時代の流れには、見えない「周期」が埋め込まれているのかもしれない。およそ15年ごとに、技術が社会と出会う時期がやってくる。専門家が開発してきたテクノロジーが、一般の個人に広く開放され、そこに新たな社会的意味と文脈が立ち上がる機会が訪れる。
1975年生まれの私が最初に経験した「技術の社会化」は、1980年前後の「パーソナル・コンピューター」であった。それまで限られた専門家のものであったコンピューターが、個人のためのものとなり、家庭にやってきた。
次の経験は、1995年前後の「インターネット」であった。それまで限られた専門家のものであったネットワークが、個人のためのものとなり、家庭が世界中とつながった。
そして2010年後頃から、再び次の可能性が芽生え始めた。「パーソナル・ファブリケーション」-工業の個人化である。これまで限られた専門家のものであった「デジタル工作機械」がいま、個人のためのものとなり、家庭にやってこようとしている。そして、機械のみならず、「つくる」という行為そのものが、日々の暮らしのなかに戻ってこようともしている。
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Adobe社がGoogleに買収された場合
Adobe社がGoogleに買収されて、Adobe製品(例えばPhotoshopとかAEとか)が無料で開放されれば、多くの人がネット上でクリエイティブに作品を提供できるようになる。僕が2010年にAdobeのマスターコレクションを買った時は40万円だった。それが0円で入手可能な時代もそう遠くはない。もちろん無料だからといって、プログラミング言語が市民の言語で無いように、一定の習得期間が必要になる。
とはいえ、映画ソーシャルネットワークのワンシーンワンシーンにAdobeのAEが使われており、それがCCで毎月5000円で、僕たちの手元に全く同じものが存在すると思うだけでワクワクしてくる。一人一人がものづくりにもう一度ワクワクする時代がやってきた。YouTubeが無料でサーバーを貸してくれている間は、好きなだけHDで映像を撮り、AEやPremiere Proで編集し、アップロードしてしまおう。
このデジタルファブリケーションの時代、僕はもう一度、「自分で作る」の面白さに目覚めてしまった。直近の5年間で積み重ねてきたマーケティングの技術がようやく、このデジファブの時代とうまく絡み合っている。嬉しい。
文責:石崎力也
クリスの最新刊も同様なことが別の視点で書かれている。
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