僕のビジネスパートナーが目の前で仕事をしている。彼はデザイナー兼シゴキスト。元カノと別れて以来、一度足りとて事を成す機会は与えられず、悲しい人生を送っている。そんな彼は2013年、小さな複数発を見逃して、大きな一発を狙っている。おそらく彼がその一発を成功させた暁には、彼らの旧友たちは皆、抑え切れないくらいの嫉妬感情を抱くのではないかと気にしている。「あのYが・・・?」彼の年収が$1millionを越えた暁には、お祝いしましょう。(むっちゃキレイな外国人の彼女を捕まえていたりして・・・)
普段は全く一緒に仕事をしないのだけど、今日はたまたま時間が合ったので(+次のプロモーションのミーティング)空間を共有している。個人的には他の場所に比べて仕事をするのにバッチリの場所だと思っているのだけど、彼曰く「周りが気になって集中できない」とのこと。
彼が今着手している仕事は「セクシーなjpg画像を加工してコンテンツの雰囲気にマッチング」らしい。そのセクシーな画像をロイヤルティーフリーのStock Imagesサイトからダウンロードして作業をする。1枚1枚がビックリするくらいの値段で、商業フォトグラファーという職業が存在する理由がわかるような気がする。目の前にいるこのオカマ頭の彼がその某サイトの上得意様なのだから。ちなみに僕のサイトに使っている写真は、香港に本社を置くT社と契約を交わし、一ヶ月3万円で提供してもらっているものだ。失礼ながら、彼の持つ写真に比べると劣化感が否めない。(セクシー画像加工の仕事なんて羨ましい!)
さて、周りが気になって集中できないという彼にかけたたった一つの言葉がある。それは「ビックリするほど誰もYのことを気にしていない」ということだ。そう世界はあなたのことも、僕のこともビックリするくらい気にしていないのだ。
そんなことを言うと「Facebook上にたくさんの友達がいるよ」と反論されるかもしれないが、残念ながらその発言そのもの諸悪の根源であり、ビックリするくらい自分は周りから見られていると勘違いしてしまう所以なのである。
たとえばあなたがTOEICの受験生だとする。あなたは外部プレッシャーを利用しようとFacebook上で公言する。「誰かが見ているというプレッシャーを利用して強制力を生もうと思うんだ」・・・そんな魂胆である。僕からすると「強制力がなきゃやれないことなら止めちゃえ」というのが本音なのだが、まあそれは喉元でストップさせておく。百歩譲ったとしてあなたがTOEIC受験を公言し、強制力を生むことに成功したとしよう。
では次。実際に勉強を始める。そして勉強ログをFacebookに残してゆく。
- 1/4:正月明けだけど、わたしはTOEIC受験生。頑張る。今日はキクタン800のDay23を全暗記。
- 1/7:今日はやる気ない。けど頑張る。Day23の復習と新公式問題集を2回解く。
- 1/8:2日連続での新公式問題集は大変だ。だけどグローバルな人間になるためにやる。
- etc…
1/20(日)。さあ今日はTOEIC本番。コレまでの勉強の成果を出すときだ。気合いを入れてFacebookに表明を記す。
- 1/20:これまで3ヶ月頑張ってきた自分に感謝。そして見守ってくれたみんなにも感謝。行ってきます。
コメント欄には「がんばれ!応援してる」「リラックスして!きっとうまくいくよ」といった琴線に触れる言葉がズラズラと23件!なんだ、自分は一人じゃないんだ。きっとあなたはそう思うはずだ。
ここで二つの未来を想定してみよう。1つは「TOEICがうまくいった未来」つまりハイスコアが取れた未来。もう1つは「全く勉強の成果が反映されていない未来」つまりうまくいかなかった未来である。一つ一つを見てみよう。
1. TOEICがうまくいった場合
あなた:「TOEIC815点とりました!これでやっとLGに履歴書を出せる!うれしい!」
みんな:「おめでとう!」のオンパレード。
24秒後、ディズニーランドで彼とラブラブしている写真がフィードに流れてくる。そしてみんなはその(あなたにとって)どーでもいいような写真に「いいね」を押す。きっとあなたは思うはずだ。「え、もうオシマイ?もっと盛大に祝ってよ。。。」
2. TOEICで失敗した場合
あなた:「TOEIC420点でした。あんなに頑張ったのに。オレの人生ダメかも。」
みんな:「大丈夫?TOEICなんて些末なことじゃん。気にすることないよ」的なメッセージのオンパレード。
24秒後、ディズニーランドで彼とラブラブしている写真がフィードに流れてくる。そしてみんなはその(あなたにとって)どーでもいいような写真に「いいね」を押す。きっとあなたは思うはずだ。「え、もうオシマイ?もっと励まして頂戴よ。。。」
ようやくあなたは気づく。周りはビックリするくらいあなたのことを気にしていないということを。そもそも強制力なんてあなたの心の中にだけ発生したひどく個人的なもので、あなたが勝手に思っていたような確固たる強制力たるものなんか存在していないことに気づく。
『周りが私のことを見ているだろう』という思い込みをもったところで役に立つのは、今日ひげを剃るか剃らないかで迷った時にひげを剃ると決断できることだけである(女性なら脇の処理とか?)。百害と一利だけが存在する。それが『周りを気にしてしまう』というもの。
『周りを気にしてしまう』ことの最大の弊害は自分の心の声を無視してしまうこと。周りを気にしすぎて、自分の精神的満足と社会的評価を混合してしまうこと。自分の本音が分からなくなること。自分の好きなことが分からなくなること。
こんなに面白いことがたくさんある世の中で「やりたいことが見つからない」なんてひどく悲しいことだと思う。僕なんかは女性を見る度にいつもやりたいことが見つかってしまう。というよりやりたくなってしまう。(助けて父上)
世間はビックリするほど自分のことを気にしていない。そう自覚できた時、僕の心はひどく軽くなった。そして僕は自由になった。自由になったから、たくさん本を読むことにした。天才だと思える仲間たちと仕事を始めた。xvideo.comに入り浸るようになった。百利あって一害なしである。いや一害はある。太ってしまった。
はぁ、こんな反社会的な文章を書いてしまった。みんななんて思うのだろう?
石崎力也(花に包まれた美人と寝たい)