こんばんは、石崎です。
日曜日ですね。
いつもはこの時期、サウスカロライナのマートルビーチでゆっくりしているか、ベイルのスキー場で滑っているかのどちらかなんですけど、今年は沖縄に来ました。
子供が小さいってのが一つ。もう一つは慢性的肩こりがハンパないので、Tシャツ以外のものを来ているだけでストレスになるってのが一つ。
寒いのが嫌とか、おばさん的なメンタルが僕にも備わってきました。どうしよう。
去年の10月に、札幌の円山で早めの冬と雪を経験してしまったので、今年はもう冬いいです。
日本列島から冬の気配が消えるまで、しばらく恩納村にいようと思います。
さて、料理しました。高校生の時に、焼肉屋(時給850円)でバイトしたことがあります。1年くらいバイトしていました。あのときは、人のためだけに料理を作っていたのでちっとも楽しくなかった。大学生になってからは、完全に食堂に頼りきりでチャンスがなかった。
仕事を始めても、やはり時間がなくて料理するチャンスはありませんでした。
で、紆余曲折あって、今はそれなりの時間がある。子育てして、まだ時間が余っている。どうしようか。
中世の人は(特に労働しなくていい貴族とかは)時間が余ると哲学をしたそうです。生きる意味って何だろう・・・って。僕の場合、大学生の時に生きる意味等の暫定的な答えは出してしまったので、今はとりあえず哲学とかはいいです。
じゃあ現代人、暇あると何をする。
カメラする。つい最近まで心のどこかでカメラをやる人を軽く蔑んでいたフシがありました。いや、カメラいいっすよ。
料理する。料理って絶対にコスパ悪いと今でも思います。食材買いに行って(恩納村にはスーパーありません)、包丁で指切って、唐辛子触った手で目をこすり眼球から火を吹いて、ぐちゃぐちゃと混ぜて不味いものが出来上がる。一勝九敗の勝率です。それでもクッキングする。
YouTubeでカメラや写真を嬉しそうに紹介する人いますよね。みんな目がとろんとしている。いい意味でリラックスしている。さらにいい意味で人生にゆとりがある(たぶん平均よりも経済的に成功しているはず)。
料理している人たちも同じ顔しています。人生に余裕ありますよ的なオーラが出ている。
ここ最近のことです。僕もカメラとか料理とかやり出したのは。
朝起きて、ホットサンドメーカーで作った(あんまり美味しくない)サンドイッチ食べる。子供とお風呂に入って、身支度を整え(?)散歩する。境界は19度です。19度を下回ればパーカー着るし、上回れば半袖半ズボンで大丈夫。
帰宅しパワーナップしている息子をベッドで寝かせ、Kindleで本を読む(今日は桜木紫乃さんの星々たちを読みました)。料理する?カメラする?奧さんに聞いて、その日の気分で、後半戦のスケジュールの組みます。
沖縄の日没は17時半なので、16時くらいにはもう家を出てビーチに向かいます。ミラーレスカメラを向ける時もあれば向けない時もある。プリッツを食べながら家族で夕日を見ます。肌寒くなる前に家に戻る。
自炊した日はオリオンビールをあけて僕1人がグビグビ(ちびちび)やる。大学生の時にアルコールの訓練をしていなかったので、二口くらいでフラフラになります。奥さんは授乳期なのでアルコールはしません(もともとお酒を飲まない女性なんです)。
またお風呂に入る。カウチに腰掛けNetflixやiTunesで映画を見ます。ベッドに入り「明日はどうしようか・・・」と会話をスタートさせるも、数回のキャッチボールで終わることがほとんど。捕球がないと思えば、一方が寝落ちした証拠です。
そしてまた朝が来る。
こんな生活を繰り返していたら、ちっとも教養は身につかないし、スキルも身につきません。世俗を離れて、SNSもせず、年中行事を記憶から消し去る。いよいよ人見知りが始まるぞという頃に、僕たちは一気に社会へと戻り、仕事を始めます。
ああそういえばそうだったな。一つ一つ、この世の決まりごとを思い出しながら、自分を社会用にカスタマイズしてゆきます。このタイミングで「こんにちは」とか言えばいいんだな、とかね。
あまりにも社会の決まりごとに縛られるのは良くないけれど、社会の束縛から解放されて生きるのもどうかと思います。程よい塩梅を見つけてください。
ちなみにウチの場合は、奥さんが「そろそろ仕事したほうがよくない?」と言い出すタイミングが一つのバロメーターになっているんです。
前回それを聞いたのは、2015年の3月。モントリオールにいる時でした。それを聞いて急いで帰国し、がむしゃらに働き、また放浪する。もうすぐ2017年の2月になりますが、まだその言葉を聞いておりませぬ。
石崎
追伸:沖縄のたんかんを入れたサンドイッチを作りました。
https://www.youtube.com/watch?v=xDGBC-heSOU