「大事なのは知識じゃないって。今はそれじゃない」
どうも、石崎です。
ついさっき、後輩の起業家に上記の文を発しました。あなたが必要なのは「知識じゃないですよ」って。
たぶん、これは彼に限らず日本全体にはびこる一種の病なんだと思います。知識があれば何でも解決できるとみんな盲目的に思っている。
確かに知識は強力です。しかし、強力すぎて人生をブラしていては意味がない。恥ずかしながらも、赤裸々に内情を述べますと、僕程度の人間であれば、知識を入れれば朝と夜で言っていることが全く変わったりします。
「え?」
そう思われた方も多いでしょう。でもこれが事実です。自分をヨイショすると、まだそれを自覚できているだけマシだと思うのです。
多くの人は、知識から受ける影響を理解していない。その堂々たる口調から、あたかもその意見が自分のものであるかのように、『さっき読んだ本の内容を語る』人が多すぎます。驚いたことに、彼ら自身はそれを自分の意見だと思っている。自分でも、本から影響を受けていることに気づいていない。
養老孟司さんは言います。
「占いと一緒で聞いたらダメ。聞くと影響を受けるでしょ。だから医者には行かない・・・」
と、東大医学部の名誉教授が言っておられました。(笑)
そうなんです。僕たちは、無意識下でありとあらゆる影響を受けている。無意識だから、影響を受けているということすら意識に上がってこない。認知できないんです。これが状況をより深刻にしているのです。
何が問題に打ち当たるとその打開策を本に求める人が多いと思います。実際に僕が大学生の時に、担当教授から「悩んだら本を読め」と言われたのを覚えています。
でも、これは大きな間違い。
悩みを解決する方法は、本の中にない。今、自分のアタマの中にあるのです。たとえ本から良いアイディアを得たとしても、それが状況を打開する会心の一撃になるとは思えません。一時的なその場凌ぎとして機能するだけです。
悩んでいるときは早くそこから抜け出したいから、大した解決策でなくとも、誰かから「こうすれば・・・」と言われたり、本に「こうしなさい」と書いてあると、すぐに影響を受ける。「あぁ!これだ!俺の探していたのは!」と。
いや、人生論はどうだっていんです。
少なくともビジネスにおいては、知識は邪魔です。知識が思考の邪魔をするからです。知識とはいわば後入先出(Last In First out)のようなもの。一番新しいものが、常に今の自分に影響を与え続ける。
心のどこかでは過去に学んだ知識が今にも活きていると思いたい気持があったとしても、残念ながらそうはゆきません。
現実に、小学校で習った道徳はみんな綺麗さっぱり忘れて、昨日参加した研修セミナーのおっさんが言っていた「働き方」の講義に大きく影響されて生きている。あるいは昨日読んだ自己啓発本に影響されて生きている。
そんなもんです。
僕が思うに、綺麗な桜が見えているうちは、新しい知識を入れなくていいのです。
再び登場していただく養老孟司さん。養老孟司さんはこう言います。
「キミらぐらい若くたって、ガンだと言われることがある。寿命があと半年とかいわれ、それを本当に納得したら、桜が違って見えるでしょう」
病院に向かう途中に見た桜はとても綺麗でした。病院でガンを宣告された帰り道、そこに咲いていた同じ桜は全く違って見えるでしょう、ということです。
あなたはガンである、ということを「知る」だけで、世界は一転するよってことを養老孟司さんは教えてくれます。
自分を変えたいけれど難しい、という人がいますが、ありゃウソです。
暗い映画館で軟禁状態になりながら、メッセージ性の強い映画を何本も連続で見れば、全く世界は違って見えますし、簡単に自分が変わってしまいます。
ほら、ヤクザ映画を見た帰り道、ヤクザ歩きで家に帰る輩とかたくさんいるじゃないですか。(僕はまさに、その典型です)
見ると影響を受けちゃうんです。聞くと影響を受けちゃうんです。
だから見ちゃダメ。聞いちゃダメ。
少なくとも何らかの成果をどうしても短期間で出したいなら、情報は意図的に遮断しないといけない。何か新しいことを「知る」と、後入先出法式で、一番最後に入ってきた(一番新しい情報)が常に現在の僕たちに影響を与える。
どうして、今、目の前に綺麗な桜が見えるているのに、わざわざ景色を変えようとするのかってことです。
事業をやっていたら、心配事は尽きないものです。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ・・・って日常的な業務に忙殺される。
だけど慢性的にネガティブなループにハマっている場合を除いては、わざわざその日常を意図的に変える必要はないと思うんです。幕之内一歩風にいうと「たくさんサンドバッグを叩いて、たくさん走って、たくさん練習することで、不安を打ち消す」のです。
このDRMモデルに沿ってビジネスをしていれば、問題となるのは「どれだけ全体像に近づいたか?」ただそれだけです。往々にして問題は量で解決されるのです。量を積んでないうちから「心配です」とか「うまくいきません」とか質問されても、「そりゃそうだ」以外の言葉は出てきませんよ。
ということで、%%fname%%さん。いま、綺麗な桜が見えていますか?綺麗な桜が見えているうちは、わざわざその景色を変える必要はないと思いますけど。
「知る」ってのは思っている以上に強力なので、ご用心。