(ちなみに来月から一ヶ月間は韓国です)
ゲコゲコと煩わしい友人の携帯が鳴り止んだのは、僕たちが成田空港を飛び立ったその瞬間でした。当然です。離陸時の機内アナウンスにあるように「電波を発するもの」は電源を切る必要があったからです。実際には8時間のフライト中にも数件の成約があったので、僕らが空の上にいる間ですらカエルは合唱を続けていたことになります。これ、インターネットビジネスの象徴的なイベントですよね。セールスしていない間も物が売れるのは非常に不思議な感覚です。
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諭吉は印刷できないけど・・・
誇大広告はそれほど誇大な広告ではなかったのです。まるでどこかの怪しいセールスレターのヘッドコピーのように「寝ている間に現金製造機が勝手に福沢諭吉を印刷してくれる」ほどインターネットビジネスは簡単ではないけど、普通の人が想像するおおよそ1/2から1/5ほどの労力で彼らと同じだけ稼げるビジネスモデルだと表現しても差し支えはないはずです。誰を指して「普通」というのかは議論の分かれるところではありますが。
インドから帰国して(インド旅行については書くと長くなるので割愛させていただきます)、僕たちは別々に仕事を始めました。一度僕たちはここで距離をとります。喧嘩をしたわけではないんだけど、このままではシステムがうまく回らないとお互い直感したからです。先に言っておくと、彼は数年後に六本木で起業した時の創業メンバーです。あとでまたくっつくわけですね。
学生のくせにお金を稼ぐのは後ろめたい
僕は僕でアメリカ留学の準備に忙しかった。どこかで説明する機会がきっとあるはずですが、石崎は大学の4年間と留学の1年間を無料で過ごしました。いわゆるスカラシップですね。アメリカ留学に至っては、”フル”スカラシップだったので学費だけじゃなくて食費も生活費も全部タダでした。本当、お金を出してくれた日本には頭が下がる思いです。いつか別の形で還元できればと考えています。インドから帰国後はその準備に忙しかったわけです。割と学業も頑張っていたし、どこか学生の身分でお金をガツガツと稼ぐことにやましさを感じていた部分もあったはずです。一応、自分の名誉のために発言しておくと、お金を稼ぐ行為に後ろめたさを感じていたわけではなく、学生のくせにお金を稼ぐという行為に後ろめたさを感じていました。あれ、別に言う必要のないことでしたね。
自分が学業と仕事を両立できるほど器用な人間でないのはわかっていたし、そもそもインターネットビジネスというのは器用な類の人間(いわゆる頭の切れる、と表現される人々)がやるものではなかったので、いくらそこに利益の源泉があっても無理に手出しはしないというか、適度な距離感を保っていました。もちろんそれは源泉ですから、蛇口をひねるまでもなく、とくとくとお金が入ってきてはいました。あえて源泉に手を突っ込み真水をつかむような行為はしなかったということですね。
バカになるほど本を読みまくった学生時代
僕にとっての学業は、アカデミックに学校の勉強を頑張ること(法学部だったので法律の勉強ですね)と、もっぱら図書館の本を読み漁ることから成り立っていました。あまり信じてもらえませんが、学校が終わるといつも図書館に行き、毎回20冊を机に積み上げて読んでいました。その日に読み終えられなかったものはそのまま借りて家に持ち帰って読んでいました。だいたい毎日6冊くらいの本を読んでいたと記憶しています。自分に文才があると思ったことはないけど、今こうやって淀みなく文章を吐き出せるのはその当時の「タメ」を利用しているのは間違いありません。
図書館に限らず生協でもたくさん本を購入しました(10%OFFなので)。生協で購入する本はもっぱら自己啓発本やビジネス本です。学費がタダにもかかわらず、学生支援機構から月々10万円を借りていたので、お金はかなりあったと思います。しかもインターネットビジネスからの収入もありました。学生の身分で毎月のように海外旅行していたのは、そういう事情があったのです。ちなみに学生支援機構からトータルで400万円ほど借りましたが、大学を卒業した次の年に一括で返済しました。これもやはり学生時代に作った「タメ」をマネタイズ(収益化)したにすぎません。
自己啓発本を読んでいたのは自分をモチベートする意味もありましたが、それ以上に他人をモチベートするために利用していた・・・というと少し悪どいでしょうか。うんうん。タチが悪いですね。アメリカの自己啓発市場が3兆円を超えていると知っていたし、札幌でそういう系のセミナーがどれほど盛り上がっているか自分がそこに参加して身をもって体験していたので、彼らのビジネスモデルを真似ればそれなりにお金は稼げるだろうと安直に考えていました。学生の分際ですから短慮なのは仕方のないことですが、今から考えるとその短慮さが今の経済状況を支えていることに気づかされます。
今更「7つの習慣」知っていますか・・・と言われてもねぇ
Facebookをやっていた当時、社会人3年目、4年目の同級生が「この本はすごい」と7つの習慣を紹介していました。コメントを見ると、年配の方々が「その年齢でコビー博士の本を読めるなんて幸せだね」など彼の若さを絶賛しているようです。それも一人や二人でなく、二桁の規模で年配の方々がコメントをしていました。僕はその光景を見たときに、Facebookをアクティブにやっている人たちのレベルを垣間見た感じがして、すぐさまアカウントを閉じました。
いわゆるアウェアネストレーニング(自己啓発)と呼ばれるものは大学の4年間で一通りやり、7つの習慣に至っては高校3年生の時から暗記するほど読んでいたので、そのコンテンツだけでなくフランクリンコビージャパンのビジネスモデルまで熟知していたほどです。熟知していたというか、彼らのお客さんになったというか。自己啓発にハマるタイプ人ならうんうんと理解してくれるはずですが、400万円なんてすぐに消えます。僕の400万円もすぐに消えました。いや正確にはインターネットビジネスからの収入もあったので、400万円以上を自己啓発に費やしてきました。(だってNLPのセミナーなんて100万円もしますから!)
ベストセラー作家のほとんどは自己啓発マニア
ビジネス書でそれなりに売れている人たちのルーツを辿ればわかることですが(知人も含まれているのであえて具体的な名前は挙げません)、彼らは自己啓発マニアであることがほとんどです。自分たちが啓発されてきた内容をそのまま自著で書く。あるいは自分に響いた表現をパラフレーズして、やはり自著に書く。おそらく自己啓発にハマる人にはツボがあるのです。そのツボをうまく刺激する文章を書ければ、ぶっちゃけなんとかなります。インターネットビジネスでは困ることはないでしょう。
さてそうやって、ちょっとキモい文学少年は完成しました。彼の名前は石崎というそうです。自分と他人をモチベートするために自己啓発書を読むなんて、かなり捻くれた人間のやることです。でもこれ言いながら、自分の奥義を少しリークした感じがするので、消そうかどうか真剣に悩んでいます。なんか変な感じですね。捻くれた人間はそういう寛容さをも持ち合わせているようです。これをリークすると自分の食い扶持が減るかもしれないので、あえて言うなんてやっぱりどこか捻くれています。
4位まで奨学金をもらえる審査でトップ通過
さておき。留学準備もスムーズに進み、留学するための奨学金をくれる審査員(合計で4人に審査されました)をことごとく唸らせて、1位通過でそれを掴み取りました。4位まで奨学金をもらえるそうですが、僕を除く3人は全員、英文科?(普段から英語を勉強する学部)の人たちでした。ちなみにどうやって僕が審査員を唸らせたかはここでは秘密です。たぶん墓場まで秘密を持っていくのかな。あるいは息子にだけ伝授するか。まあいいや。きっと誰もが一つや二つくらいはネットでは公開したくないような人生のテクニックみたいなものを持っているはずです。
留学先ではCSIS(コンピューターサイエンス&インフォメーションシステム)に編入しました。法学部法律学科から計算機学科への転身です。自身の数学力を証明するものがなかったし、Pre-requisiteのクラス(algebraとdiscrete mathematics)を履修しているわけがないので、その場でテストを受けてなんとか本科の学生たちと同様に扱ってもらえるようになりました。テストの内容は数III数Cに加え学部レベルの統計学が出題されていたと記憶しています。100点満点で70点が合格点でした。僕は79点でギリギリ合格。韓国の理工系の人たちもなぜかテストを受けさせられていて、彼らは92点とか99点を取っていました。日本人は石崎を含めて4人そのテストを受けて他の3人は落ちていました。あと南米系の留学生もかなりの数が落ちていました。
でも大学の授業は、さっぱり意味がわからなかった
TOEICでもTOEFLでもある程度の点数は取っていたけど、やっぱり教授の言っている内容はほとんど分かりませんでした。20%でも理解できればいいとこです。でも現地の学生でも50%くらいしか理解できていなかったはずです。クラスの半分以上は母国語を英語としない人たちから構成されているんですけど、彼らに聞いてみると「何を言っているかさっぱり。これから図書館だわ」と口をそろえて言っていました。図書館には大学院生がバイトでTeaching Assistantなるものをやっていて、彼らにマンツーマンで教えてもらうと70%から80%くらいまで理解出来るという感じの人がほとんどだったと思います。
アメリカの大学ではプレゼンス(存在感)が評価対象になるとか聞いたことありますか。確かに評価項目の一つですが、まあたかだか一つです。例えば Java のオブジェクト指向をアカデミックに理解するクラスには、前から二番目の席に座り一番前の席に足をかけて授業を聞いているアメリカ人がいたんですけど、彼は挙手することもなく議論に交わることもなく、ただ淡々とクイズ(日本でいう小テストですね)とアサイメント(宿題)とファイナルテストで満点を取り続けて、トップでクラスを修了していました。彼を見ているとわかるんですけど、アメリカでそれなりのGPAを確保したかったら、勝負は授業後です。授業後にどれだけ勉強するかが全て。教授との癒着もいらないし、たとえ幽霊のようにプレゼンスがゼロでも、教科書の内容をしっかりと理解していればA以上の成績はとれます。拙い英語しか話せない留学生でも、です。
アメリカ人に混じって成績優秀で表彰されました
秋セメスターを成績優秀で終え、一通りの儀式というか表彰式みたいなものを終え、僕は灰になりました。まあ予想していたことではありますが、大学が学生に提供できるもんなんて限られているわけです。日本とアメリカの大学を比較して「アメリカの大学はこんなに優秀だ」と言いたがる人たちがいますけど、ぶっちゃけそんなの誤差です。確かにアメリカの大学は勉強しないとついていけないし、学生のレベルも総じて高いと思います。でもそれだけ。それ以上を大学に期待しちゃダメです。例えば好きな女性に対してドキドキした感情を抱くその気持ち・・・これは大学が与えてくれるものではありません。そう言った課外活動から来る喜びは課外活動から得るしかないのです。
お金の神から二度目の啓示
僕にとってのそれが、ビジネスだったんです。いよいよ、適度な距離を保っていた利益の源泉を真剣に掘り起こす時期が来たのです。春セメスターの後半になり、周りが帰国の準備を始める時、僕はマニラ行きの航空チケットを取っていました。そして、自分の中でもとりわけ強く記憶されている印象的な出来事が起こったんです。二度目の啓示です。
その啓示によると、僕はDRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)を使って半年後には六本木で起業し、マーケターとしてそれなりに成功するだろうというものでした。ものすごく厚かましい表現ですよね。だけど・・・今でもその記憶を鮮明に覚えているのは幸せなことだと思っています。実際に今こうやって現役のプレーヤーとしてこのこの世界に生き残っていることを鑑みると、その啓示というか直感は1mmのズレもなく成就されたのですから。