未來のためにすべき投資は何か?大学生の時はそんなクダラナイ悩みにばかり苛まれていた。本当はもっと1日を自己投資のために使いたいのに、将来使うかどうかも分からない知識を「つまらないやり方で」教える授業が朝から夕方まであり、ほかにも所属している組織から大量のメール、あるいは個人事業主としてお金を稼ぐために働くことなど、日常を蝕むほとんどが僕のやりたくないことばかり。
本音をいうと、そういった「なにかのために」を意識してやる行為はピュアじゃなくて、結局今を犠牲にしてしまうから、サイテーの行為になるのが常なんだけど、当時はそんなこと知らなかったし、勝間さん的な思考法にどっぷり使っていたから、今は将来の投資のために存在すると思っていた。
まあ、答えからいうと違うんだけどね。今は今のためだけに存在する。僕の綴っているこの言葉は、将来の誰か、ではなく今書いている僕のため(と、今見ている誰か)に存在している。
いや、本題から外れた。今日はそんなことを書きたいんじゃない。
そういった僕の日常を蝕んでいた、いわば「敵」なる存在について僕は何かを言いたかった。そうそう、大学の授業も、組織からの大量メールも、個人事業主としてビジネスも、とにかく僕にとっては「敵」そのものだった。日常が「敵」に覆われていた。
でも、今思うと、そう言った諸悪の根源である「敵」こそが最大の自己投資になっているってことに、齢20半ばにして気付いたのです。
あんとき悩んでいたおかげで、敵と戦い続けたおかげで、僕の中で経験値が積まれていった。悩むことで、敵と戦うことで「何が嫌いか」「何がやりたくないことか」が明確になっていった。
隣でカタカタやっている天才プログラマーは言う。「いろいろやってみてこれが一番性に合っていました」。その通りだと思う。
やりたいこと探しがブームだけど、実はやりたくないことがありすぎて、その中にやりたいことが埋もれて見えなくなっているだけじゃないかな。本当はやりたいことはもう心は知っている。だけど見えないだけ。
そんな意味で敵と戦うことは有益だ。敵と闘うことで「何が嫌いか」「何がやりたくないか」が明確になってくる。
うちの天才デザイナーは言う。「もう絶対にシェアルームはやらない」と。(笑)
シェアルームを生活した経験することで、今日の無いヤツらと一緒に住む苦痛を知ったデザイナー。敵と戦い続けた、シェアルーム時代。彼はシェアルームの地獄デイズな経験から、今は好きな場所で好きな人と好きな雑貨と住むための金をしっかりと稼ぎ、しっかりとNotシェアルームをエンジョイしている。
まさかとは思ったけど、敵と闘うことが最大の自己投資だなんてね。まさかとは思ったけど、悩むことが最大の未來への自己投資だなんてね。
海外からそう思うよ。
石崎力也