ネスカフェアンバサダーに無料で配布されるエスプレッソマシーンを使い、夏でも冬でもそれはもう熱い熱いコーヒーをマグカップになみなみ注ぎ、火傷をしないように書斎に持ってゆきます。書斎から紅葉が見えればベストなんですけど、インターネットビジネスをする人に季節を変える力はありませんので、強い夏の日差しや凍えるような吹雪のある風景に甘んじることの方が多いようです。さて、これから何を書こう。どんなストーリーを展開しよう。それは日々の幸福です。大学・高校受験に合格した瞬間や(大学は2回も落ちたが)、サッカー日本代表として相手チームのネットを揺らした瞬間ほど幸せではないかもしれないけど、日々の中に小さな幸せを感じられる時間帯があるのは慶賀すべきことではないでしょうか。
ブログを書くのは幸せそのもの
パソコンの前に座って、頭の中にある抽斗を開け閉めしながら「何を書こうか」と考えている時間はハッピーそのものです。あとで話しますが、おそらく物を書く人が同業者と差別化しようと思ったら、書き手が幸せな気分で文章を綴れるというのは大きなポイントになるはずです。自分の中に文学的な表現が蓄積されているわけでもなく、波乱万丈な人生を送っているわけでもないのに、それなりに文章を書いてそれなりの食い扶持を確保しているのを鑑みると、「楽しく書いているから」以外の理由が見つからないわけです。そりゃ小説家のように読者の内側に潜り込めるような言い回しができるとベターですけどね。物書きとしての人生はもっと楽になるでしょう。ままあ「できれば」の話ですが。
文章が書けない、の意味がわからない
僕自身がそういう性質の人間なので、文章が書けないという質問をいただいても何とお答えすればいいのかわからない次第であります。英語で言うところの「ライターズブロック」みたいなものにも遭遇したことはありません。大学1年生の頃からメルマガもブログもしこしこと書き続けているわけですが、これまで「書けない」という状態になったこともないし、「文章が出てこない」というのも経験していません。というのも、書きたい時にしか文章を書いていないので、書きたくない時に文章を書こうという状況が皆無なんです。そういう時は9か月の息子と散歩に出かけたり、飛行機に乗ってさざ波の音が綺麗な南国でゆっくりとしています。
基本的に「書く」か「旅をする」かのどちらかで、拮抗するオセロの盤面のように、ほどよいバランスで白と黒が散りばめられています。ある時は書くし、ある時は旅をしている。旅を続けるのは「それが楽しいから(Just For Fun)」という純粋なモチベーションに加えて、マテリアルを内側に蓄積するためでもあります。格好をつけているわけではないので、本当に文面通りに理解していただけると嬉しいのですが。
マテリアル = 素材 = 記憶
茂木健一郎さんが「TOEICはダメだよ。だってマテリアルがつまらないもん」とグロービズの講演会でスピーチしていました。マテリアル(素材)ですね。要は文章がつまらないと。これ、耳痛い話ですけど、本当です。TOEICの文章を読んで「人生変わった」という話は聞いたことないし、僕自身も、その文章から影響を受けたことは一切ありません。
セーター買ったけどサイズ違いだったから交換して欲しいとか、Bad Weather で飛行機に遅延が生じているから会議には出れそうもないとか、3ヶ国語を話せる同僚のケンダルが今度テレビでインタビュー受けるらしいよとか・・・まあどうでもいいような内容ばかりです。なんでこんなプレーンな文章になるかというと、そこにはセンシティブレビューとかアイテムライターの存在があるからだよと少々テクニカルな話題になるので、ここでは割愛します。とにかくマテリアル(素材・文章)がつまらないのは事実です。
メルマガやブログを書く人にとってのはマテリアルは記憶です。経験と言い換えてもいいでしょう。自分の人生を肯定するような言い方になるのであまり真剣に聞いて欲しくはないのですが、旅をしている人間と旅をしていない人間では、やはり蓄積されているマテリアルが全く異なります。朝7時に起きて身支度を整え昼にはセブンイレブンの弁当を食べ、適度に会議に出て、鳥貴族で同僚と飲みながらその風景をFacebookにアップロードするようなごくごく普通のマテリアルをメルマガやブログに書いても面白くありません。人と違う文章を書きたければ、人と違う経験をするしかないと思うのです。
生きていますか?それとも呼吸していますか?
ワイキューブの元社長・安田さんが「生きていることと呼吸していることは違う」と言っていました。直接的には言及されてなかったけど、彼が言いたいのは9割の人は呼吸しているだけで、それは生きているとは言えないよ、ということでしょう。波風立てずに同僚の目を気にして上司にお伺いを立てるような人生は呼吸しているだけだ、と。僕もこの素敵な金言を発見して以来どうやったら「生きる」ことができるんだろうと考えています。おそらくその暫定的な答えがここにあります。先にも言ったように「マテリアルを溜めるような生き方」です。
目の前で起こったことを動画で撮影するかのように丸ごと頭に記憶する。そこで判断をしません。結論を急いでもいけません。判断したり結論を出すことでマテリアルが圧縮されるのが嫌だからです。圧縮されたマテリアルは、ブログやメルマガのネタとして機能しません。抽斗を開けてその素材を手で触ってみても「あ、これは色付けできないな」と思うわけです。物語として膨らませることができない以上、そのマテリアルを記憶しておく理由はありません。そういう意味で(いわゆる)頭の回転の早い人は、物を書くという点においては多少不都合かもしれませんね。結論を急がずにグズグズと考えるというか、そもそも結論を出さないことが、文章をスムーズに書き続けるコツなのかもしれません。
ということで、午後2時。今日はこれ以上文章を書きません。寝るまで、マテリアル集めです。お腹すいた。いただきます。