インターネットで稼ぎたい?
何かアドバイスはありますか?
1つだけ助言をするならこうです・・・「働く時間を減らそう」
新しくビジネスを始めた段階では、やることも多いし、どんどん働いちゃうことでしょう。やる気もたっぷりだし。最初はそれで構いません。でもいずれ働く時間を減らすようにしてください。アイロニカルな話ですけど、働く時間を減らさない限りインターネットビジネで大きく稼ぐことはできません。
時間がたっぷりあると、時間を無駄に使ってしまうんです。あなたがやっている活動のうち最も収益性の高いものはなんでしょう?売上に貢献している20%の仕事はなんでしょう?覚えていますか、パレートの法則?あなたは気づいていますか、どの作業が見込み客の獲得に繋がっているか?
ドラッカーはこう言います。
すべての仕事について、まったくしなかったならば何が起こるかを考える。何も起こらないが答えであるならば、その仕事は直ちにやめるべきである。
僕の場合は、働く時間を強制的に半分にしました。不思議なことに、ビジネスの収益は半分になりませんでした。いかに無駄なことをしていたかはっきりと自覚した瞬間です。ちなみに働く時間を半分にする簡単な方法は、旅に出てしまうことです。旅中、仕事をガツガツやるなんて馬鹿げています。綺麗な夕陽を見るために、自然と体は働く時間を減らそうとします。
今度は働く時間を土曜日の午前中に限定してみました。「週4時間」だけ働く(by ティモシーフェリス)を実践してみたわけです。またまた不思議なことに、ビジネスの収益は減りませんでした。すでにコンテンツが蓄積されていたし、Udemyから定期的に流れてくる不労所得の仕組みがあったのも事実です。しかし週に4時間だけ働いてお金を稼げるのは驚きそのものです。再び自覚します。僕たちは生産性の低い活動を常に抱えていると。
ドラッカーはビジネスマンであれば、優先順位は当然だけど、劣後順位をつけるべきだと言います。別名、廃棄リスト。もう一度まっさらな状態で意思決定できるとしたらそれらの活動を始めるかを問います。廃棄リストには惰性で続けている成果に繋がらない仕事が並びます。僕が働く時間を半分にして、さらに週に4時間だけ働くようにした時、廃棄リストの上位にあった活動を徹底的にやめました。
人にはサンクコストを気にする習性がありますから、仮に成果に繋がらない活動でも惰性で続けていた方が精神的に楽ということは往々にしてあります。例えば僕にとってのそれが、SNSでした。前々からわかっていたんです。TwitterやFacebookやInstagramは、見込み客の獲得にほぼ貢献していないと。誰かのツイートを追いかけてたまにリツイートし、友達の友達の結婚に対して「いいね」を押すのが、いかに無益な活動であるかは心の底では理解していたんです。SNSのアカウントを全て消し、iPhoneから全てのアプリを消した瞬間に、膨大な時間が創造されました。辞めてから、こう思うわけです。
なんであんなのやってたんだろ?
例えば僕の友人は、毎月28日に家から28個のものを捨てているそうです。「いつか使えるだろう」というものがどんどん蓄積されていずれはゴミになるそうです。ゴミに対して家賃を払うのはもったいない!とある時に思ったそうです。それ以来、この「28個捨てる」を習慣にしているとのこと。彼は口癖のようにこう言います。「使えるものは捨てる」と。切実に必要なものって本当に少ないそうです。捨てる習慣のおかげで、潜在的なゴミ候補を買わなくなったそうです。欲しいものが見つかっても「どうせ、ゴミになるし」と買わない。これ、すごいいい習慣だと思いませんか?
世の中には文字通り数万のマーケティング施策があります。でも成果に繋がるのはごくわずかです。今日この瞬間も新しいマーケティング手法が生まれていることでしょう。そういった成果が出るかどうかわからない手法には飛びつかない。少なくとも僕は「新しいことを始めない」を仕事をする上での信条にしています。新しいことを始めたら、そのための時間を割り当てなきゃいけない。大抵は、読書の時間を削り、家族との時間を削り、睡眠を削ることになる。それってサステナブルじゃないんです。
起業家にはチャレンジ精神が大事だと誰かが言っていました。どんどん新しいことを始めろ、と。僕はそう思いません。むしろ積極的に辞めることの方が重要だと思っています。何かを始めることは簡単です。一旦、やり出すと、それが生活の一部となります。知らぬ間に非生産的な活動に多くの時間を費やしている。始めるのは簡単だったけど、辞めるのは勇気が必要です。勇気のない人は、自分のコンフォートゾーンを維持するためだけに、睡眠時間を削って非生産的な活動を継続します。
成果に繋がらない80%の活動を辞める勇気が必要です。新しいことを始めるより、何を辞められるか考えましょう。勇気を持って決断するんです。もうこれはやらない!って。僕がやめたことのいくつか紹介しましょう。
- SNSで発信すること
- SNSを読むこと
- 他人のブログを読むこと
- 毎朝メールを確認すること
- 重要でないメールに返信すること
- スマフォを携帯すること(iPhoneにはSIMカードが入っていません)
- 毎日ブログを書くこと
- 記事広告を受けること
- 人と会うこと
- ミートアップなどの交流会に参加すること
- マーケティングの本を読むこと
- インターネットに常時接続すること
かつて1本2万円で記事広告の仕事を受注していました。最初は8000円でスタートし、徐々に値段をあげて、最終的には商品レビューの記事を1本書くだけで2万円をもらっていたんだけど、それも辞めました。数時間の執筆時間が惜しいと考えたからです。もっともっと短い時間で会社の売上に繋がる活動ってたくさんありましたので。
本を読むと影響を受けてしまいます。そもそも現時点で仕組みがうまく回っているのに、何を改善しなきゃいけないのでしょうか。新しいマーケティングの施策を見つけると、試してみたくなるのが目に見えています。だからこそ、あえて新しいマーケティングの施策に触れない。いまのビジネスモデルが完全に陳腐化するまで、この手法を使い続けることにしたのです。
先日、宮古島にAirbnbの物件を見つけました。なんとこのご時世、インターネットが通っていない。ポケットWifiもない。僕らは携帯電話も持っていないので、どうしようと思ったんだけど、やってみたらすごい快適でした。なんとかなるもんです。インターネットビジネスをしているからと言って、インターネットに常時接続していなきゃならない理由はありません。ネットが必要なときだけマクドナルドに行きました。
なぜこんなにも断捨離を強制断行したか。
ある時、気づいたんです。
いつかやりたいと思っていたことが、「今できる」って。
本当にやりたいことをやるためにリタイアメントを待つつもりは更々なかったけど、それでもやりたいことを先延ばししている自分を発見してしまったんです。
僕は25歳で初めてギターを弾きました。レッドホットチリペッパーにかつて所属していたジョンフルシアンテがカリフォルニケーションを演奏するのを見て「かっこいい!ギター弾いてみたい」と思ったのです。そう思ったのは、18歳の時でした。当時の僕は「TOEICのお勉強」というくだらない優先順位のせいで、やりたいことを先延ばしにしていました。英語のお勉強なんて糞食らえです。日本語を使って好きなこともやっていない人間に、他国の言語が必要なわけがありません。あれから7年経ち、僕はシカゴにいました。Airbnbで発見したアンドリューというバンドキュレーターの家に長期で住み込み、新婚の奥さんと毎日ギターの練習をしていました。
アンドリューの家には入れ替わり世界中からバンドがやってきて、演奏し、お酒を飲み、またすぐに去って行きました。おそらくメジャーなバンドではないだろうけど、ちゃんと自分たちのやりたいことがわかっていて、それにしっかりと時間を割り当てている。僕とは逆の生き方をしている人たち。いつも将来のことばかり考えて、簿記の勉強やら英語の勉強をしているかつての自分が本当にカスのように思えました。アコースティックギターが家に届いた瞬間から僕たちは、疲れることを忘れて、寒い寒い地下の演奏室(シカゴの冬はマイナス20度!)でギターを鳴らし続けました。やりたいことをやるってこういう感覚なんだな。それを知るまで25年の月日を要しました。
ギターを朝から晩まで引き続けること3ヶ月。僕たちはカナダのバンクーバーに居ました。奥さんが言いました。「ギターも楽しいけど、テニスはもっと楽しいと思うんだ」と。要するに、次は私の番よということです。僕の好きなことだけに奥さんを付き合わせるのは確かに悪いと思っていました。ちょうど、体を動かしたいと思っていたし、これはいい機会だ。僕は言いました。「じゃあ、3ヶ月毎にテーマを変えよう。交代でテーマを決めるんだ。前回のテーマは僕が選んだ。次回のテーマは君が決めて」と。
同世代の人たちが仕事に打ち込む姿を傍目で見ながら、こんな生き方でいいのだろうかとたまに自問することもありました。そういう時はシュノーケリングをして水中に潜り、海辺でハイネケンビールを飲みます。血中アルコール濃度が少し上がると「これでいいのだ」という気持ちになります。SNSを見るから、他人と比較してしまうんだ。ちょうどその頃です。SNSのアカウントを抹消し、iPhoneからそれらのアプリを消したのは。僕たちはテニスの用具一式を新調し、次の目的地、ニューヨークへと向かいました。
セントラル・パークのテニスコートは通常、冬になると雪と寒さのため閉鎖されます。でもハードコート4面だけは無料で解放されているとのこと。この情報をYelp!で入手するやいなや、吐息が白く凍るニューヨークの街を、ジャパンテクノロジー「ユニクロ」を着て、僕たちは颯爽と駆け抜けます。クリスマスイルミネーションに彩られたニューヨークの街は、きっと世界中で最も明るいシティでした。ロックフェラーセンターの前にあるクリスマスツリーの前に観光客が集まっています。世界中の言語が聞こえます。僕たちはテニスラケットを抱え、前へ前へと進みます。目的地はニューヨーカーの憩いの場所、あのクソでかい公園。
コートを見つけた。既に先客がいる。でも一番右のコートは空いている。よし、やろう。鉄でできた重い扉を開けてテニスコートに足を踏み入れます。コートの一部が凍っている。気をつけなきゃ。ネットの付近には雪が溜まっている。でも問題にはならないだろう。なぜならラリーすらできないんだから。人生で初のサーブをします。奥さんは左手でボールを上空へとトスしました。そもそも真っ直ぐ上がっていない。フレームにあたったボールが、隣のコートへと飛んでいく。隣はメキシコ人だ。ラリー中、すいません。Hola! Sorry!
セントラル・パークから出て、駅の近くにあったチャイニーズレストラン、夜ご飯を食べていました。僕はFried Jumbo Shrimp($5.95)とSeafood Fried Rice($4.95)を、奥さんはPork w. Mixed Vegetable($6.25)を注文。いつも同じものを注文するので値段を覚えています。僕は聞きました。どうしてテニスを選んだんですか?って。そしたらこう答えてくれました。
「ラリーの音がクールだからよ」
学校からの帰り道、コートで上級生がテニスをしているのを見て、いいなあと思ったそうです。僕らはこんな風にして、過去にいいなあと思ったことを大人になってから一つずつ回収してきました。料理をマネタイズすることに成功したからです。インターネットビジネスが軌道に乗ってくれたおかげです。
いつかやりたいと思っていたことを、今すぐやる。最近は特に、好きなことをやるのが簡単になったように感じます。これには2つの方向性があります。1つは世界の変化、もう1つは自分の変化。
まず世界が変わっている。シェアリングエコノミーの存在、特にAirbnbの登場は僕たちの人生に大きなインパクトを与えました。このコンテンツも、南の島にあるAirbnbの長期滞在先から書かれています。ホテルでは料理ができない。Airbnbなら料理ができる。まるで自分のうちに住んでいるかのようです。1ヶ月以上滞在すると、長期割引が適用されます。僕たちはいつも最低30日以上の予約を入れます。Airbnbは、僕たちの旅行スタイルをガラリと変えました。
デジタルマーケティングの進化は僕たちの働き方を根本から揺るがしました。オートメーションツールのおかげで、顧客関係のマネジメントがかなり楽になりました。これまで人間が数時間かけてやっていたことを、ソフトウェアが数秒でやってくれる。見込み客の獲得、教育、決済、納品・・・これらを自動化できるなんて、数年前までは考えられませんでした。今では、それらを自動化するのが当たり前になっており、自動化できていないテクノロジーに疎い企業は完全に負け組になっている。個人事業主の単位でも同様です。英語圏で開発されたオートメーションツールを使いこなせていない人は、大きく遅れをとっていると自覚する必要があります。
マーケットプレイスが加速的に拡大しました。デジタルコンテンツの世界ではUdemyの存在を無視することはできません。かつては、WordPressでランディングページを作り、PayPalやStripeで決済ボタンを発行しそれを埋め込まなきゃ行けなかった。顧客とのコミュニケーションにはConvertKitやMailChimpを使っていました。オンラインコースをホスティングするためにVimeoを使っていました。Udemyはこれら全ての機能を兼ね備えたオールインワンのツールです。Udemyさえあれば、他のソフトウェアやWebサービスは不要になります。強調すべきは、彼らの集客力です。インターネットビジネスの世界では、集客の失敗はビジネスの失敗を意味していました。集客できない人は、どうあがいてもビジネスで成功できない。これが定石でした。Udemyはその概念をぶっ壊した。Udemyが僕たちの代わりに集客をしてくれる。いよいよ集客すらもオートメーションする時代がやってきたのです。Udemyのことを、オンラインコースのECサイトでしょ・・・程度の認識で捉えていたら大間違いです。Udemyが集客をしてくれる今日、僕たちは自分で見込み客を集める必要はありません。Udemyはリードジェネレーションの意味を刷新しようとしているのです。
世界の変化によって、僕たちは、いつかやりたいと思っていたことを少し前倒ししてできるようになりました。テクノロジーが進化し、マーケティングツールが廉価で配布されることで、かつて僕たちが苦労していた作業の大部分をオートメーション化できるようになりました。
世界が変わり、自分も変わる。世界の変化に呼応して、僕も少しずつ考えを改めるようになりました。
労働観の変化。かつてはたくさん働くことはいいことだと思っていました。でも今はそうは思いません。わざわざロボットが代わりにやってくれることを、わざわざ人間がやる必要ないんじゃないかと思うようになりました。これまで自分がやってきたこと、そして今やっていることをリストアップしてみると、そのほとんどが非生産的なことばかりです。いずれAIに取って代わられるような仕事を、一生懸命やるなんて馬鹿げている。世界中を旅しながら、本当にいろんな方法で稼いでいる20代の人たちに出会いました。仮想通貨の値上がり益でリタイアした人。ECサイトを売却して世界を放浪している人。米国株にお金を投資して配当金だけでミニマムに生活している人。フランクフルトにいる時はバリ島の物件をAirbnbに出し、バリ島にいるときはその逆をし、フランクフルトにもバリ島にもいない時は両方の物件をリスティングし滞在先の資金を確保している人。僕らのようにコンテンツを販売して生計を立てている人。
いろんな人を見てきて、労働そのものが割りに合うことってほとんどないよなと思うようになりました。仮に僕たちが、極めて世界に重要な影響を与える仕事をしていたとする。そうであれば労働が割に合うかどうかを考える必要はないと思うのです。見返りを求めずに一生懸命打ち込めばいいと思う。まるでスティーブ・ジョブズがiPhoneを作るように、人々の生活を根幹から変えてしまうような仕事です。一方、そうでない仕事。具体的には「生きるためにやる仕事」です。お金を稼ぐためだけの仕事です。通常お金を稼ぐためだけの仕事は、オーディナリーな仕事がほとんどです。一部の人には役にたつかもしれないけど、世界を揺るがすようなものではない。
正直、あってもなくてもいいような仕事。そういう仕事って、やっている本人が楽しんでいない限り、割に合うことってないと思うんです。例えば、僕は記事広告を1本2万円で受注していました。ブログ記事を1つポストして2万円をもらうライターの仕事です。もちろん楽しくはない。1つの記事を仕上げるのに2時間ほどかかります。大切な生命時間のうち2時間が、たかだか2万円のためだけに浪費される。これって割にあっているんでしょうか?僕はそうは思いません。2時間もあれば、家族と一緒に料理して食事することができるし、ゆっくりと露天温泉に入ることもできます。もし誰かが「その幸せを2万円で売ってくれ」と言ってきても、僕はその取引には応じません。だから記事広告も受けないことにしました。
生きるためのオーディナリーな仕事は、完全に自動化して、マーケティングツールに稼いでもらうことにしたのです。だからUdemy、MailChimp、Teachable、Samcart、Deadline Funnel、Zapierを使いこなし、システマティックにお金を稼ぐ仕組みを作り上げました。テスト運用を経て、実際に自動で回っていることを確認し、僕たち家族はMacBook Proを2台抱えて飛行機へと乗り込みました。あれから数年経ちましたが、どうやらそれなりにうまく仕組みは動いてくれているようです。きっと働かなくても生きていけるだろうということは何となく直感していましたが(そういう人をたくさん見てきたので)、それを実行に移してみると、思っていたよりも簡単に達成してしまったので拍子抜けしてしまいました。英語圏で言われている Passive Income ってのはこのことか、と。
1921年にノーベル物理学賞を受賞したドイツ出身の天才、アルベルトアインシュタインはこう言っています。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.(常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。)
僕たちは「こうしなきゃいけない」「こうあるべきだ」という偏見をあまりにも多く持ちすぎています。うちの母親はよくこう言っていました。「県外に出ちゃダメ」と。ずっと生まれ故郷の石川県にいなさいと。石川県の大学に行き、石川県で就職しなさいと。祖母も同様に「長男だから、金沢で公務員をやらなきゃ」と。僕は彼らのいうことを盲目的に信じていました。ああ、人生ってそういうもんだと。それが常識なんだと思っていたんです。僕は母親も祖母も恨んでいません。彼らは彼らの都合と僕の将来を考えた上で、最善の策を提示してくれていたのだから。
でも、違うものは違う。そういった18歳までに身につけた偏見のコレクションを1つ1つ剥ぎ取る作業は、結構な時間を要しました。もしかしたら今もそのプロセスの途中なのかもしれません。
あなたは「働く時間を半分にできる」と思いますか?そう思えなかったら、それがあなたの偏見です。
あなたは「2倍のお金を稼げる」と思いますか?そう思えなかったら、それがあなたの偏見です。
あなたは「働く時間を半分にして2倍のお金を稼げる」と思いますか?そう思えなかったら、それがあなたの偏見です。
僕同様、あなたもたくさんの偏見を抱えて生きています。偏見があることを悪いとは思っていません。逆に偏見を取り除くことを良いとも思っていません。僕はよく奥さんと「それ、Enlitenment だわ」と言います。新しい見方に出会い、まさに目が醒めるような感覚です。自分の中から偏見が一つ、ポロリと剥がれ落ちていく。偏見を取り除く体験は、良いとか悪いとかではなく、楽しい。僕がアメリカ留学中に繰り返し読んでいた本のタイトルを思い出します。Linuxの生みの親、リーナストーパルズが書いた本です。
Just For Fun。邦題は「それがぼくには楽しかったから」。
もう一回いいます。世界中を旅して、現地の人と話し、たくさんの本を読み、新しい考え方を手に入れる。目が醒める思いをする。また体から1つ偏見が取り除かれる。それは良い悪いではないんです。Just For Fun。ただただそういう生き方が楽しいんです。子供の頃、それが楽しいからという理由だけで十分だったはずです。大人になるにつれ、それが楽しいからという理由だけでは周囲が認めてくれなくなりました。そして僕たちの心から Just For Fun という気持ちは消え、自分の心の声ではなく、社会の反応を基準に生きるようになります。
日本に帰国して僕が感じる閉塞感って、きっとそういう他人の目を気にしすぎる風潮だと思うのです。それに加えてFacebookもやっている。プライベートまでをも世間に差し出し、好んで社会の監視を生活の中に取り込んでいる。それってしんどくないですか。他人の目のためだけに生きている。社会から「いいね」をもらうだけの人生ってクソだと思うんです。
リーナストーパルズのように、自分の中の楽しいっていう感覚を大事しなきゃ。他人の「いいね」ではなく、自分の「いいね」を大切にする感覚です。
他人はどうだっていい。自分自身が強烈に「いいね」って思えることをあなたはやっていますか?