宝くじの一等当たったら、即、金持ち。誰の指図も受けずに、自由にお金を使いたぜ・・・。そう思う人がほとんどだろうし、宝くじ売り場に並ぶ人たちも同様な考えを持っているはずです。でも一等当たったら、手引き書とか貰えるらしいですよ。ほとんどの人はその使い道を知らないがために、無駄遣いをし、挙句には支出が上回り破産しちゃう・・・なんてオチもあるそうです。それを未然に防ぐためにも、そう言った「いきなり与えられすぎた経済的自由を上手に使う方法」のトリセツが存在するわけですね。
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日本国憲法で保障された表現の自由
日本国憲法で表現の自由が明文化されているわけですから、デフォルトで人間には何かを表現したいという気持ちがあるのでしょう。実際に現代人の時間の使い方を見ると、そのほとんどが何かを表現することに使われています。Facebookでセルフィーを投稿する。結婚、出産だけではなく、離婚までをもウォールに流す人達がいるくらいです。表現したいという欲望の根底には他人から認められたいという承認欲求があるはずなんですけど、離婚の報告をする人たちは、何を承認してもらいたいのでしょうか。こんな風に少し歪んだ表現を見るたびに、人々は自由の使い道を見失っていると感じます。
SFが予想したコミュニケーション・フリーの時代
昔の人は、食料が無限にある時代の後に通信が無限にできる時代を予見しました。見事にその予測は外れ、飢餓は現存するけども、人々は好きな時間に好きなだけ人々と通信できるようになりました。先にコミュニケーション・フリーの時代がやってきたわけですね。正確には人類が生み出すカロリーを計算すると、地球の人口を全て賄うだけ生産されているそうです。ってことは、ハンガー・フリーも実現されている。けど、その配分方法が下手くそだから、未だに餓死者が出ているわけですね。
「中で出したってことね」
とにかく僕らは驚いているわけです。心構えを作る前に、いきなりコミュニケーション・フリーの時代がやってきた。「はい、どうぞ」と神様が、それはそれは大量の、表現の自由を与えてくれたわけです。しかし大抵の人はその使い道を誤っているというか知らない。ヤフーニュースのFacebookコメントを見れば「とにかく何かを言わなきゃ」と思っている人たちが、ぶっちゃけどうでもいいことを書き込んでいます。本来であればオメデタな報告であるにもかかわらず、芸能人の結婚や妊娠・出産に対して、一定数の人が(いや、過半数の人が!)「中で出したってことね」とか「こいつは金の亡者」とか、悲しい書き込みをするわけです。彼らを見て、お金だけでなく自由すらも浪費の対象になるんだ、と理解するわけです。人は有り余る自由を与えられた時、もしその使い道を知らなければ、無理やりそれを使おうとし、その多くが非生産的で無駄に使われてしまいます。
表現過多で見る側が足りていない時代
この一億総表現社会においては、皆がFacebookやブログを持ち、太陽の下で行われたイベントの全てをインターネット上にアップロードしようとします。もうここまでくれば、表現過多になり、それを消費する側が圧倒的に足りていないのではと思うほどです。実際に、YouTubeやUdemyで表現している人たちはたくさんいますけど、そのほとんどは「誰にも見られていない」という悲しい状況です。現実に表現過多になっているわけです。
ちょい昔、バカッター騒ぎがありましたね。コンビニの冷蔵庫に入ってみた・・・とか。もちろん違法行為は罰せられるべきですけど、そうでない瑣末なものまで取り上げられ成敗を受けました。ツイッターに投稿した当の本人は身内や友人だけに見せるつもりだったんだけど、思ったよりもリーチが広かったんですね。ネットリテラシーが低かったと言えばそれまでなんですけど、そもそもネットの歴史が浅いので、このリテラシーの程度もどのくらいで丁度いいのか線引きが難しいですよね。いずれにしても、本人の意図を超えてポストが拡散し、想像以上の制裁を受けてしまいました。彼らはもしかすると、急に与えられた(与えられすぎた)自由の使い方をよく理解せずに使ったおかげで、想像もしない災難に巻き込まれた被害者なのかもしれません。まあ実際に彼らのせいで被害が出ている例もあるので(お店の閉店とか)、彼らを被害者というのは変かもしれませんが。
石崎は自由を返還しました
じゃあ僕自身、急に与えられたその自由を上手に使っているかと問われれば、口をつぐまざるをえない。ぶっちゃけ使い方がわからないので、返還をしているくらいです。いきなり「はい」と手渡しされた表現の自由を、「いやいや、こんなに使い切れませんから」とその半分以上をお返ししている。具体的には
- Facebookはやらない
- Twitterはやらない
- LINEはやらない
- ライブでコンテンツを配信しない
- 自分の意見は一切言わない
- 正義を語らない
- 現在地のわかる情報発信をしない(たいていの場合は時間差で投稿します)
など、かなり消極的な発想で自由を返還しているわけです。またビジネスにおいても、意図的にクローズドなコミュニティを作るようにしています。誰も彼も参加していいようなコミュニティを作ると、確かに収益性は改善されるかもしれませんが、こちらの意図しない人にまで情報を届けてしまうリスクを背負うことにもなります。一方のクローズドなコミュニティでは、石崎の考え方に賛同してくれる人たちだけを限定的に集めているので、そう言ったリスクは事前に排除することができます。何より精神衛生上、続けやすいですね。
人々がYouTubeではなく有料サロンを選ぶ理由
まさにUdemyのような有料サロンなどはその傾向のど真ん中を捉えたようなビジネスモデルです。YouTubeに無料の動画をアップロードして、不特定多数の人にコンテンツを届けていた人たちも、数は少ないけれど鋭利な刃物のように心を突き刺すネガティブなコメントに疲弊し、Udemyなどの有料サロンにシフトする傾向にあります。「コンテンツを世界中に届けられる」という自由を意図的に返還して(放棄して)「クローズドな人たたちだけにコンテンツを届ける」方を選ぶわけですね。
それより確実にブスな人はもっとブスと呼ばれる
余談ですが、YouTuberはしんどいと思います。僕からすると、招待状ももらってないのに結婚式にバンといきなり登場して「あなたと結婚したいからこの人と別れてください」と懇願したいくらいキュートな女性YouTuberにすら、「ブス」とかいう人がいるんだから、それより確実にブスなYouTuberたちはもっとブスとか言われているんだろうなと想像するわけです。もちろんブスは一つの例で、ハゲでもデブでもなんでもいいです。いくら9割の人がGoodな評価をしていても、1割のBadな評価が、気分を害するはずです。それが仕事ってもんよ、傷つかずにお金をもらうことなんて不可能だよ、と言われたとしても納得がいかないものです。そのネガティブなコメントを賄うくらいの収入っていったい幾らくらいなんでしょうか。本人ですら自覚していない可能性もありますよね。
Udemyは伸びる
僕が、Udemyは伸びると考える理由はここにあります。きっと人々は自由を返還したがっていると思うのです。石崎力也という一つのサンプルを一般化するのも変な話ではあるけど、この直感は正しいと信じています。ビジネスをやる人たちも、別に世界中の人たちにコンテンツを届けようとは思ってないし・・・というのが本音でしょう。世界中にコンテンツを届けて、世界中から金を集めたところで、結局「割に合わない」と思っちゃうからです。世界中から金を集めたとしても、こちらの労力に比べれば大したリターンはないことに気づくのです。それなら自分の管理できる範囲で、最も気持ちの良いコンディションでビジネスをして、その中で利益を最大化させようと思うじゃないのかな。僕はそう思います。あなたはどう思いますか?
DRMを選んだ理由。Udemyを選んだ理由。何かを選ぶとき、多かれ少なかれそこには哲学があります。その哲学の一部を少し書いてみました。