2024年、僕たち家族はオランダからポルトガルへの移住を決意しました。この記事では、なぜオランダでの生活に限界を感じ、ポルトガルを選んだのか、そしてビザ取得までの道のりについて詳しく綴っていきます。
オンラインで仕事をする4人の子供を持つ日本人家族が、北欧から南欧への大きな環境の変化を選択した理由と、その過程で直面した課題、そして新しい生活への期待をお伝えできればと思います。
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1. オランダ生活がきつかった
オランダでの4年間の生活で直面した、天候、食事、家賃、人々との関係など、様々な課題について説明します。
オランダでの生活について簡単な紹介
子供ができるまでは妻とよく旅をしていました。でもヨーロッパだけはいったことなかったので、どうせなら住もうということでオランダに来ました。コロナ中にオランダに移住して合計4年ほど住みましたが、あまり心地の良いものではありませんでした。
ずっと雨降っているし、風強いし、ご飯美味しくないし、なんでも高いし。寒い国の人は冷たいです。特にオランダ人は違和感の塊のような人たちでした。
家探しの困難さ(家賃高騰、競争率の高さ)
僕たちには子供が四人います。最初のお家が手狭になったので、新しいお家を探そうと思っても本当に難しい。以前、200平方メートルの賃貸に応募しましたが、子供の数が多すぎるという理由で断られました。家賃も高い。85平米のお家に毎月40万円近く払っていました。
引越ししたくても引越しできないというのが不便だし、精神的にもきつかった。
新たな選択肢を探し始めたきっかけ
オンラインベースの仕事をしているので、日本からオランダに来るのも簡単だったし、一度日本を出ているのでオランダから次の国に行くことは難しくありません。オランダにきて2年目にはポルトガルやスペインに移住することを検討していました。
2. ポルトガルとの出会い
毎年の家族旅行を通じて、ポルトガルの魅力に触れ、移住を決意するまでの経緯を紹介します。
毎年5月の家族サーフィン旅行の思い出
2020年の7月にオランダに家族で来て、2021年の5月にポルトガルに家族で旅行しました。オランダには長期の5月休暇があるのでそれに合わせて。ロウリニャンという街に滞在しました。街の雰囲気や、パワフルな波、足元から伝わる自然のエネルギーに魅了され、いつかポルトガルに来たいなと思うようになりました。それから2022年、2023年、2024年と毎年5月休暇にポルトガルの同じ街に3週間ほど滞在しました。
心を掴まれた4つの理由
1. 美味しい地中海料理
オランダの料理がとにかく不味くてそれに舌が慣れきっていたので、ポルトガル料理が美味しくてびっくりしました。スーパーで買ってきた豚の肩肉をBBQして塩胡椒を振るだけで本当に美味しい。日本から来た僕たちには食事が美味しいってのはすごい大事なことです。ある特定の人にとって食事は車のガソリンみたいなものかもしれないけど、僕たちにとって食事は日々の幸せそのものです。ポルトガルの新鮮な食材や料理なら、毎日幸せになれると思いました。
2. リーズナブルな物価
例えばオランダでコーヒーを飲もうと思えば一杯500円くらいです。でもポルトガルならその半額くらい。スーパーにいっても、たったこれだけで5000円?と思うのがオランダで、ポルトガルならこんなにたくさん買って5000円?と思うことが多いです。
別に食事に1万円出すこと自体は良いんです。美味しければ。でもオランダは美味しくないのに、高い。なんかあらゆるもののコスパが悪い、という印象でした。
3. 温かい人々との触れ合い
やっぱり寒い国の人たちは冷たいです。スペイン人、ポルトガル人は陽気です。ポルトガルは年間300日が晴れと言われているほど天気に恵まれていて、やっぱり太陽があるとそこに住む人のメンタリティに影響します。
以前、ブタペストからオランダに移住してきたハンガリー人に聞きました。「どうしてオランダに移住したの?」って。そしたらハンガリー人はいつもグランピー(機嫌悪い)だから、と答えてくれました。続けて、オランダ人も同じくらいグランピーだということに移住してきた気付いた、とも。
僕たちは子供が多いので、やっぱりすぐに周りの目を気にしちゃいます。「この親なにやっているんだ」という目で見られるのと「大丈夫、そのくらい気にしないで」という目で見られるのでは、心理的に大きく違います。
ポルトガル人は優しいし、あったかいです。
4. サーフィンに最適な環境
うちは家族全員サーフィンをします。毎年5月にポルトガルに行くのも、サーフィンのためでした。僕たちの面倒をよく見てくれるサーフスクールがそこにあります。長女は4歳からサーフィンを始めましたが、経験豊富なインストラクターがしっかりと面倒を見てくれるおかげで、親は親で自分たちのサーフィンに集中できます。オランダは海がぐちゃぐちゃでいろんな方向から波が来るけど、ポルトガルは一列の綺麗な波が入ってきます。趣味のクオリティが上がると、日々の幸福度も増します。料理も不味くて、天気が悪く、海も山もなくて、毎日自転車を漕いで家と学校を往復するだけの生活だったら、仮にどこかの企業から高給を受け取っていたとしても、容易にメンタル病んでしまいます。
3. 最初の挑戦:D7ビザの挫折
最初のビザ申請の試みと、ポルトガルの官僚的なシステムに直面した経験について説明します。
D7ビザに挑戦した経緯
2021年5月に初めてポルトガルに旅行して、オランダに帰ってからすぐにビザの種類について調べました。そしたら新設されたデジタルノマドビザ(通称D7ビザ)を発見しました。すぐにエージェントを探して、納税者番号の発行からスタートしました。
直面した課題
オランダの言語クラスで仲良くなったジョアオというポルトガル人がいます。彼はミュージシャン。彼はポルトガルが嫌でポルトガルを出たそうです。僕からするとこんなに素晴らしいポルトガルのなにが嫌なのか不思議でした。聞いてみると、
ビュロクラティック
と。官僚的、お役所仕事みたいな意味です。ようは、物事が進まないんです。
例を1つ紹介します。銀行口座の開設にあたり、パスポートのコピーを求められました。そのコピーが本物であるかどうかを証明するために、弁護士の公証が必要とも。たかだか1枚の公証をつけるためにオランダの弁護士事務所に連絡をとり予約を取り付け2万円ほど支払う。
そのコピーをスキャンして銀行に送ると、今度は働いていることを証明する書類を追加で求められました。メールで商工会議所に登録した会社の登記簿でいいかと聞くと、なかなか返事が返ってこない。実際に登記簿を添付すると、オランダ語は読めないので翻訳してくれとのこと。その翻訳にも公証をつけてください、と。
プロに翻訳してもらい、また2万円払って公証をつけてもらい、ポルトガルの銀行にその書類を添付してメールをしました。返事がない。
エージェントに仲介してもらい催促してもらうと、銀行口座開設の担当者が変わったとのこと。新しい担当者は登記簿は受け付けれないの一点張り。昨年の所得税申告書が必要と言い始めました。
僕はここらへんで心が折れました。銀行口座の開設はビザ申請プロセスのごく一部です。こんなことが繰り返されるなら、オランダに5年住んでEU市民権を取得してからポルトガルに移住すればいいやと思ったんです。
挫折から学んだこと
オランダのビザ申請はすごい簡単でした。移民弁護士を雇って彼がサインしてという場所にサインして、彼が要求する書類を提出するだけで良かったので。
今思うと良い移民弁護士でした。もちろんオランダの申請プロセスが効率的だったのはいうまでもありません。
良いエージェントを見つけるのが重要です。特にポルトガルのようなお役所仕事の国では、担当者によっていうことがコロコロ変わるし、たらい回しにされるのが常なので、どういうアプローチが最適なのか一緒に考えて答えを見つけてくれるエージェントがいないと途中で挫折しちゃいます。
4. 良い移住エージェントを見つけた
信頼できるエージェントとの出会いと、その後のスムーズな申請プロセスについて紹介します。
エージェント探しの経緯
オランダに5年住んでEU市民権を貰えばいい。EU市民権になってからポルトガルに移住すればいいと思い込むようにしたんですが、前例がないんです。
例えばオランダのパーマネントビザを取得し、同時にEU市民権を獲得し、それでスペインとかオーストリアに移住しました、みたいな人に会ったことがない。ネットでググってもそういう人が見当たらない。
もしかしたら5年我慢してオランダに住んでも、スペインやポルトガルに移住できない可能性もあります。そんな確証の無いあやふやな情報を信じて大事な人生をベットすることはできないと思ったんです。オランダでの生活が本格的に辛くなってきたってのもあります。
だからもう一度「ポルトガル 移住」で検索してみてエージェントを探し始めました。
ありました!移民弁護士と協力して、翻訳も公証も全部やってくれるエージェントが。試しに銀行口座の開設をお願いしたら、すんなり口座が開けました。前回の口座開設失敗が嘘のよう。ここに決めました。
エージェントが提供してくれたサポート
銀行口座の開設、書類の翻訳と公証。移民弁護士と2回のビデオコール。無制限のEメール相談。チェックリストの提供。
エージェントを通じて得た安心感
ポルトガルの大使館や移民局はいうことが担当者によって変わります。必要とされる書類の要件も日々変わります。ネットをググっているだけでは辿り着けない情報があります。
エージェントはたくさんの申請者をサポートしているのでノウハウが溜まっています。例えば、僕の頼んだエージェントにはオランダのポルトガル大使館経由でビザを申請した別の日本人の情報があると言っていました。彼/彼女は僕が申請する2週間前にポルトガルからビザを受け取ったそうです。
じゃあ僕も書類審査で落ちるわけないよね、と思えたのです。
5. ポルトガル移住への期待
新生活のスタートと、家族で挑戦する新しい目標について説明します。
生活の質の向上
まだポルトガル生活が始まったばかりですが、シンプルに「住む場所でこんなに気分が変わるんだ」と思える毎日です。
妻はお金を使う喜びを取り戻したと言っています。よくわかります、その気持ち。オランダでは30ユーロ払っても犬の餌みたいな不味い飯しか出てこなかったけど、ポルトガルでは10ユーロも払えば新鮮な魚と白ワインを楽しめます。
朝6時に起きて日課の朝練に向かいます。柔術教室です。この歳になって何かを白帯からスタートするというのは気持ちの良いものです。
子供たちを学校に送り、僕はそのまま海に向かいます。サーフスクールからボードを受け取り1時間ほどサーフィンをします。
キックボクシングの練習を終えた妻と合流し一緒にランチを食べる。昼は外食した方が安いし、時間効率もいいです。何より美味しい。
ポルトガル生活を始めたばかりで、いいところばかりに目が行きがちですが、そういったバイアスを割り引いたとしても、もう僕たちは寒い北欧には戻れないし、しばらくは南欧のあったかいところで楽しく生活していたいです。
家族との新しい挑戦
まずはポルトガル語の習得。子供たちは早速、ポルトガル語を話し始めています。僕たちもしっかりとコミュニティに溶け込んでいきたいので、ポルトガル語を勉強します。その国が素敵だとその国の言語を覚えたくなるということに気づきました。
サーフィンと柔術、さらにキックボクシング技術の向上にも努めます。家族全員で大会に出て、一喜一憂したいと思います。オランダでは怪我が多かったので、怪我をしないように9割の力で練習することも忘れずに。
ポルトガルの波は強いので、サーフィンで死なないのも重要です。家族が待っているし、南欧を回りたいし、夏休みには日本に帰りたいですし。冗談抜きで、ポルトガルに来てから大きな波に巻かれて2回ほど「あぶな、死ぬかも」と思う経験をしました。
これからの展望
あと何年ポルトガルにいるのかもわかりません。オランダの4年もあっという間だったので、忙しく子育てしていたら4年なんてすぐに過ぎてしまうでしょう。
仕事を軌道に乗せて海外移住するという漠然とした目標はオランダに住んだ時点で達成されました。今度はヨーロッパの中でも特に住み心地の良い場所に引っ越して、いよいよ次の目標を見つけるタイミングなのかもしれません。
家族と会話を重ねて次はどこを目指すのか、どうなりたいのかを話し合いたいと思います。