子供が寝たので一つ。木々の間から波打つ海の音を聞いています。夜の海ってすごい怖いですよね。力を抜いているとすーっと吸い込まれる感じがします。以前、夜に船を出して海釣りしたことあるんですけど、船上から海面を見て膝が折れました。近すぎると怖いのである程度距離を保って、こうやって集中して物を書けるくらいの位置まで下がります。どうやら人間の体には物理的な防衛線みたいなのがあるようです。ここまできたら安心、みたいな距離感。
あともう一週間ほどこのリゾートにいます。このpraran resorts 、三年前に来た時はローカルな人しかいなくて、外国人(僕も外国人なんですけどね)は皆無でしたが、今はリタイア層の白人や旅慣れしていない新婚カップルで埋め尽くされているので、前ほどの有り難みというか秘境感というかパワースポットな雰囲気は消えてしまい、てっきりツアーな場所になってしまったようです。本当はもう少し長くいてもいいような素敵な場所なんですけど、ローカル感が消えてその場所独特のカルチャーが荒れてしまい、味気ない場所になりつつあるので、居ても一週間ほどです。
バリ島にはローカル感があるけど、プーケットにはローカル感がありませんよね。もともとプーケットは観光収益を上げるために人工的に造られた地域なので、歴史も文化も何も存在しません。あるのは綺麗な海だけ。プーケットに行くと夜の10時になっても質の悪いスピーカーで汚い音楽を鳴らし安い酒で満足している30代のおっさんがいますけど、バリ島にはそんな民族は出没しません。いたらモンスターボールを投げてあげましょう。ローカルにはローカルのルールがあり、地元民はもちろん旅人もそれをリスペクトしているからです。プーケットにはそれがありません。ただのパーティーアイランドなので。
で、このプララン(地元民はそう発音しています)には、そんな変なヒッピー崩れみたいな旅人と、それに影響された地元民が独特のコミュニティを形成していて、かなり嘆かわしい状況を呈しています。嗚呼、悲しけれ。
前回カタンドアネスに来た時は、六本木と西麻布にあった事務所を売り払った直後でした。仕事漬けの毎日に疲れて、一転、こんな素敵な場所があるのかと驚いたのを今でも覚えています。それなりに若くセミリタイアしたので、こーゆー僻地でハンモックに揺られ、あらゆるシガラミから自由になり生きていくのも悪くないなと思っていましたが、今思うとまさに青二才。若気の至りでした。
そんな生活を新しく感じられるうちは、まだ旅の初級であり、幻覚を見せる花の匂いに惑わされたかのように、こんな日々が続くといいなと思うかもしれません。それは一種の病気。いつか治ります。残念ながら20代や30代の日本男児が毎日太陽浴びて海でピチャピチャやりながら、たまに現地で気に入った女の子に小銭渡して情交し、安い酒で道楽を感じているようでは、国旗が泣きます。隣のコテージにそんな日本人がいたら、一切口を聞かずにその場所を退去します。ああ、こんな民族と同じにカテゴライズされるのは嫌だなって。そんな厭世な生活をしてもいずれ飽きます。僕ら人間はそれなりに社会性を持つ動物なので、食べて寝てセックスをする生活では物足りなく感じます。社会とのインタラクションが必要になります。そうですね、仕事がしたくなるんです。
会議の時間に間に合うよう電車から飛び降りるサラリーマンと同じくらい、20代30代の働き盛りがリゾートで何も考えず窯焼きピザを食べて「こんな日がいつまでも続けばいいな」と思うのは馬鹿げているのです。
人気を失った女優がセミヌードを出してかつての脚光を取り戻したいという気持ちがあるように、これまでガツガツ働いていた人がリゾート地に来て抜け殻のように口を半開きにして思考停止状態で生きていても、また働きたい気持ちが湧いてくるものです。
僕の周りには、セミリタイアした同年代の友達がたくさんいますが、みんな結局、いささかの仕事は継続しています。全く働かないライフスタイルを追い求めて起業し経済的に成功したにも関わらず、やっぱりみんな仕事に戻っていきます。
定年後の生活を夢見て今頑張っている人は、勝ち取ったその生活の虚しさを65歳を過ぎてから知ることになります。この島にもそんな北米、北欧のリタイア層が幾分か散見されます。そして彼らはやっと手に入れたその生活を楽しもうと物凄い努力をしています。新しくタガログ語を覚えてみたり、地元のデブでブスな女の子を両腕に抱えてみたり、ボロ雑巾のようなオープンカーに乗りマフラーを吹かし地球温暖化に貢献してみたり。
彼らはたまに哲学的な発言をします。
「君たちが羨ましい。まだ働けるんだから」