石崎の囚われない自由さについて知りたいのですね。わかりました。
その前に、少し脱線を。前回質問をいただいたkamiyaさんや、今回の質問者さんの文章を見ていると、DRMをやっているのならきっと上手くいっているだろうな・・・と思うわけです。本塾の塾生は皆レベルが高いので、わざわざ申し上げる必要はないのかもしれませんが、こうやって複数回、文字だけでやりとりをすると、彼・彼女がDRMで成果が出せる素養があるかどうかというのがなんとなくわかるからです。皆様、文章がお上手で。とても魅力的です。
さて、今回のメールにもやはり質問がいくつかありました。(1メール・1質問の原則を今後強化いたします笑)
まず「なぜ石崎が政治の世界を目指さなかったのか?」という質問から。政治的な発言をした覚えがないのでまさかこんな質問が飛んでくるとは予想していませんでした。それともこの政治の世界というのはメタファーで、なぜ権力を持とうとしなかったのか、という意図なのでしょうか。
先日、ウィンブルドンが終わりました。セルビアのジョコビッチが通算9度目のグランドスラムを手にしましたね。次は全米です。2014年の全米オープンでは、日本の錦織圭が決勝まで勝ち進み日本をわかせました。残念ながら決勝でチリッチに惜敗し日本人初のグランドスラム達成はお預けとなりました。
錦織圭のコーチであるマイケルチャンは決勝前にこういったそうです。「お前はまだ何も成し遂げていない」と。日本ではグランドスラム準Vや世界ランク5位でざわついているけど、錦織圭もマイケルチャンも自分たちはまだ何も成し遂げていないと思っているようです。
仮に錦織圭が「まだ何も成し遂げていない」のであれば、わたくし石崎は「まだ何もやっていない」レベルです。これはへりくだっているわけでもなんでもなくて、僕自身がまだ何かをやった覚えもないし当然何かを成し遂げた覚えもないからです。中小企業を作ってそれを成功させる程度は「何かをやった」にカウントすらできないのかな、と。
もちろんその程度の人間ですから権力を意識する機会などありません。いわんや政治をや。2016年の大統領選にドナルドトランプが登場するらしいですが、彼くらいキャリアで成功するとようやく政治とか権力を考えたりしてもいいかもしれません。今年、サウスカロライナにいたときミスユニバースを見ていましたが、ドナルドトランプが席上に!あとで調べるとミスユニバース機構の代表をしているそうです。彼はその権力で世界中の美人とお話ししているんでしょうか。もしそうであれば、このくらいの権力になら興味あります。地域で「先生」とか呼ばれていい気分になりスナックのブスを囲む程度の権力なら、僕に限らず誰も興味ないはずです。
次に「自由になりたい!」と願いながら存在しないルールにがんじがらめになっている商店主に対して何か一言!という質問。先ほどの質問もそうですが、こーゆー奇抜な質問が飛んでくると大喜利をやっているみたいで心の中にいかに上手く言おうか・・・みたいな変な気概が生じます。笑
第一に僕の中に「大衆は変われない」という深いセオリーが刻まれていますので「この人を変えたい!」という気持ちが生じてきません。自由じゃない人に「自由になりましょう」という言葉はきっと届かないはずです。スティーブジョブズは彼の30歳の誕生日パーティーに際して「人生の最初の30年で習慣をつくり、残りの30年で習慣が人をつくる」という言葉を招待状に載せたそうです。実際にジョブズは60歳になる前に死んだので、まさにこの言葉通りの人生を送ったのかもしれませんね。
長寿国の日本の場合だと「人生の最初の40年で・・・残りの40年で・・・」になるはずですが、僕の意見は少し違って「人生の最初の20年で習慣をつくり、残りの60年で習慣が人をつくる」が正しいのかなと。レコードの針がどんどんと溝を深くしていくように、人の思考もなれきったパタンをどんどん踏襲し最終的にはずっと同じ溝を辿り、新しい考え方ができなくなる・・って人がほとんどじゃないですか。
「人生が変わった」・・・という言葉を聞くたびに「嘘だ〜w」と穿った見方をするのはきっと僕の性格がひねくれているからだと思いますが、基本的に人生は変わらないものだと思います。当然、思考も簡単には変わらないと。これまで腐る程、レコードの溝が深すぎて自分の思考パタンから抜け出せない人を見てきたので、こういう悲しい結論に至りました。
一番悲しいのは、そういっている本人(石崎)がまさにレコードの溝を深めつつあるのを自覚しているからです。
(中略)
・・・ということで、商店主のみなさん、これから一緒にレコードに新しい溝を作っていきましょう。なんてことを言うはずです。きっと自由を謳歌している人は、自分が自由がどうかすら意識していないはずです。午前1時、エビスビールを片手に堤防の上にねっころがり文字通り満天の星空を見ながら「あぁ、自由だなぁ」とか寒いこと言っている自分に気づき、まだまだ僕は自由でないことを確信したのでした。