何かを変えなきゃいけない。
でも何から変えればいいかわからない。
なんでこんなにも一生懸命働いているのに、僕の人生は一向に楽にならないのだろう。
そう思ったことはありませんか?
僕はあります。いつもそう考えていました。
このくらい年齢になると、同級生の何人かは大企業でそれなりのポジションに付きはじめます。知人の一人はジョブインタビューを受け、投資銀行での成功を誇らしそうに語っていました。別の同級生は、友人同士でウェブ決済の会社を立ち上げ、事業登録者が10万社を突破したとプレスリリースを出していました。
それに比べて僕のキャリアはなんて惨めなんだろう。惨めだと感じるけれど、具体的に何をやればいいかわからない。
まるでドアノブのない部屋に閉じ込められ、出たくても出られないような心境でした。紀伊国屋書店に行き、ビジネス書を3冊買って家に帰る。「非常識な成功法則」と「金持ち父さん、貧乏父さん」そして「7つの習慣」。確かに本を読むと一時的にモチベーションを得られる。なんか人生がいい方向に行っている気がする。
もちろん、気がするだけ。
目立ちたい。褒められたい。他の人よりも優れていたい。
こんな考え方、4歳くらいの頃からしていたような気がします。
どうやったら他の人よりもうまくやれるかずっと考えていました。
小学生の時も中学生の時も。
周りの大人にアドバイスを求めても、彼らは「努力しろ」の一点張り。
友達よりも多くの遊戯王カードを集める。テストでいい点数をとる。空手で黒帯を取る。それ自体が楽しかったわけではないけれど、努力して少しだけ結果が改善されたら、人生における何か大切なものが前に進んだ感じがしていました。
何かをよくしたければ、自分を変えなきゃいけない。ずっとそんな風に思っていました。その考え方は大人になっても続きます。
同い年の人たちが幸せそうな人生を送っている。僕も同じようにハッピーになりたい。自分を啓発するために本を読んでみる。
「あなたに足りないのは行動だ」と言われればそういうような気もするけど、具体的にどんな行動をすればいいのかわからない。だからとりあえず、当たり障りのない、やったら良さそうなことをやってみる。
読書をして、自己啓発系のセミナーに参加し、NewsPicksとグノシーの有料会員になって情報を集める。名言をツイートするアカウントをフォローして、特に気に入ったものはエバーノートにまとめて、定期的にそれを読み直す。YouTubeで「やる気」が出る系の動画を探し、繰り返し視聴する。Udemyで将来役に立つかどうかもわからないプログラミングのコースを受講する。20時間の講義で1200円。超お買い得。マーク・ザッカーバーグだってプログラミングができたら成功したんだもの、と自分に言い聞かせる。
古典的な成功法則も試してみる。目標を紙に書いて壁に貼る。朝起きて、こうなりたいと思う自分を鮮明にビジュアライズする。寝る前にアファメーションを唱えて無意識になりたい自分を刷り込む。
意識の高い人であればやっているであろうことを、いつも真似していたような気がします。
それでも一向に現実は変わらない。
- 朝4時に起きて、TOEICの勉強をしても現実は変わらなかった。
- ブログを書いてみたけれど、経済状況は変化しなかった。
- トイレを綺麗に掃除したけれど…人生は変わらない。
もうこれだけいろんなことをしているのに、人生がいい感じになっているシグナルは1つも出てこない。わかっているのは、この現状が、ずっと続くということだけ。そう、今のこのつまらない毎日がずっと続くのが怖くて仕方なかった。毎朝同じ時間に起きて、同じ場所で、同じ人に会い、同じことをする日常。それが来年も再来年も続く恐怖。
今振り返ると、絶対にやってはダメなことだけど・・・自分がうまくいかない原因を、子供のせいにしたこともあります。
彼らはいつもうるさい。僕に集中する時間を与えてくれない。だから仕事のクオリティが落ちてしまう。
子供は重荷だ。
僕は深い闇の中に落ちました。子供が重荷と感じている自分に嫌気がさしました。
同世代の人たちはうまくいっているっぽい。Facebook上ではそんな風に振る舞っている。それ見て焦る。一方の僕は失敗しているのかどうかもわからない中途半端な状態。ただこの状態を継続すると、メンタルがやられるのは容易に想像がつきました。たくさん本を読んでも変わらない。新しい習慣を身につけても変わらない。他人の成功モデルを真似しても変わらなかった。
さあ、手元に残っている手札は1枚を残して全部切ってしまった。僕はとことんまで追い込まれました。とことんまで追い込まれて、ふとある考えにたどり着きます。
今までは自分自身を責めてきた。人生を変えるような良い習慣を持っていない自分が悪い。スマートな答えを出せない要領の悪い自分がダメ。自分が構築してきた環境を恨み、そこにいる人たち、家族を責めた。だけど、どれだけ自分自身を改善しても、状況は変化しませんでした。
手札に残っている最後の1枚。
「働き方」を変える。
まさか人生がうまくいっていない理由が「働き方」だなんて思いもしないでしょう。
本屋に行けば、自分を改善するノウハウが平積みになっています。早起きする方法、英語を習得する方法、TOEICでハイスコアを取る方法、コミュニケーション能力を上げる方法、途切れなく話す方法、生産性を上げる、思ったことを言語化する、整理整頓、捨てる技術、ビジネス心理、ロジカルシンキング、最高の睡眠を取る方法から、東大式の思考法まで。自分を変えるためのノウハウが隅から隅までびっしりと並んでいます。
だから僕は人生をよりハッピーにするには自分を変えないといけないと考えていました。
変えなきゃいけない自分なんて本当はどこにも存在しないのに。
どうして僕は人生の大半を費やすことになる、仕事に着目しなかったのでしょうか。
僕たちは1日8時間、年間2080時間働きます。それが定年までずっと続く。定年後も働いているかもしれない。
仕事をするために朝起きて、家に帰り家族とNetflixを見ている最中も、iPhoneで仕事のメールを確認している。もしかしたら仕事が忙しすぎて家族と一緒に映画を見る時間すら持てていないかもしれません。
寝ても覚めても僕たちの生活の中心には仕事があり、いつも仕事のことばかり考えている。
僕は最後の切り札を切りました。
変えるべきは「自分」ではなく「仕事」。
どうして気づかんかったんやろう。
僕が変えるべきは「仕事」であり「仕事のやり方」であるという事実に。
僕は机の上に置き手紙を残し、旅に出ました。妻にあてたメッセージです。
「旅に出ます。探さないでください。今日のお昼までには戻ります。石崎力也」
カフェのテラス席で紙を広げ、どんな働き方をしたいか考えました。
今の働き方が原因で、やりたいのにできないことを書き出しました。
やりたいのに、できていないこと・・・
- 寝る前の子供たちにDr. スースの絵本を読むこと
- 平日のリフト待ちがないゲレンデでスノボとスキーをすること
- Lumix S1を使い収益化を目的としないショートフィルムを作ること
- 新婚旅行で世界一周した時に見た素晴らしい景色を子供たちともう一度見ること
- 移民弁護士を雇い世界中の居住要件を必要としない長期滞在ビザを取ること
- 大きなシステムキッチンで好きなだけ奥さんに料理をしてもらうこと
- 家族でその料理を食べること
- ピーチの就航記念セールで購入した片道1990円のチケットで釧路に行くこと
- ユーロスターを使ってロンドンからアムステルダムまで電車で移動すること
- 沖縄県北部の長浜ビーチの浅瀬で子供たちとシュノーケルをすること
- 夕日を眺めながらバニラフレーバーの美味しいハワイアンコーヒーを飲むこと
- 痩せる、筋肉をつける、スケボする、オランダ語を勉強する
- 何気ない平穏な日々の中にささやかな幸せを見つける
- もっと子供たちと遊ぶ…
この瞬間にしか味わえない家族との時間を大切にする。
仕事なんていつでもできますが、子供の成長は今しか見れません。息子が4歳で娘が2歳。この瞬間は2度とやってきません。来年、彼らは5歳と3歳です。
どうして僕は、たかだか仕事のために家族を犠牲にしてきたのだろうか。
家族との時間を増やしたいのに、それができない原因を、家族のせいにしていた。
本当に馬鹿げた行為でした。
僕のやるべきことは、自分を変えることでも、家族を変えることもでもありませんでした。「働き方」を変える。ただそれだけでよかったのです。
まず最初にやったこと。
今の働き方の何がダメなのかを書き出しました。
- 長時間労働
- 慢性的な時間不足
- 生産性の概念の欠如
- 成果に繋がらない仕事を多くしている
- どの仕事が成果につながっているかを把握していない
- 平日に仕事をしている
- 他の人と休日が被ってしまう
- 他の人と同じ時間帯に仕事をしている
- ラッシュアワーに巻き込まれる
- 働く場所が固定されている
- 自由に移動できない
- 全ての仕事に納期がある
- 常に時間に追われている
- オンとオフの切り替えができていない
- ずっと仕事のことを考えている
- プライベートや趣味の領域すらも仕事に侵されている
- シンプルに時給が低い
これらダメな点を一挙に解決する方法を僕は見つけました。
正確に言えば、働き方を少しずつ改善しながら、3つの結論にたどり着きました。結論にたどり着いてみると、案外、僕の日常をややこしくしていた原因は、それほど複雑ではなく簡単に取り除くことが可能なものばかりでした。
もちろん心理的にたくさんの障壁があり、現状を維持しようとすると強烈なパワーが僕を日常に引き戻そうとしました。もうあのパッとしない日常には戻りたくない。その一心で、新しい現実を作るために行動しました。
変えたことは3つです。
3つのことを「仕事」から切り離すことで、ちょっとずついろんなことが改善されました。
そして、日常にあるささやかな幸せを少しだけ取り戻すことができたような気がします。
今回お届けするノウハウはこちら
変えたことその#1. 「仕事」と「場所」を切り離す。
働く場所が固定されるような仕事のやり方に辟易していました。
2014年9月。僕は奥さんと沖縄県の宜野湾にいました。当時まだ子供はいません。
ラグナガーデンホテルの隣にあるテニスコートで、文字通り1日中ゲームをしていました。ちょうど、錦織圭が活躍を始めた時期で、僕たちはオーディエンスとしてもプレーヤーとしてもテニスにどハマりしていました。確か1時間400円でコートを借りれたはずです。ちょうど、テニスがうまくなりはじめた頃、iPhoneに1通のメールが入りました。セミナーの出席依頼でした。
その頃、僕はJVパートナーに集客を任せて講座ビジネスをやっていました。月に1回のセミナーを約束しているプログラムでした。渋々、僕はゼビオで買ったテニス用具を片付け、片道チケットをインターネットで予約し、東京に戻りました。飛行機の窓からあまりにも綺麗な海を眺めて、悲しく思いました。なんでわざわざ仕事のためだけに東京に戻らなきゃいけないんだって。
確かにリアルのセミナーをやった方が、商品の訴求力は上がります。リアルで会えることに価値を感じる人もいるので、ある程度の付加価値も追加されることでしょう。商品の単価も上がります。売上も伸びます。
でもそれがなんだっていうんでしょう。働く場所を制限して売上が10%20%伸びることと、テニスをした後にトロピカルビーチで海水浴をして帰ってからオリオンビールを飲む生活を天秤にかけて、僕はオリオンビールの選択肢を取りました。
リアルセミナーだけでなく、対面のコンサルティングもやめました。ANAインターコンチネンタルホテル東京の「アトリウムラウンジ」は、確かに上品な場所でした。コンサルティングをやるにはぴったりの場所です。常に誰かがピアノを弾き、ハープを弾いていました。新宿パークハイアットのピークラウンジに向かって上昇するエレベーターの中でうまくいっているコンサルタントの雰囲気を保つので精一杯でした。ユニクロで買ったストレッチパンツが安物に見えないか内心ドキドキしながら。
対面コンサルティングをやめたおかげで、こういった諸々の心配事は無くなりました。「あえなくなるのは残念」と言ってくれた方もいましたが、自分の人生を取り戻すためにリアルで会うことを一切やめました。
不思議なことに、思っていたより売上は落ちません。
むしろ仕事のクオリティやパフォーマンスは上がったと思える機会も増えてきました。
これまでは仕事と仕事の合間に日常を送っていました。朝起きて仕事のメールチェックして、シャワー浴びて朝食とって、仕事して、お昼ご飯食べてまた仕事に戻る。1日の大半を仕事に使うのが当たり前だと思っていました。でも今は、どこでも働けます。日常と日常の合間にできた小さな隙間時間だけを使って仕事をしています。もちろんスムーズに仕事に入れるように、家中にスタンディングテーブルと、MacBook Proが置いてあります。Apple Watch を持って近づけば、勝手に画面が起動してすぐに作業に入れます。Mac同士はクラウドを使って常にデータを同期しておきます。
とはいえ、すぐに子供とインラインスケートの特訓に出かけなきゃいけないし、帰ってきたらシャワーを浴びてごはんを食べますから、仕事をする時間なんてごくわずかです。でも、この働き方が僕にとって最も健康的であり、かつパフォーマンスが最大化されるものであることに気づいたのです。ビジネスパートナーの小川さんは、僕が空き時間だけを使って仕事をしていることを知らず、1日中机に向かっていると今でも思っています。
働く場所が決まっていない。どこでも働ける。だからこそ、仕事を優先しなくても自然と生産性を上げられる。
移動をする必要もないし、電車の中で気持ちを高める必要もない。準備も要らない。仕事をするための道具も全部、そこにある。
僕は2019年と2020年の2シーズンにわたって、越後湯沢のスキー場に篭り、年間100日以上、スノボとスキーをしました。もちろん誰からもセミナーの誘いはないし、対面のコンサルティングもありません。苗場からかぐらに移動するドラゴンドラの中で、YouTubeにアップロードする動画のスクリプトを書いていたなんていうとあなたは驚くでしょうか?2020年1月から2020年10月までに公開した80本の動画スクリプトは、全て、ドラゴンドラの中で書かれました。嘘じゃありせん。
スノボとスノボ、つまり日常と日常の合間でも仕事はできるし、生きていくのに十分なお金は稼げます。
かぐらはシーズンが長いです。ゴールデンウィークを過ぎてもまだ雪は残っています。ひまわり不動産で短期賃貸物件のリゾートマンションを探してみてください。驚くほど安い賃貸費用で温泉付きのマンションに住めます。きっとあなたが今住んでいる場所よりも安いはずです。しかも12月から6月までのウィンターシーズンだけ借りれます。
僕は「仕事」と「場所」を切り離すことで、パウダーまみれの生活を送ることができました。頭が弾けるほど毎日ハッピーでした。こんな生活を続けられるなら、売上が減ったところでなんだって言うんだ。心の底からそう言えるほど素晴らしい毎日でした。
「仕事」と「場所」を切り離す。
それは「パソコン1台あれば世界中どこでも仕事ができる」という安っぽいフレーズとは無関係のものです。
それは「日常の中にあるささやかな幸せを発見できる」という深淵な意味を持つ、働き方、人生への具体的な態度です。
変えたことその#2. 「仕事」と「時間」を切り離す。
先日、ハーグ市役所に行きました。住民登録をするためです。オランダの役所は常に予約をベースに動いています。移民局もそうだし、市役所も予約をしないと中に入ることすらできません。
iPhoneのカレンダーを見ては心臓ドキドキさせていました。市役所に行く日が近づくにつれてソワソワしてきます。この感覚は、幼い頃にも味わったものです。小学生から高校生になるまでの間、僕はずっと朝寝坊と遅刻を繰り返し、親からも教師からも叱られまくりました。中学2年生の時、年間遅刻回数が127回。内申点に影響すると担任に言われたのを思い出します。
特別学校が嫌いだったわけではないけれど、なぜか朝起きれないし、登校するのも面倒だなといつも思っていました。
きっと時間に合わせて動く能力が圧倒的に欠如しているのかなと。
大学生になって真っ先に思ったのが、ああ、もう朝早くに起きなくていいということ。自分が100%時間をコントロールできる感覚は、言葉では形容できないほどの幸せを僕にもたらしてくれました。そんな社会のスケジュールに馴染めない人間が、フリーランスを選ぶのは自然な成り行きでした。というかそれしか選択肢がなかった。
遅刻しても誰にも怒られないし、そもそも怒る相手が存在しません。
仮に「仕事」と「場所」を切り離すことに成功したとしても、自由な時間がなければ、その効用は半減します。ハワイに行けたとしても、海に入る時間がなければ意味がありません。
前夜から雪が降り続いている。明日の天気予報は快晴。しかも平日。リフトはそんなに混まないはず。第5ロマンスリフトでパウダー滑っている自分を想像して眠りにつきます。朝、リゾマンの温泉に入り、ホームベーカリーで焼き立てのパンを食べます。ウェアを着て、さあ、かぐらスキー場に行くぞ、というタイミングで1つのことを思い出します。そういえば、今日は、新しくローンチした商品の締め切り日だからウェビナーセールスをしなきゃいけない。
あるいは、今日中に納品しなきゃいけない仕事がある。あるいは大口の顧客に問題が起きていつでも対応できるように常駐するよう頼まれている、あるいはクライアントが「Zoomでミーティングしたいからお時間いただけませんか?」とお願いをしてきた・・・
どれも同じです。時間的な制約のある仕事は、僕たちの日常を確実に毀損します。きっと僕なら、イライラしながらスキー場がふぶくことを祈るだろうし、Twitterで#かぐらスキー場のハッシュタグを検索し「今日のパウダーは重くて面白くなかった」とか「平日なのにリフト待ちが30分だった」とか、他の人の不幸を探して自らを慰めるかもしれません。
こんな時間的制限の多い仕事は嫌だとぶつくさ文句を垂れながら。
僕は、仕事から時間を解放することに決めました。
いつでも仕事ができるからこそ、いつまでも仕事なんかをやっている場合ではない。
仕事と時間を切り離す1番いい方法は、納期のある仕事は受けないことでした。自分の仕事に締め切りを設けるのもやめました。
9月1日までに夏休みの宿題を提出する。決まった日時に成果物を提出しなきゃいけない学校のような仕事のやり方は、苦手です。その締め切りに向けて、気持ちがソワソワします。ストレスになります。
隙間時間をつなぎ合わせながら、細かく仕事をして、例えばドラゴンドラの中で仕事をして、成果物のできた日が僕にとっての提出日です。締め切りはありません。
毎日何かをするという決め事もしたくありません。例えば、毎日、ブログを書くとか、毎日、メルマガを書くみたいなコミットメントは絶対にしません。365日毎日8時間働き続けたら確実に1億円もらえると神様に約束されたとしても、やるかどうか真剣に迷います。
そもそもそんな期待値の高い仕事は存在しないと考えています。
現実には365日、毎日ブログを書いて毎日YouTubeに動画アップロードしても1億円どころか年間100万円も稼げないのがほとんどではないでしょうか。もらえるかどうかわからない不確実な将来のお金のために、今、確実に存在している生命時間を投下するのは、なかなか受け入れ難いものです。自分の子どもにはそういうことは可能な限りやらせたくありません。
将来のために何かやるという行為は、大抵の場合、リターンに見合わないものです。
それはまるで、健康維持のためにフィットネスジムに行き3時間汗を流し、将来おじいちゃんになってからの寿命を3時間延ばす行為にも似ています。
将来の3時間よりも今の3時間を大切にしたいものです。
もちろん対価としてお金を得るためには、ある程度の時間を投下しなければいけません。
じゃあ時間の投下方法を工夫したい。
できるなら、気持の良いやり方でやりたい。
これまでの人生で、気持ちいい時間の投下方法、気持ちよくない時間の投下方法をいろいろ経験しました。
気持ちいいやり方は、余った時間を仕事に使うことです。
トイレしている時間。バスで移動している時間。役所で順番を待っている時間。子供が昼寝をしている時間。夕日が沈んだ後の時間。普段はポップコーンを食べながらNetflixを見ているけど、今日はそんな気分じゃない時の余った時間。
日常の中に必ず発生する、小さくて細切れの時間帯があります。その時間を使って仕事をやるのは、まあ許容できる。仕事がなければ、Angry Bird 2をやるかYahooのトップニュースを見ている時間です。どうせ無駄に使う予定だった時間を仕事に割り当てる。
気持ちよくないやり方は、大切な時間を使うことです。
朝起きてからの静かな時間。淹れたてのコーヒーをゆっくりと飲む時間。家族全員が揃っている時間。子供たちが幸せな時間。体の調子がいい時間。太陽がたくさん降り注いでいる時間。
新緑の季節に降るしっとりとした雨。それがシトシトと地面を叩く音。「今会いにいきます」を読みながら窓から漏れる雨音に耳を澄ます。
軽いパウダースノーが降った翌日の朝。快晴の日。
はじめて家族でディズニーランドに行った日。
月曜日から金曜日までの平日。混雑していない時間帯。
今日こそは野生のニモをシュノーケルで見つけようと意気込んでいる日。
ハイネケンを飲んで血中アルコール濃度が高まり少しだけ気持ちよくなっている時。
子供が本を読んで欲しいと懇願する午後8時30分。子供が病気している時。妻が育児に疲れている時。家族が父親の役割を求めている時。
日常の中には、大切な時間帯はたくさんあります。
時間にも色がついている。大切な時間と、それほど重要ではない時間。
僕からすれば、仕事なんていつでもできる、それこそおじいちゃんになってからでもできるけど、4歳の息子と瀬底島でシュノーケルできるのは今日だけです。変な表現かもしれませんが、野生のカクレクマノミを父親と一緒に見たことのある人生と、見たことのない人生では、何かが違うと僕は思うのです。仕事のせいで野生のニモが見れないのは悲しい。
ピーチエアラインで片道2000円のチケットを買って沖縄に行き、Airbnbで見つけたちょっとボロい物件を長期滞在割引で予約します。確かにシャワーは弱いし国道58号に面しているから少しだけ騒音がある。でも透き通ったビーチまで徒歩1分。何より海に沈む夕日が超綺麗。名護に住む思春期の子供たちがギターを持ち寄り、夕陽に向かって歌っているのを見た時、ひどく感動しました。
なるほど、だからこの地域にはサンセットの文字列が入ったカフェや宿が多いわけだ。一人で納得する。
ニコニコレンタカーで半日2525円(税抜き)の車を借りて、美ら海水族館まで車を走らせます。
お腹が空いたら瀬底島のピッツェリアで1枚1300円のマルゲリータを2枚食べます。テラス席が空いていたらラッキー。
「このレンタカー、PLUS補償の保険に入っていないから傷とかつけんといて」って子供に注意して、ゆっくりと車をバックさせる。
ガソリンを満タンにして車を返し、帰り道、ぱっと見古い建物で開いているかどうかわからず素通りしてしまいそうなお店で630円のタコライスを3つ買います。
かねひでの前で、妻に交渉します。今日、たくさん運転して疲れたからオリオンビール1本買ってもいいですか?って。少し険しい顔をして「350mlの方ならね」って。
1日にかかった費用を計算するような野暮なことはしません。安いことがわかっているから。僕らはANAやJALを使っているわけじゃない。格安航空券で沖縄に来ている。いつもより1杯多くビール飲むくらいの贅沢したって誰にも怒られないでしょう。
余った時間を使って、少しだけお金を稼ぐ。
少しのお金を上手に使って、幸せを最大化する。
「仕事」と「時間」を切り離したら、それが可能になるかもしれません。
変えたことその#3. 「仕事」と「趣味」を切り離す
好きなことを仕事にするのは辛いこと。
敬愛するコミックライターのヒューマクラウドはそういいます。
The creative person basically has two kinds of jobs: [sex] One is the sexy, creative kind. Second [cash] is the kind that pays the bills.
クリエイティブな人は2つの仕事を持つ。1つはセックス。クリエイティブな仕事。もう1つはキャッシュ。生活費を稼ぐための仕事。
僕は彼のセックス&キャッシュ理論を2013年に知りました。文字通りものの見方が変わった。少なくとも仕事への態度はこの時に固定されました。
多くの小説家志望が、机の前に座って10年をすごし、いよいよ新人賞を取ることもなくその人生を終えようとしています。それはまるで、医者になる夢を諦めきれず、三浪、四浪しても医学部に受からない浪人生のようです。
人とコミュニケーションをするのが苦手だから、家に引きこもっていてもできるビジネスは何かを考えてブロガーになろうと決意する。毎日ブログを書くけれど、1年やり続けてもトラフィックは月間1万PVも集まらない。ビジネス系のYouTuberは毎日ブログを書いて毎日YouTubeに動画を投稿すれば生活費くらいは稼げると言っていたけれど、どうやら自分には当てはまらないようだ。
乗り掛かった船。ここで下船するのも嫌だ。自分にはこれしかないと言い聞かせ、また次の年も、その次の年も、実家のコタツで誰も読まないブログを書き続ける。年金暮らしの両親は、自分の背中を心配そうに見つめている。その視線に気付いていないふりをする・・・
これら問題は「やりたいこと、なりたいもの、楽しめる仕事」と「 生活費を生み出す仕事」を分けて考えれば一瞬で解決します。
僕も長らく、どうやって仕事を楽しめるか、あるいは楽しい仕事をやるか、考え続けていたように思えます。それが実現されないから、無駄に苦しんでいました。
- 好きなこと。趣味。セックス。
- お金を稼ぐこと。仕事。キャッシュ。
好きをマネタイズするのは、まるで他人にセックスを見せてお金を稼ぐようなもの。実際には心から楽しむことなんてできないし、いつの間にか好きなことが嫌いになってしまうこともあるかもしれません。
好きなことを仕事にする必要なんてない。
現実的な話、好きなことを仕事にするのは辛いです。
僕たちが一生懸命描いた絵に文句をつける人が出てきます。それが生活費を稼ぐための仕事であり、金銭的な対価を受け取っている以上、顧客の声を聞く必要があります。仮に絵を書くのがどれだけ好きだとしても、それをビジネスにした途端、面白さがきっと半減します。じゃあ、絵描きは趣味のままにしておけばいい。趣味で描いた絵に文句をつけられる筋合いはない。別に顧客のためにやっているわけじゃないし。
好きではないけれど、得意なことを仕事にしてお金を稼げばいい。得意なことがなければ、週に4日バイトをして、残りの3日間、思う存分セックス、趣味に没頭すればいい。ヒューマクラウドはそういいます。
セクシーなこと。絵を書く、ギターを弾く、作曲する、映画を見る、映画を作る、中古のレコードを買う、スノボする、サーフィンする、パイの実食べる、じゃがりこも食べる、ピザを作る、ピザを食べる、釣りをする、スカイダイビングする、旅行に出かける、自転車を漕ぐ、夕日を眺める、フランスの車を法定速度内でかっ飛ばす、有馬記念に有り金全部突っ込む、当たった金で仲間に酒を奢る、トレッキングする、山の頂上でドローンを飛ばす、泳ぐ、走る、寝る…
世の中には数え切れないほど、ハマる対象がたくさんあります。時間を忘れて没頭できること。
どうしてわざわざ好きなことまで、仕事にしなければならないのだろう。
趣味と仕事を明確に分ける。僕は自分自身に宣言しました。
趣味は趣味として独立させ、それを一切ビジネスに繋げない。そこから収益を得ようとしない。そもそも僕はお金のためにスノボをするんじゃなくて、自分の幸せのためにやっている。誰かに見せるためにコブを滑って頭からこけているわけじゃない。
高校の同級生からFacebookで「いいね」をもらうために家族と海に行って夕日を見るんじゃない。自分たちが心の底から「いいね」と思うことをやっているだけ。
家族との空間は他人に見せるものじゃない。僕たちだけのもの。それをマネタイズなんかしない。
稼ぐところではしっかりと稼ぐ。仕事は仕事で完結させる。
得意なことを収益化する。
人よりも少しだけ上手にできることをお金に変える。
家族を養うだけのお金を稼げたらそれ以上は働かない。
お金のためと割り切って仕事をしているので、楽しいも楽しくないも、辛いも辛くないも関係ありません。決まった時間内に効率よく生活費を稼げるやり方を選びたいものです。
適性がないと思っていた今の仕事も天職とまでは思えないけど、やめてしまうほどの不満もありません。たまに嫌なことがあっても、ココイチで手仕込とんかつカレーの辛さ2を食べた後にサウナに入ればすぐに忘れちゃいます。何よりカレーを美味しく食べられるのは、生活費を稼ぐための仕事があるからこそ。
朝起きて、積極的にパソコンに向かうほど面白い仕事ではないけれど、なんやかんや、いやいや言いながらも続けていたら、それなりの仕事にはなりました。少なくとも当分は家族を養うことはできそうです。もうここまで来ると仕事に向いていないとも言えなくなりました。
今の大学生は大変だと聞きました。30社、40社受けても内定出ないのが普通だそうです。毎日、不採用の通知を受ければ僕なら確実にメンタルやられて立ち直れません。
杉村太郎さんの絶対内定を読んで自己分析をして、自分の適性なんかを見極めるなんて高度なことは僕にはできません。当時の視野の狭い僕には、今の仕事以外に選択肢がありませんでした。
「いやいや、そんなことないですよ。世の中にはたくさんの職業があるじゃないか」と思われるかもしれませんが、学歴もない、即戦力になるスキルもない、かといって努力する根性もない、人に自慢できる特技もない。こんな僕を欲しがる企業なんて存在しません。これは謙遜でもなんでもなく、僕の親もそう思っていたし、周りの友達もそう思っていたはずです。何より自分自身が、自らの職業的能力を冷静に判断して、同世代に比べて市場価値が低いことを理解していました。
仕事はこうあるべきだとか、自分の強みを活かすとか、好きなことを仕事にするとか、あまりにも働き方のハードルを上げると、僕は悩み、すぐに詰んでしまいます。良くも悪くも、たぶんこれまでの人生では悪い方ばかりに作用してきたんですけども、僕はどうでも良いことを考えすぎる人間です。考えた挙句、動けなくなるパターンを繰り返してきました。特に、しばらくの間は好きなことを仕事にするというアイディアに取り憑かれ、苦しみながら働いていたような気がします。
それはまるでアジアの極東で僕にだけかられた呪いのようでした。
歳を重ね、旅をして、世界中の人や文化に接すると、いかに自分の考え方が狭量であったかを思い知らされます。僕が今住んでいるオランダの人たちは、金曜日、半ドンで帰って来ます。半ドンって言葉、覚えていますか?彼らは仕事もほどほどにしかやりません。仕事に好きも嫌いもない。決まった時間だけテキパキと働いて、退社時間になるとすぐに切り上げ、チャリで帰り、余暇を家族と家で過ごす。晴れていたらオランダでバーベキューする。それがオランダ 人です。
それでも僕の友人の、イタリア系移民のガブリエルは、月収60万円ほど稼いでいる。彼はプログラマーです。アメリカのダイバーシティプログラムに当選して、ニューヨークで5年働き、母親が恋しくなってイタリアに帰ります。小さい頃からコンピューターを触り、典型的なギークになり、そのまま大学に進みます。彼もまた、コンピューター以外の選択肢がなかったと言います。
ちなみに彼は日本の文化が好きです。名探偵コナンの大ファンです。イタリア語に翻訳された漫画が彼の部屋に山積みになっていました。
ガブリエルの貯金も底をつき、そろそろ働く必要がありそうだ。イタリアは慢性的な不況なので、給料のいいオランダで就活をしたそうです。同じ仕事内容でも、3倍給料が違うと言っていました。Airbnbで安そうなお家を探し、大家と交渉して住民登録の許可を得ました。ソーシャルセキュリティナンバーを市役所で発行し(オランダではBSNと言います)、働く準備は完了した。家から歩いて行ける距離の職場で就活したそうです。こういうシンプルな発想に驚きます。
彼もまた金曜日の午前11時30分に仕事を切り上げ、パーコレーターで作ったコーヒーを飲みながら、部屋で漫画を読みます。120平米あるフラットを、セルビア系オランダ人のティアとシェアしています。場所はロッテルダム。家賃は光熱費込みで€800。社会人になっても半ドンってあるんですね。
僕が高校生の時、本来休日の土曜日までも、Extension Schoolとか意味のわからない名目で、強制的に登校させられ、面白くもない世界史の授業を受けていました。覚えている重要語句はオスマン帝国とブルジョアジーの2つくらいです。
学校だけじゃない。もしかしたら土日を返上して働いている人もいるかもしれません。そんな日本の慣習に馴染みすぎた僕にとって、オランダ 人の働き方はとても新鮮でした。
ガブリエルと会うと、いつも上司の文句を言っています。「オランダ人のボスがうざい」って。でもクッキーを食べるとすぐに忘れるそうです。
仕事をする。たまにむかつく。クッキーを食べる。忘れる。また仕事に戻る。そんな生活をもう15年も続けてきたと彼はいいます。
何か1つのことをじっくりとやってみるのは馬鹿にできません。
僕はインターネットでTOEICスコアアップのオンラインコースを19歳の頃から販売しています。その頃から、同業者に散々悪口を言われてきました。今でも、こういったインターネットの仕事は社会的地位は低いし、大企業に勤めている人からは見下されます。そんなしょぼい職業でも、長く続けているとそれなりに形になるし、たまに嬉しいこともあります。先日、オンラインビジネスが軌道に乗り不眠症を治した方から連絡をいただきました。初めて彼に会った時、ものすごく眠そうな顔をしていました。その不幸そうな顔があまりにも印象的だったから、不眠症が治る、言ってしまえば元いた場所に戻る姿を見て、じわじわと嬉しさがこみ上げてきました。
こういった仕事のやりがいみたいなものは、仕事を始めた時にはわからなかった。どれだけワークシートを使って自己分析をしても、ここに到達することはできなかったはずです。
そう考えると、向いているとか向いていないとか、好きとか嫌いとか判断せずに、目の前の問題に1個ずつ取り組むことが重要なのではないかと思うようになりました。趣味を仕事にする必要もないし、仕事に生きがいを感じなくてもいい。
請求書が来たら払う。お客さんが来なかったら広告を打つ。広告を打つお金がなければ、無料で集客する方法を考える。お客さんからメールが来たら返信をする。何通も来るならQ&Aページにまとめる。人手が足りなくなったらクラウドワークスで探す。単価が高かったら、バルクで発注することを条件に単価交渉をする。定期的にランディングページを改善する。成約率が落ちてきたらクリエイティブを変更する。成約率の高い流入経路にリソースをまとめる・・・。
こんな仕事のやり方、つまり、目の前の問題を1つずつ解決する方法には、例えば「仕事でスキルアップ」のような意識の高い人たちが考える発想もないし、社会に貢献するといった高尚な考え方も存在しません。
次から次に目の前に現れる職業上の課題を、黙々とこなす。ただそれだけ。そこには好きも嫌いもない。もちろん趣味でやっているわけでもない。
面白いことに、仕事と趣味を切り離すことで、少しずつ働く時間は減っていきました。確かに忙しく働いていた時は「これが自分の好きなことだから」と長時間労働を肯定する傾向があったかもしれません。いつの間にかプライベートが仕事に侵食され、旅先でカメラを回し、ブログやインスタグラムにアップしていた頃を思い出します。MacBook Proを買い替えたときに、全てのデータを削除したので、写真も動画も残っていません。残念なことに記憶にすら残っていません。ちゃんと旅行は旅行で独立させておくべきだった。プライベートと仕事を混ぜるべきではなかった。もっと記憶に残る旅をすべきだった。
でも今は、仕事は仕事と割り切っているので、必要以上に働くことはなくなりました。旅先にカメラを持っていきません。SDカードではなく心にデータを保存したいからです。
もう一つ、面白いことが起こりました。これは禅問答のようなのですが、生活費を稼ぐための仕事と割り切っている以上、短い時間で成果を上げようとします。働く時間は減りました。でも収入は少し下がった程度。時給は上がります。時給が上がると、仕事が少しだけ楽しくなりました。成果の出る仕事って、案外楽しいんだなって。予想外の出来事に自分も驚いています。
なるほど、仮に書くことが好きでも1日8時間もブログに向かい何も成果がなければ面白くない。でも書くことが好きでなくとも1日15分ブログに向かうだけで十分なお金を稼げるなら、仕事として書くことが面白くなるのかもしれません。
仕事と趣味を切り離すことで得られた予期せぬ副産物でした。
まさか仕事がちょっとだけ楽しくなるとは想像だにしませんでした。
自分に期待しない。仕事の期待値を下げる
どうもこんにちは、石崎力也です。
もしまだ、僕の話に興味を持っていただけるなら、あと少しだけ耳を傾けてください。
ちょっとだけいい話をします。仕事の秘密を紹介します。ま、聞けば「なんやそんなことかいや」って思う程度のものなんですけど。
仕事との付き合い方って本当に難しいですよね。
あまりにも面白くて仕事との距離がゼロになる。ぴったりくっついてしまうと、周りが見えなくなります。ずーっと接近戦っていうのもしんどいです。
かといって現代人が仕事をしないなんて選択肢はないはずです。距離を取りすぎてしまうのもたぶん駄目。山にこもって自給自足で生活するのは結構むずいです。
この仕事との距離感の掴み方が、僕たちの人生を左右するのではないかと考えています。
例えば、仕事と自分の距離が近すぎる場合。もう働くのが面白くて仕方なくて、ずっと仕事のことを考えている。朝起きていきなり仕事のメールをチェックしたり、平気で土日を返上してブログを書いたり、YouTubeに動画をアップロードしたり。
確かに何か新しい物事、例えばオンラインビジネスをスタートしたばかりの頃は、何をやっても楽しいし、結果が出るのが楽しみでついついオーバーワークしちゃいます。働きすぎるっていうのは、それは反面、仕事に期待しすぎているってことでもあります。こうなると、通常以上の成果を求めてしまいます。こんだけやっとるんやから、結果出て当然やろって。
普通の人の半分の時間で、倍の結果を出そうとします。これは期待値が高すると思うんですよね。
運よく結果が出たとしても、それはたまたま参入タイミングがよかったり、そのサービスのアルゴリズムの乗っかっただけの可能性が高いです。だから実力は伴わないし、何よりやり過ぎが原因で仕事が飽きちゃいます。
でも大抵の場合は短期間で何かを集中的にやっても結果は出ませんよね。そうなると、こんなに頑張っているのにどうして結果が出ないんだろうと思いつめちゃいます。で、途中でやめちゃったり、マーケットから退場したり、何か別の対象に浮気したり。
オンラインビジネスをやっている人の中には、「やりすぎ」パターンの人がたくさんいるように思えます。アメブロ書いて、アロエクリームを売る鼠講ビジネスをやり、アフィリエイトにも挑戦してみて、FXで300万円を儲けて、メルマガ発行して、情報商材も販売してみて、SEOの教材を買い込み、ダイレクト出版の月刊ビジネス選書を購読しつつ、仮想通貨で700万円火傷して、Airbnbが儲かると聞いて本当はダメな賃貸物件の又貸しをして、WordPressでサイトを3つ作り、フォロワーが5人しかいないFacebookとTwitterとPinterestにブログの更新通知出して、YouTubeに松本人志のラジオを違法アップロードして、Udemyにもコースを公開して、狭い会場に4人のお客さん集めて講座ビジネスして、最近はやりのClickFunnelsに登録してみたけど、なんか使い方わからん・・・みたいなパターン。
僕なんかは謙遜でもなんでもなく、芸が1つしかないから、いろんなことできる人を羨ましく思うこともあります。幸か不幸か、器用な人間じゃないので、いろんなことに手を出さずに済みました。そもそも僕には熱中できる才能がないのだと思います。
1つの対象に、距離を詰めすぎると、しんどくなります。過度に期待しちゃうから。たとえとして適切かどうかはわからないけど、一人っ子の場合、親からの期待を一身に受けるから、しんどいんじゃないかなと僕は小さい頃からなんとなく考えていました。僕は三人兄弟だったし、爺ちゃん婆ちゃん子だったので、親からの期待とかプレッシャーはまあまあ上手にかわせていたように思えます。適度に兄弟三人に期待が分散されていた。一人っ子やったら、どうなってたかはわかりません。親との距離感がものすごく近い一人っ子の友達を見てて、あれは自分だったらしんどいなと思うことがよくありました。もうちょっと離れとって、みたいな。
いろんなネットビジネスに手を出して途中で撤退したもののうち、継続していればもしかしたらうまくいってたものがあるかもしれません。というかたぶん、十中八九はうまくいくはずです。なぜなら、それが仕事というものだからです。これは僕が発見した仕事の秘密です。期待せずに、ゆっくりと継続する。
マーケットを考えてみてください。マーケットには毎年、決まったお金が流通しています。そこには一定の需要と供給があります。僕たちはビジネスをやる側だから、供給サイドです。供給者の中には、他の供給者よりも上手に何かやることができて、目立った人がいます。例えばビールの市場では、アサヒ、サッポロ、キリン、という強いプレーヤーがいます。オンラインビジネスの場合、多様な需要がありますから、3つのプレーヤーが寡占するなんてことはありません。その証拠に、たくさんの成功しているYouTuberがいます。
じゃあ、他の人より上手に何かをやるためにはどうしたらいいか。これには「じっくりとやってみる」という戦略がぴったりだと思います。ガーって一気にやらない。たまに休みながら、長くやるのがコツだと考えています。友人のファイナンシャルプランナーは、ついこの前、出版が決まりましたというYouTube のライブをやっていました。広告収入だけじゃなく、企業案件で結構儲けているっぽいです。YouTuberとして成功している今の姿からは信じられませんが、最初の登録者100人が集まるまで7ヶ月かかったそうです。よく心折れなかったですね、と冗談まじりにいうと「本当、そう思います」と本人も言っていました。
彼はきっと、じっくりとYouTubeをやったんだと思います。全部のリソースをそこに一点投下する、みたいなことはしなかった。たぶん今でもしてないと思います。YouTubeでバズらなくても、Udemyからのコース収入があったり、セミナー講師としての収入があったりと、それ1つに頼らなくてもいい状態を作っていました。本人には聞いていませんが、たぶん、YouTubeで成功しなかったとしても、ほっともっとで幕内弁当を買うお金はあったはずです。つまり飢え死にする心配はなかった。
じっくり長くやると、前よりも少しだけ上手にできるようになります。他のプレーヤーよりも、上手に話せたり、上手な文章をかけたり、上手な動画を作れるようになったりします。そうすると、マーケットの中でちょい目立ち始めます。なぜかわかりませんが、資本主義社会では、ちょっと目立つだけでも、その差がものすごく大きく増幅されます。まるでギターの弦を少し弾くと、ケーブルを通して電気信号が伝わり、アンプが大きな音を出すように。オリンピックの銀メダリストと金メダリストの差はそれほど大きくはないはずです。例えば北京オリンピック陸上男子100m決勝では、ウサインボルトが史上最大差をつけて優勝しましたが、2位とのタイム差は0秒20です。陸上の世界で0秒20は大きな差かもしれませんが、それでも他の人の半分のタイムを出したり、あるいは倍の速さで走ったりするわけではありません。
ウサインボルトと0秒20の差をつけられた銀メダリストの知名度や、キャリアの成功度合い、収入などはどれほどのものでしょうか。きっと0秒20以上の差ではないかと思います。少なくとも資本主義の中では倍以上の差が発生しているはずです。ちょっとの差が、ものすごく増幅されているはずです。
そうであれば、僕たちはとんでもない差を作ることを目指すのではなく、ちょっとした差を作るだけでいいのではないかと思うのです。他の大勢のプレーヤーよりも1%うまくできるようになればいい。僕はそう考えています。
僕自身、競合との差は1%でいいと考え始めた途端、肩の荷が降りたというか、ふっと楽になりました。それほど優秀じゃない自分でも、上手にマーケットを選べば1%くらいの差は作れるかもって思ったからです。
じゃあ次です。どうやってライバルと1%の差を作るのか。
これは繰り返しになりますが、じっくりやるのが、いいんじゃないかと思います。
期待値を上げすぎず、適度な距離を保って。
一気にやらない。
村上春樹は毎朝4時に起きて、4〜5時間執筆する生活をずっと続けているそうです。ニューズウィークの特集で、中国の評論家が、彼を偉大な存在にしているのは才能だけではなく、同じ生活リズムを30年も続けていることだと書いていました。
そんな春樹さん。執筆中、もうちょっと書きたいというタイミングでわざとやめるそうです。
そうすると、明日の朝、また書きたいという気持ちが起こるそうです。「昨日の続きやらんなん」みたいな感じなんですかね。
じっくり長くやるためには、気持ちが乗ってきたところでわざとやめるのがポイントなのかもしれません。もっとやりたい、キリのいいところまで終わらせたいという気持ちが発生した時点で、それはもうやりすぎ。
春樹さんが風の歌を聴けで群像新人賞を取ったのは、29歳の時です。1Q84を書いたのは春樹さんが60歳の時です。キャリアは本当に長い。
もちろん春樹さんは最初から文才もあっただろうし、内側から溢れ出る文章のネタも身体中にストックされているはずです。春樹さんには作家として成功する素質はもともとあっただろうけど、それでも、彼のコツコツとやる仕事のスタイルに啓蒙されないわけがありません。
まあ僕の場合は、木曜日の朝4時に起きたとしても・・・
電話の音でもう一度目が覚めると時計は間も無く8時半というところで、いつもより頭は冴えなかったが気にも止めず、鏡に映ったひどい顔を眺め、熱い湯で入念に髭を剃り、いくらかはましになった顔で、コーヒーを飲み、インクがべったり手につきそうな朝刊を隅まで読む
・・・春樹さんの書く朝食シーンって、だいたい直前に熱い湯で入念に髭を剃りますよね。僕も春樹さんの文章をじっくりと、入念に読み込むことで、少しずつ何かが上手になった気がします。
さておき。
30年かけてじっくりと何か小さなことを少しずつ上手になっていく。
ライバルも自然と脱落していくだろうし、同じ時期に参入したマーケットの供給者はどんどん減っていきます。
毎朝4時に起きて5時間執筆する大会があれば、きっと多くの人が最初の1週間で脱落し、1年もすれば春樹さんを含めて片手で数えるくらいの人しか残っていないんじゃないでしょうか。
仕事は、ちょっとずつ上手くなった人と、そこに長くい続けられる人が勝つレースだと信じています。
それはまるで1本の棒に捕まり誰が長く捕まり続けられるかを競争するようなイメージです。
勝者は、特別なことをしたわけでなく、ただそこに捕まり続けていただけ。何も言わなくても、想像していた以上に、ライバルは率先して競争を降りていきます。ある人は「自分に合わない」と考え、ある人は他の儲け話に乗り換え、ある人は家庭の事情や大人の事情(僕にはそれが何かわかりませんが)とかで、自らやめていく。
久しぶりに名前や会社名を検索してみたら、ウェブサイトが消えていた、なんてことはよくあることです。それだけじゃない。Facebookのアカウントも、Twitterのアカウントも、Instagramのアカウントも消しちゃう。もうこの世とは関わりたくない、みたいな態度です。飽きちゃったのかもしれないし、拙い自分のコンテンツを恥ずかしく思ったのかもしれない。あるいは失敗した過去をGoogleのサーバーから消そうとしたのかもしれません。
もうちょっと続ければ、もしかしたら良い感じになっていたかもしれないのに。
子供たちには、なんでも新しいことにチャレンジしてほしいと思います。そしてすぐに結果が出ることを期待せずに、気長に付き合っていこうぜってアドバイスします。お父さんも最初は下手くそやけど、一緒にやるからって言います。実は6年前に始めたギターがいまだに下手くそだってことだけは隠しながら。Snow Patrol のChasing Carsわフィンガースタイルで弾いているんですけど、いまだに通して弾けません。ギター、まじでむずいっす。教えてください。
でも、まあ僕の仕事だって似たようなもんです。最近、ようやく荒削りだけど一曲通して弾けるようになった程度の実力です。ここに来るまで11年かかりました。
僕の仕事のポリシーのせいです。何かを始めるときは、ハマりすぎないように気を付けます。短期間で見栄えの良い結果を求めず、長く付き合っていくことを想定して、ゆっくりと継続します。
そうすると、自分とその仕事との関係性が少しずつよくなっていきました。同じ時期に始めた人たちはいつの間にかいなくなっているし、新しく参入してきた人たちよりも1%くらいは上手にできる。そうすると、ちょっとずつ、本当にちょっとずつ、市場から評価してもらえるようになりました。仕事の期待値をあげない。一気にやらない。ちょっとずつうまくなっていく。
何か1つのことをじっくりとやってみるのは馬鹿にできません。改めてそう思います。
少なくとも僕はそんな態度で仕事に向き合っていこうと思います。
1年経って、なんかうまくいきそうなシグナルが出ていれば超ラッキー。
でもそんなもの期待せずに、できるならやっていることすら忘れてしまうくらいの距離感で、5年、10年と続けていければいいなと考えています。
こんな中途半端な態度で仕事をしているから、人生における仕事の優先順位は年々下降していきます。今は第29位。仕事の優先順位は28位のNetflixを見ることの1個下あたり。
僕のファーストプライオリティは、もちろん家族です。
子供が重荷なんて、いったい、誰が言ったんだ。