そういえば、先日、金沢に帰ったときに久しぶりにあった友達とこんな話をしていた。
「人間って環境の生き物かな?」
「いや、僕は習慣の生き物だと思うよ」
バスケ部で同じだったYという友達は、地元の会社に勤める。ちょ、今から上司に土下座しにいかんなんから、と言い二人はバイバイすることになったんだけど、とにかく友人のYは自分の行動の99%は周囲の環境に影響されていると主張し続けた。
代数学とソジュと(甘すぎる)プルコギ
僕もいくらかは同意する。ネブラスカ州立大学でひたすら代数学(Algebra)の勉強をしていたときは、周りにバーもないし、ましてやドジャーススタジアムもない。土日にやることといえば、韓国人の寮に手ぶらで押し寄せて、ソジュとプルコギをタダで御馳走してもらうことだけだった。勉強する以外にやることがない。
そんな環境にいたから、ネブラスカ州立大学の学生は勤勉で、とにかく「つまらない、つまらない」とか言いながらも、なんとか勉強を楽しくする工夫を組織ぐるみでやりながら、図書館はいつもパンパンだった。人間は環境の生き物でもある。
でも、見逃しちゃいけないのは、人間は習慣の生き物でもあるということ。僕にこうやってブログを書かせているのは環境じゃない。海は僕にブログを書けとはとは一言も強制しない。まあ確かに、コーヒー飲みながら海に沈む夕日を見ていると、なんか表現したくなってくるけどさ・・・。
仕事柄そんな習慣ができました
僕にブログを書かせているのは、やっぱり習慣だ。大学生の頃からずっとブログをやっていたし、マーケターという仕事柄、大量の文章を短い時間で書いてしまう。五感から入ってきた情報は、活字に起こして、どこかに散りばめたくなる。別に経済的なリターンを求めているわけでもない。ただただ手が走っている。手が走るとお腹が減ってきて、振り向くと美味しい夕食が出来上がっている。それだけで十分だと思う。ブログを書くのにそれ以上の理由はいらない。ただ習慣として手が動いてしまうから、手を走らせているだけ。
じゃあ、未來の僕を駆動するのも習慣だ。未来の僕が「良い行動」をするためにも、やっぱり今から少しずついい習慣を作って行きたい。この5年間は海で泳ぐことはおろか、海を散歩することにも罪悪感が感じられた。いや、もしかすると、大学2年生の頃の僕は海を見ることすらを自らに禁じていたかもしれない。
だけど、僕の心は海を散歩したいって言っている。でも僕にはそんな習慣がない。ってことで、思い切って海に住むことにした。歩いて5分でビーチがある場所を見つけて、そこにひっそりとたたずむことにした。その場所は彼女が見つけてくれた。テキトーにふらっとやってみたらうまくいった。
20円のインスタント
もちろん今は試作段階なので、また仕事場に戻る日が来る。だけど、約束する。今年中にもう一度帰ってくる。そして来年の5月からは海に住む。仕事とは距離を置いて、20円のインスタントコーヒーを飲みながら、次の20年で何をしたいかをぼんやりと考えてみたい。24時間働き詰めで、ある程度のリターンが返ってきているのだから、僕にはそれをする価値があるのだと信じている。
なんで断言ができるかって?それは僕が今、少しずつ未来の「良い習慣」を作っており、その習慣を心の底から「気持ちいい」と思っているからだ。ま、この本を好きなだけ買って、海外に持って行って、海の前でコーヒーをシッピングしながら、新鋭王座決定戦のためだけに帰国する日常も嫌いじゃないんだけどさ・・・。
文責:石崎力也
追伸:あなたはいい習慣を作っている?
このコンテンツは「心に灯をともす・福島正伸」から着想を得て書かれています。
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