプデスク(つまりママに電話する)ような人間を見下すわけす。いつまで親に頼ってんのよ。そろそろ自立したらどうだい、と。ちなみに僕自身の目で確認した、ヘルプデスクの充実度を紹介します。
1. 彼氏に「大学やめれば」と言われて素直にやめ、彼氏と別れた後、親に「大学に戻れば」と言われて素直に大学に戻った女性
2. 親に就職先を相談し、面接を受けて落ち、親に勘当された男性
3. 隣家のエアコンがうるさいからお母さんに代わりに電話をかけてもらった男性
ああ、やめておきましょう。書いているだけで鬱が促進します。マザコンと、マザコンを作る母親と、バーゲンセールのカゴに群がるおばさんと、大阪駅で列に並ばないお婆ちゃんと、歩きタバコをする人間、小説を一度も書いたことないくせに小説家願望の人間、だけは生理的に受け付けられないのです。ほら、書いてて鬱が少し促進した。あとで美味しいチーズタルトを食べて、鬱を中和します。
ああ、話しがだいぶそれましたね。
なんで世の中の人はブレている人間をダサいと思うのでしょうか。
マザコンがとにかく嫌いなんです
もしかしたらブレている人間と優柔不断な自分自身を重ね合わせて、眼の前にいるマザコンは自分自身と限りなく近い人間であること気づいているからかもしれません。自分自身がブレブレだからこそ、その自分を戒めるために「おい、そこのお前、自分というものをしっかりと持たんか!」と怒鳴りつけているのかもしれません。案外嫌いな人間のタイプって、自分の嫌なところを強調したような人間だったりしますもんね。
ということはなんだ。僕はマザコンで、バーゲンセールでカゴに群がり、列に並ばないような人間なのか。いやタバコは吸わないし、小説家願望でもないぞ。
・・・いいや、僕はマザコン予備軍で、安売りを愛し、他の人よりも早く車両に飛び乗り席を確保したいような人間なのではないか。タバコを吸わずとも少なからず公害を撒き散らし、文章を書いて生きてゆきたいという願望があるのではないか。確かにそうかもしれません。目の前にいる嫌いな人たちは、もしかしたら鏡に映った自分自身かもしれません。ブレている人間は、この私なのではないか。
たぶんそうです。僕がブログに書くってことは、多かれ少なかれ自分自身の戒めが含まれています。含有量はわかりません。戒めが多い時もあるし、少ない時もある。
あれ、とうとう方向性がつかめなくなってきたぞ。久しぶりにボツ記事を書いてしまったのか。
じゃあ無理矢理方向を修正して、本題に入りましょう。
迷ったら常に難しい方を選べ?
前提を見直すわけです。ブレる生き方はダサいかもしれないけど、そもそもブレない生き方に価値なんぞあるのか。
僕が札幌の起業家スクールなるものに通っていた時、講師の先生は(札幌でソフトウェア会社を経営)「諸君、迷ったら常に難しい方を選びなさい」とマイクに唾を吐きかけていました。経営者ならずとも、普通に生きていれば意思決定の連続です。その一個一個の意思決定で、ある程度の基準を持っておかないと、判断を下すまでに時間がかかって仕方ないわけです。だからこそブレない価値を作り、それを基準に決定してゆく。彼の場合は難しい方を選ぶわけです。
分かれ道がある。右に行くと高速道路。左に行くと地雷畑。彼の場合は意気揚々と左の地雷畑に進むわけです。
あるいは、二つのプロジェクトがある。1つは年商100億円規模の事業を作るプロジェクト。もう1つは年商10億円規模の事業を作るプロジェクト。彼の場合はやはり意気揚々に年商100億円のプロジェクトを選ぶわけです。
はい、もうお分かりだと思いますが、価値観を単純化し固定化してしまうと、思考停止に陥るわけです。地雷畑に行くと死ぬかもしれないという思考を巡らさない。年商100億円規模のプロジェクトの方が社会的な価値が高いと決めつけている。実際は、地雷畑に行けばかなりの確率で片足が吹き飛んでしまうかもしれないし、年商10億円規模のプロジェクトでも公益性のある事業はたくさん存在します。
これだけカオスな今日、ルールや基準なんてものはコロコロと変わります。
「親の言い伝えを守って・・・」「尊敬する先生から教えてらもった格言を心に・・・」「経験則から考えて・・・」
確かにブレない生き方はかっこいいです。しかしブレない生き方自体に意味はありません。
考えをブラさないのは楽な生き方
しかもブレない生き方は楽です。過去の自分に縛られて、過去の自分と同じような決断をすれば良いだけですから。一旦計画を立てて、その計画通りに物事を進めれば良いだけですから。状況が変わっても絶対に行動を変えようとしない、かなりイージーな生き方です。そして間違った作戦を馬鹿の一つ覚えのように永遠と繰り返す、かなり痛い生き方です。
極論、ブレないとダメなわけです。
ブレいている人間は、最適解に最も近い選択肢を選びます。
美味しい話を聞いて、それがよさそうに聞こえたら、のってみる。
ブレる生き方がカッコ悪いと思っている人たちは「お前ブレブレだな」と批判する。
実際その話が本当に美味しかった場合、彼らは発言を撤回せずただその場を去るだけ。
個人的にはDRMや世界一周しながら仕事をするというライフスタイルが、かなり美味しい話に聞こえました。そしてやってみた結果、本当に美味しかった話です。
「そんな美味しい儲け話はあるかよ」と批判する人は十中八九貧乏です。「儲け話にはのらない」というブレない生き方を選んだ結果、とうとう大金をつかむことなく最期を迎えつつあるわけです。
ブレない自分を好きになるのは一向に構わないけど、その生き方を選んだ分だけ楽をしていることも自覚しないといけない。もちろん楽をしているから、誤った戦略を見直すこともせず、損な意思決定を繰り返している可能性もあるわけです。
ブレない生き方、そんなにクールじゃないでしょ。
ただしこれだけは例外だ。いわしてくれ。
マザコンはクールじゃないぞ。
石崎力也拝