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ビンビンのエリートB層(情報弱者)
個人的にはドラッカー・ニーチェ・養老孟司なる方々が僕の思想を形成していると考えている。大先生方の開く世界観に少し触れるだけでも簡単にびんびんと反応してしまう僕はエリート級のB層に違いない。
それはさておき。
『ノマドワーカーという生き方』・立花岳志著を読んでいると第四章あたりからタスク管理の話になってきた。
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気づけばサラリーマン時代には仕事の合間に書けていたブログの一日3回更新もままならず、何をしているのかも良く分からないまま一日が終わってしまうようになりました。それまでは「タスク管理」というほどのことはしておらず、iPhoneアプリdomoTodo+に日々のToDoを入力してこなす程度でしたが、それではダメだと感じ、自分で自分のことを本気で管理するようになりました。
他にもミッションを設定する、5年後を想像する、夢を書き出す・・・など自己啓発本やビジネス書にゴシック体で出てくるような最頻出キーワードが目白押しになるにつれ、「なんか違うんだよなー」と違和感を隠し切れなくなる。
(立花さんのことは大好きです、マジで)
長期プランを立てるなんて傲慢すぎるぜ、人生とはもっと・・・
おそらくそーいったことは直近の5年間でやりつくしてしまって、僕は疲れ切っているのだと思う。一見タスク管理は良いものに思える。山のように積上るタスクを効率的にサクサクとこなしてゆく姿はまさに大学生の僕にとっては人生を謳歌しているクールなビジネスマンの姿そのものだったから。
だけど今は違う。まず「なぜタスク管理をしなきゃならないか?」を考えるようになり、自分のやりたいことを絞れていないからタスク管理が必要なんだと結論を導いた。すなわち”やることは一個だけでいい”という結論。
タスク管理の弊害
タスク管理の弊害は大きく分けて2つある。
- タスク管理をすることが一つの大きなタスクになっている
- タスク管理をやるようなライフスタイルは大きな成果を見込めない
【タスク管理をすることが一つの大きなタスクになっている】
あれは中学生3年生の夏休み。平凡よりちょい上程度の偏差値しかなかったのになぜか公立高校で県内一位の泉丘高校を目指すと決めた僕は、個人史上最強の挽回プランを立てた。挽回プランの立て方はすごくシンプル。各科目に何時間ずつ時間を割り当てれば合格できるか?というテキトーな時間をアサインして、それを夏休みの日数で割る。そうすると、最初にアサインした時間があまりにも膨大すぎて、1日26時間勉強しなきゃ達成できないプランが出来上がった。どうにか1日の勉強時間を24時間以内におさめようと(依然瑕疵の存在に気づけていない)、いろいろやりくりするも、なかなかプランが思うように出来上がらない。
思うようなプランが出来上がるまでに夏休みの最初の8日を投下したことに気づいた時には自分をフロントチョークで絞め落とそうと思ったくらいだった。タスク管理そのものが一つの大きなタスク管理になっていることに当時の僕は気づけていなかった。
【タスク管理をやるようなライフスタイルは大きな成果を見込めない】
友人にミニマリストを称する方がおられるのだけど、僕も彼同様多くのことを求めていない。多くのことを求めていないけど大きなことはやってみたい。高校時代の友人N君は『正常位ならお前に負けんわ』といつも体育の時間に僕を罵ったけど、まあそんな感じ。当時の僕はいろんな体位をする人の方が偉いと思っていたけど、今となっては、N君が正しかったのだと悟った。
さて冒頭に思想を支えてくれる三方をあげた。もう一度登場してもらうと、ドラッカー・ニーチェ・養老孟司。ちょ、先に一言。「もしドラが来る前から札幌のドラッカー勉強会に参加していたし、心の弱った人をカモにしたニーチェブームに便乗しているわけでもないし、バカの壁経由でなく養老孟司さんに触れたんだからな!」。
ドラッカーの勉強会に参加して彼ら偉大なる英知を勝手に曲解した結果、”選択と集中”および”成果は常に一つ”という2つのキーワードに大洗脳されてしまった。実際にこの2つに大洗脳された結果、心軽く生きることができていますよ、と。おじいちゃんになっても海外の避暑地的な場所で奥さんと二人でたった一つのことに没頭したいね。
(個人的にスケジュール帳がびっしりの社会人にちっとも魅力を感じられないや。いわんや大学生をや)