あるとき、ふと思ったんです。
こんなたくさんレッドブル飲んどったら、本当に翼生えてしまうわって。
長時間労働のせいでたくさんレッドブルを飲まなきゃいけなかったんです。
長時間労働を辞めようとしない僕の頭の中には、2つの楽観的な仮説がありました。
- 自分の人生が時間を経るにつれて良くなっていく
- ゆっくりと少しずつ収入が伸びていく
あれは2月のことです。僕は沖縄県の本部町にいました。オフシーズンで安くなっているコテージを1ヶ月借りて、妻と毎日料理していました。目の前には集落に住む人たちが使えるプライベートビーチがありました。ダッチオーブンを使って、パンを焼いたり、シチューを作ったりしました。
雨の日でした。コテージの2階に狭い窓があります。その横にある小さな机で、僕はパソコンを叩きながら考え事をしていました。いつまでこの仕事を続けるんだろうって。
考え事をしながらできる程度の仕事ですから、きっと重要なものでなかったはずです。当時は、1日の大半を成果に繋がらない仕事に費やしていました。仕事をしているだけで安心していました。あの時の自分は、時間の無駄遣いの専門家でした。
部屋の中にいる僕を認めて、外から妻が声をかけてきました。「バーベキューの時間ですよ」って。僕はこう返しました。
この仕事が終わってからね
このゴミみたいなセリフ、何度繰り返したことでしょう。社会人になりたての頃って、まるで中学生がタバコを吸うのがかっこいいと思うように、長時間仕事をしているのがかっこいいと勘違いしてしまいません?
どうせ単調な仕事に飽きてしまうから、すぐに気づくんですけどね。長時間労働なんてクソだって。
この仕事が終わってからねっていうけど、それは暫定的な終わりを意味するだけであって、明日の朝になったらまた仕事は復活します。大抵の場合、仕事は死ぬまで続きます。「この仕事が終わってからね」っていうセリフの中には、私はこの仕事を死ぬまで続けます、私が死んだ時にようやく仕事は終わります・・・という意味も含まれているのではないかってことを、僕は考えていたんです。
そうであれば、このゴミみたいなセリフを繰り返すたびに、自分自身に死ぬまで長時間労働を続けますと宣言しているようなものです。9時5時の労働を次の40年も50年も続ける。500ヶ月連続ギュウギュウ詰め労働を認めるようなものです。
長時間労働に気づいた自分を慰める言い訳は2つ。「人生は良くなっていく」「収入は伸びていく」
ホントかよって、声に出して言いました。誰もいないコテージでひとりごちている僕を見て、妻は何を思ったでしょうか。
本当に人生は良くなっているでしょうか?収入は伸びているでしょうか?それはただの願望ではないか。やりたいことをやらない言い訳ではないか。1週間前より状況は良くなっていない。
もし少しずつ人生が良くなるなら、今の人生は1ヶ月前の人生よりもいいものになっているか。なっていない。
もし少しずつ収入が伸びていくなら、今の収入は1年前の収入よりも伸びているか。なっていない。むしろ不景気のせいで収入は落ちている。
同じことを続けているだけで、自然と何かが良くなっていくことなんてあり得ない。
僕は自分に嘘をつくのをやめました。
500ヶ月連続ギュウギュウ詰め労働にNOを言いました。
僕は、大好きな島のことを思い出していました。妻の故郷、カタンドアネス島です。マニラにあるニノイアキノ空港から、月水金の3本だけセブパシフィックの飛行機あります。それも午前5時のフライトなので、あの恐怖の空港に午前2時くらいに到着していないといけないです。飛行機を使わないなら、フェリーとバスを乗り継いで18時間です。僕には18時間耐えられる根性はないので、セブパシフィックのチケットを買います。それでも片道3000円ほどです。
ジャングルの中にポッカリとあいた穴。ココナッツの木を伐採した場所に、空港を作ります。もちろん飛行機から歩いて出ます。空港というか、バス停みたいな規模です。外では、義理の父がトライシクルで待ってます。お義父さんが妻を、つまり娘を抱きしめる様子を見て、ああこの人は愛情たっぷりの家庭で育ってきたんだなっていつも思います。サスペンションのない荷台に乗り、地面からの振動をダイレクトにお尻に受けながら40分バイクで走った距離に、妻の実家があります。
本当にこんな原始的な場所で人は生きていけるのだろうかと純真なジャパニーズは思ったのです。
ついこの前、うちのオカンが、オール電化に変えたばかりというのに、カタンドアネス島では、シャワーのお湯を火で沸かすのです。その火も、古くなった茶色いココナッツと庭でかき集めた小枝で、作るんです。とはいえ、数日で冷水シャワーにも慣れました。どのようにトイレをするかはここでは話しません。
寝室から外を眺めると、おかあさん(妻の母)がせわしなく洗濯板で僕のTシャツを洗っています。すぐに外に出て、井戸水をポンプで汲み上げ、自分で洗濯物を洗います。スコールとスコールの合間に差す、強烈な日差しの下で洗濯物を干します。1時間ほどでパリパリになります。文字通り、せんべいみたいな服がパリパリになるんです。
今日はゲストが来たからと、目の前で豚を屠殺(とさつ)します。豚も、死ぬのがわかっているのか、むちゃくちゃ鳴き声をあげるし、超抵抗します。興味あったら「Slaughter Pig」で検索してみてください。慣れた手つきでお義父さんは、豚の血をボールに入れます。僕がなんで血をとっているんですかって聞くと、あとで食べるからって妻は答えます。
僕はカタンドアネス島に行くたびに、お腹を壊します。高熱も出します。1回の滞在で2回、熱を出したこともあります。でも、少しずつ僕のお腹も強くなり、最近ではお腹を壊しても軽症で済むようになりました。
集落ごとのお祭・フィエスタではいつも大歓迎されます。そしてたくさん酒を飲まされた後に、不可解なダンスを踊らされます。日本の歌を歌えと言われて僕はミスチルのイノセントワールドを熱唱します。それほど盛り上がりませんでした。
イオンもないし、Amazonもありません。セブンイレブンはありませんが、サリサリストアはあります。サリサリストアでは、3 in 1 のコーヒー1袋7ペソで買えます。
12ペソ払って、トライシクルに乗って市場にマンゴーを買いに行きます。キロ70ペソです。5個買って、300円くらいでしょうか。新鮮なマンゴーは、頭が弾けるほど美味しいです。
マニラにいる時に、妻が僕にいうんです。「ママのためにオーブン買おう」って。良いアイディアやね、買おう買おうって賛同します。5000ペソ、1万円くらいのオーブンを買いました。移動する時に荷物は嵩張ったけど、義理の母が嬉しそうに料理している姿を見て、全てチャラ。次の日に、そのオーブンでバナナケーキを焼いて、集落全体が停電したのは今でも笑い話です。
1ヶ月、カタンドアネス島で生活しました。無人島で釣りをして、プラランビーチでサーフィンして、ツインロックで魚料理を食べました。1ヶ月で3万円ほど使いました。妻の実家に泊まっていたので、宿泊費はかかりませんでしたが、それでも3万円って安くないですか。オーブンも買ったから4万円ですね。でもやっぱり安い。
旅をすることで自己が相対化されるって誰かが難しいこと言ってました。意味はよくわかりません。
カタンドアネス島に長く住んでわかったことは、僕が思い悩んでいたたいていのことはそれほど深刻ではないってことです。
明日貧乏になるのは嫌だけど、なったとしてもその対処方法はなんとなく理解しているつもりです。
僕が貧乏になることより恐れているのは、家族との特別な時間が、たかだか仕事のために奪われてしまうことです。
僕が恐れているのは、人生の優先順位を忘れてしまうことです。リタイア後の人生を豊かにするため、今の健康な人生を犠牲にしたくはありません。
僕が恐れているのは、26歳からはじめたギターが下手くそなまま死んでしまうことです。今も毎日、10分ずつiPadアプリで練習しています。
自分で自分の時間をコントロールする。人生を取り戻す。500ヶ月ギュウギュウ詰め労働にNOを言う。
今でも僕にとっての大切な思い出は、大好きなカタンドアネス島での日々です。高熱と、冷水シャワーと、記憶が飛ぶほど美味しいマンゴーです。