僕らは音で危険を察知します。ハリウッド映画が観客を引きつけるために使う技法は三つしかないそうです。セックスと人の死と大きい音。原始の時代から人々は大きな音で身体の保全を図ってきたらしくマンモスが「がおー」とでも言おうものなら一目散に逃げる準備をしたのでしょう。
午前11時。干潮を見計らって7ヶ月の子供と浅瀬で水遊びをしていると、パラパラと六本木で何度も聞いたことのあるヘリコプターの音が聞こえました。まさか、と思いました。まさかドゥテルテ政権に反旗を翻しているNPA(新人民軍)が観光客を誘拐して大使館や政府に身代金を要求する、アレ、が起こるんじゃないかと勝手に妄想しました。奥さんは「貴方の危機管理能力にはいつも脱帽するわ。でも過激するの。起こりそうもないことまで想定してる」と繰り返し言います。ワーストケースを想定するからこその危機管理能力だろと弁明するも理解されず。実際このカタンドアネス島の森の中にはNPAが存在しているのですから。しかもこのプラランリゾートには外貨を持つアメリカやロシアの金持ちサーファーが群れているのですからNPAのターゲットになってもおかしくありません。
結局その大きな音の正体はマニラから15時間ほどバイクをかっ飛ばしてきたオフロードバイクの集団に過ぎなかったのですが。みんなマフラーを改造してて、千葉県に出没する暴走族顔負けの音量でした。バイクかっこいいね、写真撮っていい?と聞くと、キャプテンみたいな人が号令をかけフレームに収まるサイズに集合してくれました。写真撮られるのが好きなようです。

ツーリング集団の野郎ども(紅一点か二点ほど)にサヨナラとサンキューを言うと、また改造したバイクで坂道を登ってゆきました。中国系フィリピン人のレストランオーナーは両手で耳を塞ぎ大きな声で何かを言っています。奥さんに彼女なんて言っているの、と通訳を頼むと「もう一生戻ってくるなー」と言っていたそうです。レストランでお金を落とさず騒音だけを撒き散らしていったから、が彼女の主張。なるほどそういう視点もあったのか。僕と息子はキャピキャピ喜んでいたんですけどね。
昼飯にカレカレというピーナッツベースの豚肉料理を食べ、夜飯にセネガンという酸っぱいスープとグリルされた魚を食べます。サンミゲルビールを飲みながらハンモックに揺られ「国境(上)」を読んでいました。バックグラウンドではデブのゲイカップルが遠くの方でエンドレスにカラオケ唄っています。経済ヤクザの桑原と堅気の建設コンサルタントである二宮が北朝鮮に飛んで詐欺師を捕まえるストーリーです。黒川さんの小説は片っ端から読みました。この国境でいよいよKindle上の作品全制覇となります。Amazonレビューにもありますが桑原と二宮の駆け引きは下手くそな漫才師より何倍も面白いです。黒川さんは笑いを取ろうと意識してないそうです。関西人ならこう言うだろうと想像しながら書くとそうなるらしいのです。そんなもんなのか。活字で見ると、わらけてくるメカニズムでもあるんでしょうか。
瞬間、ヒャアと声が響きます。停電です。カタンドアネス島に来てから2週間ほどですが、もう100回以上経験しました。一番うるさいヒャアはやはりゲイです。ゲイカップルは楽しそうにキャーキャー騒いでいます。もう午後9時なのにまだ歌うつもりなのかよ、と取り敢えずここで島民の気持ちを僕が代弁しておきます。特別なアクションを起こすわけではありませんが。
島の真っ暗は、本当に真っ暗。何も見えません。100メートルほど先でザァザァと一定のリズムで波音が聞こえます。ケンタッキー州には洞窟の中で無音と闇を楽しむツアーがあるそうですけど、そんな遠くに行かずとも闇はここにあります。
Kindleの明かりを使い部屋に戻りLUMIXを手にしました。ISOを6400まであげて暗闇に沈んだ木々にレンズを向けます。
くそっ。こんなに近い距離にこんなにたくさんの蛍がいたなんて。至近距離に星々が浮かび、閃光が闇を少しだけ薄くします。しかし遠くのゲイカップルがうるさい。誰か消火活動してくれ、あのデブたちを。なんでこんな夜中にも関わらずエネルギッシュに燃え盛るのか。
うちの周りには腐るほどWi-Fiが飛んでいますが、この島では蛍が飛んでいます。Wi-Fiか蛍かと問われれば蛍さんには悪いけどWi-Fiを取りますが、そんな二択を突きつけられない限りこの自然に満ちた場所で寝る間を惜しんで蛍を見続けていたいと思います。実際、カメラを空中に向け続けたせいで首の付け根を痛めてしまい、仕方ないからハンモックで休憩しながら文章を書いている顛末です。
今日はいろんなことがあったようななかったような。たくさんのことしたようで、実は何もしてないように。日中たくさんのことをしたほうが人生は充実するなんてゆめゆめ思いませんが、着実に大切な仕事が進んでいるような気がします。そんな日々が続くこの頃です。
あのゲイカップルは歌い疲れてシャワーを浴びたら、とびっきりのアナルセックスでもするのかなと、勝手に想像します。彼らも人生において大切な仕事を進めているところなのかもしれません。
僕もあんな風に音量を気にせず歌唱力を顧みず海に向かって大声で歌ってみたい。きっとすごい気持ちいいんだろうな。明日、まだ彼らがこの島にいるなら友達になろうと思います。アナル開発されないか些かの心配はありますが。