(シンガポールのホーカーズですな)
リソースを探すことなく、記憶を頼りに書いているので、あくまでも数字は説明の便宜上用いたものだと理解してください。現代生物学っていう授業を受けていた時、1冊の本を紹介されました。パンツをはいた猿とかそんな感じのタイトルだったと思います。翻訳書でした。その本には「人間もネズミもゾウも55億回呼吸すると死ぬようにプログラムされている」と書いてありました。書きながら記憶が蘇ってきたぞ。あの本を読んだのは札幌駅前にあるコナミスポーツでバイクを漕いでいる時でした。我ながら呆れるけど、日本各地のジムに登録して半年も通うことなく辞めているなあ・・・。入会金がもったいないですね。
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55億回心臓打つと死ぬ
ネズミさんは心臓の鼓動が早いわけですね。トントントン・・・というリズムで55億回だけ心臓を打って死ぬ。リズムが早い分、時間換算すると数年やそこらで死ぬことになります。一方のゾウさんは、ドン・・・ドン・・・ドンとネズミよりも遥かに遅いスピードで鼓動するため時間換算すると70年とか80年とか生きることになります。しかし打つ回数はやはり55億回。人間もこの55億回という数字に影響を受けるそうです(実際は55億回よりも上側に数字が振れやすいと記憶しています)。
少年サッカーの監督が教えてくれたこと
さらに記憶が蘇ってきました。文章を書きながら記憶を引っ張り出せるのは、もしかすると長く文章を書き続けるための秘訣かもしれません(それはつまりインターネットを主戦場として勝ち残り続けること意味する)。こうやって「ふっ」と降りてきた記憶を、まるでカルピスの原液を水で薄めるかのように、脚色を加えて事実に色付けができるようになると割と文章を書くのが楽になります。今思い出した記憶は「監督」の言葉です。小学3年生の時から所属していた少年サッカーの監督ですね。高校受験を終えて金沢から能登島までだいたい片道100kmをチャリで走破しようと考えて(実は二回目)、ルートを確認するために、そして自転車旅のコツを譲り受けるために監督の家に行きました。そこでなぜか呼吸法の話になったんです。
監督は言います。
「知っとった、リキ?長生きするってのは、長く息をすることやげんぞ。だから一回一回の呼吸をゆっくりにして、長ーく息を吸え。ほらマラソンランナーは短命やろ。あれは心臓に負担をかけて呼吸の回数を早めとるからや」
確かそんな内容だったと思います。面白いですね、記憶って。TOEICの英単語1つ覚えるのにあれだけ苦労するのに、監督と話した内容はエピソードごとしっかりと覚えているんですから。
能登島大橋をチャリで渡ったその日
「なるほど、なるほど」
僕は監督の言葉を胸に刻みます。結局、能登島への行路において、始終サザンとミスチルの音楽がたっぷり入ったMDをイヤホンで聞き大声で歌っていたので息はゼーゼーでした。現代生物学で習ったセオリーや監督から教えてもらった知恵が正しいのであれば、あの旅行で寿命を幾ばくか縮めたはずです。しかし、朝5時に自宅を出発して、昼過ぎの一番日光が強い時間帯に、青々とした海面を堂々と跨ぐ能登島大橋を渡ったときの感動は(仮に幾分かの生命時間を消費したとしても)何度でも経験したい代物です。
ということで長生きをしたい人はゆっくりと呼吸しましょう。長ーく息を吸って、長ーく息を吐くわけです。スー、ハー。はい、それで心臓が一回「トン」。そうそうその調子。赤ちゃんとしてオギャーと生まれたその瞬間に、砂時計がカタンと逆さにひっくり返され、心臓が鼓動するたびに中の砂つぶが1個また1個と下の受け皿へと落ちていくイメージです。
Facebookをやめたわけ
この砂時計理論(さっき造った)は生命だけではなく、もっと汎用性があるセオリーだと思うのです。例えば文章もそう。僕がFacebookやTwitterをやめたのは、無駄に砂つぶを下に落とさないためでした。おそらく人生で書ける文章量は決まっている。少なくとも僕はそう確信しています。1日という小さな単位ですら「これ以上書くと不幸せになるぞ」というラインが存在します。毎回そのラインを15%〜20%ほど下回るあたりで書くのを止めるようにしているんですけど、そこらへんで書くのをやめているおかげで次の日もまた「よし書くか」という気分になれます。
もちろん1日の上限を遥かに超えて書く時もあります。例えばセールスレターを書くとき。1日4万字は平気で書きます。明らかに不幸せになるラインを超えた字数です。その場合は週単位や月単位で帳尻を合わせます。セールスレターは寝かせた上で後日修正した方が良い文章に仕上がるので、書き終えた後に「もうセールスレターなんて書きたくもないし見たくもない」というコンディションになってむしろOKなんです。
セールスレターを書くにしろ、今回のようなシリーズものをブログやメルマガで書くにしろ、何かを集中的に書いている間は、他の文章は基本的に書きません。もし他の文章を書いている時に、頭の中に蓄積されているマテリアルを消費してしまったら、本腰を入れてやっているそのプロジェクトでそのネタは使えなくなります。もちろん使い回しをしてもいいのかもしれないけど、その場合、文章がいささか華奢に見えてしまうんです。不思議ですよね。おそらく自分でも同じ内容を二回も書きたくないんです。だから二回目の方が無意識にか雑になってしまう。その雑さが文章の流れをせき止め、仕上がった文章を安っぽくしてしまう。
呼吸にしろ文章にしろ、ゆっくりと長くやるのがコツかもしれません。特にインターネットビジネスでは、文章が肝になる要所が多々あります。その要所で肝心のセンテンスが脳から出てこないのであれば、それは悲しいことだと言えましょう。